1人東京マラソン2020の記録
2020年3月1日。その日は自分の記念すべき日であり、半年間トレーニングしてきた集大成が晴々しく発揮される日、東京マラソン。そのはずだった。
けれどもその記念大会は新型コロナウイルスにより一般参加が中止され、東京オリンピック参加の出場権をかけ選ばれたエリート選手のみに限定された。
どうしようもなく落胆し、2月中旬はまったくモチベーションが上がらず運動もやめてしまった。
でもなんか悔しくて悔しくて。
この日のためにジムに通い、トレーナーに指導を受け、サプリを摂取し、減量し、スマートウォッチとランニングシューズを購入した自分に何か踏ん切りをつけたい。走ったという結果を残したい。
ラン仲間にも同じ境遇がいた。当日みんなでグループランをしよう!と提案があるも、濃厚接触をさけての大会不参加なのに、大人数で集まるのはどうなのかと。もう1人で孤独に走るしかないんじゃないかと。
3/1当日の早朝、徐に起床して走る準備。事前に購入していたエナジージェルとドリンクを装備。
もう走ることが当たり前であるように淡々とやった。この日は自分にとってのひとつの区切りなのだと。
できるだけ信号や交差点のない多摩川沿いを走ることに決める。近所の公園まで自転車を走らせ気分はもうランニング大会そのもの。1人で実況しちゃうよね。
2017年大会のネックウォーマーつけて気分ノリノリ。ここから多摩川を目指す。
この日は本当に天気が良く3月にしては異常な暑さになった。それでも清々しい早朝のランニングは気持ちよくあっという間に多摩川についた。ここまで約5km。
少年野球やサイクルライダーを横目にひた走る。川岸は夏の豪雨の被害が未だに生々しい。根っこを剥き出しに南へなぎ倒された木々が多く点在する。狛江市に入った辺りから次第にロードからダートへ変化していく。これが足を取られ思わぬダメージを食らう。
ロードを探すも土手沿いのランニングコースがなくなり狭い車道しかない。仕方なくダートに戻る。
二子玉駅超えた辺りからずっとそんな感じで場所によっては砂浜を走ってるよう。目の前に楽天ビルが見えて距離を実感。
暑さも相まって手持ちのドリンクは半分になった。
少々バテてきたところで21kmハーフ地点。東急東横線を超えた辺りでトイレ休憩。もうレースではないのでタイムは気にせず楽しむことに。
ハーフを超えたのでここで折り返せばいいのだけど、なんとなく海が見たいと思いこのまま南下。急に道も綺麗になりランナーも増えてきた。若い女性ランナーに挨拶され急にテンションが上がる。場所は目黒区から大田区へ。さすが23区。
東海道新幹線が走り抜けるのを見ながら、大きなグラウンドで野球をする少年少女の姿を微笑ましく眺める。ザ・多摩川って感じ。
多摩川大橋まできてさすがに折り返そうと神奈川との県境を通り過ぎる。川面がキラキラしててとても美しかった。
北へ向かうコースになった途端、吹き下ろされる風が激しい。全然前に進まないしなんか鼻がムズムズする。けれど東京側のコースに比べランニングコースが整備され走りやすい。ランナーも多くて刺激される。
途中、桜並木がありすでに満開(葉桜もあった)になった桜に出会す。ランナーやバイカーが記念写真を撮っている。めちゃ春ってた。
この時点でケータイは10% ドリンクは空。足は痛みが増してる。流石にマズいと数km走ったところにあったコンビニで水分補給。だいたい34km地点。
荷重とはいえ足へのダメージが激しい。相変わらず股関節の痛みが止まらない。
それでも多くのランナーが自分を追い越していくのを見て悔しくてまた走り出す。それを繰り返し繰り返し。もう最後の2kmは泣きながら、自分で自分を励ましながらもうあと少しで走らなくていいんだ、と言い聞かせる。
時計を見るといつの間にか42.195kmを超えていた。あぁもう走らなくていいんだと崩れ落ちる。暑さと疲れでなんだか身体の感覚がおかしい。全身に痛みが走る。なぜか腕と胸の筋肉が引きつる。
疲労困憊でゴールのツイート。身体中から塩が吹き出してウェアが白い。しばらくそこに座り込んで動けなかった。遠くで少年野球の歓声が聞こえる。匂うのかコバエがたかってくるが全く対処できない。あぁ空が青い。
最終的に走ったコースがこちら。
自分なりのケジメと区切りで始めた1人東京マラソン。暑さを言い訳に情けない結果にもかかわらず、大迫選手は日本新記録を叩き出す。もう圧巻でただただ感動するばかり。
今回走れて改めて自分の実力を知れたし、絶対にちゃんとしたレースで記録出すと決心できた。
しばらくフルマラソンはやりたくないけど1年後の今日に笑っていられるため、また日々のトレーニングに励んでいこう。そう思えただけで走れてよかったと心底感じた。
応援、ありがとうございました。
帰りに食べたラーメンは格別だった。