読んだつもり? (2) 「一擲乾坤を賭する」案は、家臣のものだった!
韓愈『鴻溝を過ぐ』から
古事成語の『乾坤一擲』は「一か八か」、すなわちサイコロを投じ勝負に出るという意味からきており、大元は韓愈の七言絶句『鴻溝を過ぐ』である。
さて、停戦の盟約を結んで引き返そうとした楚の軍を実際に一擲乾坤を賭して攻めたのは漢の王、劉ではある。だがそれを説き勧めたのは、劉の家臣らであった。
と疑問形で書かれているが、それは張良と陳平である。
「ああ、劉邦になんて大それたことを申した人がいたものだ。これで多くの血が流れ、歴史が決定的に動いてしまった」
という韓愈の嘆きとも驚きとも取れる思いが読み取れ、味わい深い。
さて私も張良の立場であったら、同じことを言っちゃったかもしれない。けっこう冷静に
「王様、まさに今こそが項羽を倒す時でござる」
とかなんとか。
軍師とは要するにコンサルタントだ。最終決断は王様がする。このあと、いっしょに項羽を攻めてくれると見込んだはずの韓信、彭越らが来ないという窮地に陥るのだが、今度は「王様ぁ、褒美が足りないからですよー」とか言っちゃうのである。本当にそうであった(でもそういう大事なことは先に言ったほうがいいね)。
ただ、運河である鴻溝をもって領地を分割し、西を漢、東を楚の国とすることを話し合って決めたのだ。家臣たちの進言はそれを破れというものである。汚い手口であり、信頼を失うことにもつながりかねない。後々遺恨を残してしまうのではないか? そんなふうに考えてしまう私は、王として天下を取るタイプではない。
そもそも、これまで楚の軍が連戦連勝であったことを忘れてはならない。項羽は覇王と称される無敵の将だ。今国に帰ることを許せば、体勢を立て直してまた攻めてくるに違いない。そのときに漢軍に勝機はないかもしれない。
今なら項羽の軍の兵糧も乏しい。和平協定を受け入れたのも兵が疲弊している証拠だ。張良らの言う通り、攻め時であった。
破天荒で死をも恐れないという点では項羽も劉も同じであるが、項羽は戦闘の天才だ。兵法は劉より上であろう。ただ、敵対したものには情けをかけず生き埋めにしてしまうような残酷な将である。いっぽう劉は人望が厚く、兵にも好かれていた。
項羽は強かったが、将としては足りないものがあったのだ。その点劉は戦いに敗れる経験も重ねる中で、すべてをひとりで抱えず、部下の進言を聞き入れることを覚えていったのであろう。激しい怒りをもって下した決断さえ、諌められて瞬時に翻したこともある。こうなるとむしろ、とても柔軟な人ではないかと思う。
ところ変わってカエサルもまた、漢王と同様な人望の厚い破天荒キャラであった。賽を投げるような勝負に出て、川を渡ったところまでそっくりである。
いつの世も人々は、勝負所を押さえたリーダーを待ち望んでいるのかもしれない。
Ver 1.0 2023/1/9
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