【エッセイ】沼です。笑ってやって下さい。
コロナ禍を機に、人生が一変したという人も多いのではないだろうか。
仕事も飲み会もリモートになり、誰かと直接会って話すことがご法度となっていたあの時期、スクリーンの上の分割された枠の中で蠢く顔に生身の人間の温もりを求め、声を届け合うことによってかろうじて心の平衡を保っていた人もいたに違いない。
外出自粛が解除され、だいぶ自由な行動を取れるようになってきたとはいえ、会社の方針でそのままリモートワーク続行となったケースもあると聞く。まさに我々の暮らしは、自分で自分を律していかなければ立ち行かぬところまで来ているようだ。
実は私もまた、コロナ禍で人生が一変したひとりだ。
人生が一変などとは大げさかもしれないが、それくらいの大きなインパクトをもって、コロナ自粛を機に私は新たな趣味の世界の扉を開いてしまったのだった。
――その〝兆候〟は以前から、確かにあった。
子供時代にプラスチックの取っ手を1回回せば心躍らせるおもちゃが出てくる魔法の箱に出会い、その鮮烈な印象は擦り込みとなって成長後も心の襞に隠れていた。
コロナ禍を迎え、心に穴が空いたような、何とはなしの寒々しさを覚えて無意識にそれを埋める何かを探していたのだろう私は、外出先で見かける進化したあの魔法の箱にいつしか惹かれていった。
そして気づいた時には、子供の頃のようにまたあのプラスチックの取っ手を回していた。
私は、あの四角いプラスチック製のアナログ人力ベンディングマシーンから出てくるおもちゃのクオリティーが段違いに素晴らしくなっていることに気づいて驚いた。製品の強度にしても、子供の頃のものとは比べ物にならないくらいレベルアップしている。
うかうかと生きている間におもちゃ業界は目を見張る成長を遂げ、製品のクオリティーのみならずその世界観も無限に広がっていた。人気のアニメや漫画とのコラボや、いきものの超リアル造形シリーズ、お菓子やアイス、有名喫茶店のメニュー完全リアル再現などなど……。消費者(趣味のヒト)を狂気乱舞してヨロコばせる仕掛けを、途切れることなく出してくるのだ。
それが私を魅了するのに、まったく時間はかからなかった。その日その時に何が出てくるかわからないという興奮もハマる要因のひとつかもしれない。
興奮する気持ちを更に昂らせながら、私はプラスチックの取っ手を回し続けた。どうしても手に入らないものは、同じ頃始めたメルカリアプリでゲットした。メルカリは破格の値段で品物を出している人もあり、要チェックのマーケットだ。
プラスチックの取っ手を回すことで手に入る宝物は、どんどん増えていった。更にその途上で〝リーメント〟なるミニチュアの精巧なセットがあるということを知ってしまうと、私のコレクション熱には更なる拍車がかかった。私はネットで3回ばかし、ポイントを使った割安値であるとはいうものの、定価5000~6000円ほどするリーメントのフルセットを手に入れるというアグレッシブな買い物をした。
更には100円均一の店で売られているバスボールにも手を出した。あの中にも心くすぐられるフィギュアが入っている。1個100円ではあるが、無限に買い続ければ問題有りの塵ツモだ。
そんなわけで、現在、自宅には私が集めに集めたガチャを始めとするミニチュアコレクションが犇めき合っている。私はこれを「コロナ禍の心的ストレスから来た一種の穴埋め行動だ」と主張するが、家人はそれを鼻であしらい、「ほとんどタダのビョーキですね」と呆れ返っている。哀れなガチャ達は、居間における素晴らしいデコレーションであるにも関わらず、それを解しない人の手で、愛でられることなく食卓から撤去されたり、その真の価値を貶められている。
「ただのオモチャ」との認識はやや失礼なくらいだ。現在それらは多くの開発メーカーで本気の大人たちによって企画・研究・製作されているというのに……。
とはいえ、こういった趣味をすんなりと受け入れられる人と、拒絶的な態度を取る人が存在するというのは当然のことだとは思う。要は〝好み〟の問題なのだから。
ただ、自分でも、正直言うと最近段々不安になってきた。
このトキメキが続く限り、私は延々とこれらのものを求め続けてしまうのではなかろうか。現にガチャガチャと取っ手を回して〝被り〟が出てしまった時、自分にハマッた造形のものであれば私はそれをメルカリで売り飛ばすことも考えずに、数回粘って回して、それでもどうしても目的のモノが手に入らなければメルカリで検索して高額なコンプリートセットを購入した上に、既に手に入れているそれら〝被り〟のもの達をもいっしょくたに並べて、「これはこれでカワイイな」とニヤニヤしている始末なのである。
これは危険なことだろうか。そのうち家の中はこの細々とした造形物で浸食されるようになり、よくテレビで問題になるあの〇ミ屋敷ならぬガチャ屋敷、といった事態になってしまうのだろうか。
……もしそこまでになってしまえば、「コロナ禍が……」などと訴える私の声も、家族の叱責にかき消されてしまうだろう。
これは一種の心の病なのだろうか。或いはその一歩手前の症候群というやつ……? いずれにしろ、そろそろ自分を律する術を学ばないとまずいことになりそうだ、と思えるようにはなってきた。
のだが。
……こういうモノたちを見ていると、本当にココロが和むのだ……。
ストレスがあろうと、嫌な目に遭おうと、このコらの与えてくれるリラックス感は、値のつけようもない……。
やばいやばい。
こういう状態のことを、今みんな〝沼〟と言っているのだろうけど。
……今回カミングアウトしたから、これからエッセイで堂々とガチャのこと書けるな……。と、ひとりニヤリとしてしまいました。