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五感で認識、そして、意識と戯れて

この世のものは、
全て、私を通して、存在している。

私の、五感、六感、 テレパシー、直感を通して、
私が感じて、私が認識するから、
この、私の、に、「もの」が「存在」する。

私が、私の感覚を、全てシャットダウンしたら、、、
全てが、消える

もう、そこには、何も無い。
「無い」という概念さえ、無い、
究極の「無」。

私を通さないで、存在しているもの、って
あるのかな。

私が消えても、
今、目の前に見えている、街並み、景色、
お部屋のイス、テーブル、コーヒーカップ、
街ゆく人々、社会の営み、
全て、そのまま、存在しているではないか、

っていう意見もある。

そうだね、
そうかもしれないね。

例えば、
私が死んだ後、
私が使っていたもの、私が暮らした家、
私が生きた街、、、
それらは、そのまま存在し続けるのかもね。

だけど、
その時、それらは、
誰か他の人たちが、認識している、
「それら」であって、
それは、私が認識していた「それら」とは違う。

私が認識していた「それら」は、
私が亡く (無く) なると同時に、無くなる。

そして、おそらく、
私が亡く(無く) なった、と、
その、感覚で、認識するのは、
私ではなく、私の家族だったり、友人だったり、
私ではない、他の誰か、なのだ。

私が無くなった、ということを、
私は、認識できない。
だって、その時、私は、「無」なのだから、
「無」に、『無』の認識は、不可能だ。


五感を止めてみる、、、

目(視覚)を閉じて、耳(聴覚)に栓して、
鼻(嗅覚)を塞いで、口(味覚)は使わない。
匂いは口からも感じるから、
口、開けちゃダメだ。しっかり塞がなきゃな、、、
って、、、
息ができませんやん!
そんな状態、頑張っても、1分が限度だ。
触覚だって、どうやって、ストップさせるのだ?

瞑想、、、か。
そういうことなの、、、か、か?、か???


生きている個体の数だけ、違う世界がある。

それぞれの感覚で、
それぞれが認識した、それぞれの世界。

その中で、
それぞれが、それぞれの意識と、戯れる

それが、この世で生きる、ってことだ。

、、、と、
こうやって、思いを巡らすも、楽し、なのだ。


想像は創造
私の世界観(宇宙観)はこんなです
最後までお付き合いしていただいたこと、
とても嬉しいです。
ありがとうございました。
力をいっぱい頂いています。感謝です。

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