オリンピックがあれば日本は終わってた
今年オリンピックが成功していれば、日本は終わっていただろう。 難しくて耳の痛い話を聞くにはそれ相応の自分にとってのメリットが必要だと思う。
それが提示できるかわからないけど、話をするならば、「オリンピックの開催延期は不幸中の幸いだった」と思う。もちろんコロナのことじゃない。もし今年、オリンピックが成功していて日本に沢山の外国人が押し寄せ、インバウンドが儲かったとしたら名実ともに日本は終わってしまうからだ。日本に人が押し寄せるのは円安だからだ。いや円安でなくても「コスパ」の良い旅行先だとみくびられているからである。
清潔で整理された街並み、時刻表通りの交通機関、コンパクトだが綺麗なホテル、欧米なら一泊200万円まである青天井のプライスも日本なら高くて7万〜20万円。
確かに外国人旅行者は年間3000万人、市場規模で4.5兆円まで達した。でもだ、これはGDP500兆円の日本を支えるわずか1%にも満たない。
そして一番の問題はそれに関わる人々が増えてしまうことだ。タピオカ販売なら誰でもできる。観光とは、大切な雇用を食ってしまう極めて労働集約的で参入障壁の低い低収益産業なのだ。したり顔で生産性を語るつもりは毛頭ない。でもどんなに否定されても僕はすべての日本人と未来の日本を守るために敢えて正論を言う。観光立国は下の策だ。落ちぶれた国家が最後に選ぶ最も安易な退廃の道である。愛と豊かさに満ちた生活のためには日本は歯を食いしばって稼がねばならない。それは苦しい道でもある。
稼ぎのよい順は昔から決まっている。頭をつかうこと(思考)、コンピュータにやらせること(計算)、機械を使うこと(製造)、体を動かすこと(労働)、今持ってるものを売ること(言えない…) 。観光産業というのは時間の蓄積と過去の人々が作り上げた遺産に現代人が上塗りして売ることだ。やがて土着が始まり、望まない形で移民を受け入れ、秩序と安全の崩壊、破綻への道へ進む。ギリシアをはじめヨーロッパの国が経た道だ。もちろん全ての観光業を否定していない。ただ中核に据えてはならない。繰り返し言うように、2020年から2025年にかけて日本と世界は様変わりする。我々には革新のシナリオと改善のシナリオが残されている。革新がベストだが今日は言わない。せめてもの改善のシナリオを書く。
それは今の我が国の産業スキーム・社会システムを変えないでアップデートする方法で比較的簡単だ。つまり加工貿易というこの60年のスキーム自体は変えない。だが中身は変える。それは我が国の中核である車産業からロボティクス産業への可及的速やかな進化だ。豊田章男社長が英雄になるためにはスマートモビリティカンパニーの看板を外すしかない。車はコモディティだがロボティクスは付加価値品だ。水陸空屋内屋外で活躍するロボットの膨大な世界市場、長いバリューチェーンによる雇用創造、あうんの呼吸でつなぐ統一民族のバケツリレーがもたらす模倣不可能性、なにをとっても最強の産業である。相変わらず原油と為替に怯え続けるのは変わらないがそれはこれまで耐えてきたではないか。医療システム改革とコミュニティインフラ創造を加えたこの3つの産業の矢を伸ばすべきである。人生万事塞翁が馬。コロナショックは爪痕を残したがオリンピック開催延期までの猶予を与えたと考えるべきである。どうせ経済活動は止まる。
だとすれば今するべきは産業転換の準備と開発投資である。 さて、そんな大きすぎて難しくて耳の痛い話を聞いてどうするの?メリットあるの?と聞かれれば「君(と家族と大切な人々)の豊かな生活は、君が日常考えているよりもっとずっと大きな構造によって担保されるんだよ」と答えるしかない。僕はいつも思う。もし自分が豊かになりたければ全体が豊かになること、そしてその一部を享受することだ。ウォートンの最年少教授のアダムグラントはこう言った。世の中には3種類の人間がいる。
常にフェアトレードをしようとするマッチャー、人から奪おうとするテイカー、そして与えようとするギバー。マッチャーの人生はそこそこ、テイカーは前半は良いが人生の後半に没落する。ギバーは2つに分かれる。ただ与え続ける人。これはバカだ。最後は破産する。2つ目のギバーは常に全体のパイを大きくする、そして増えたパイを与え、残りを受け取る。これを繰り返す。知力を使いwin winの仕組みを考案する。 お篭りは良い時期だ。安易な快楽や自己防衛に走るな。敢えて全体を考え長期的な繁栄を選択しよう。 オリンピックの成功は日本の失敗、極めて不快な話だが批判を承知で僕はそう断言する。
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