【エッセイ】 眠れぬ夜の読書は毒書か
基本的に、寝る前に本を読む。
その理由は、昼間の活動時間には、やれ外での用事や家事やら何やらに忙殺(それほど忙しいわけでもないけれど)されているからだ。
夕方から夜にかけても、家族と食事を摂ったりぼんやりテレビやYoutubeを観たり入浴したりする為に、本と向き合う時間を取ることは難しい。
それで自然、集中して活字を追うことが出来る時間帯は深夜に限られてくるわけだけれども、自分的にはそれは非常に役に立つと思っている。
先日、「眠れない」というテーマで日記めいた文章を投稿させていただいたのだが、数年前から突然訪れるこの〝眠れない”夜は正直なかなかに辛い。
かと言って毎日というわけでもないので睡眠薬に頼るというほどのものでもない(副作用、耐性や依存性を避けられない新薬に頼ることに強い抵抗を感じる自分自身がいるのもまた事実なのだが)。
さすればどうすれば良いかというと……
最近、効果的な対処法を見出す出来事があった。しかもそれは意外に旧来のやり方なのであった。
十代の頃から、私は寝る前にはほとんど必ず何らかの本を読んでいた。
短編小説なら数日でその世界観に没頭し、深い読後感に包まれて眠りに落ちるのは心の滋養となるようで、何よりの喜びだった。
更に、夢中になっている長編小説などがあれば、数日から数週間に渡って長尺の熱中時間を享受することが出来た。
ところが近年スマホを持つようになってから、Youtubeを始めとする数々の動画やネット媒体が提供する面白い情報などに触れるにつれ、寝る前の時間は徐々にそれらに浸食されるようになっていった。
私は毎日のように、ベッドに入ってからYoutubeのタロット占い動画に観入り、Yahooニュースに上がってくる興味あるジャンルの記事を次々に読み漁った。
今では誰もが知る常識だろうけれど、寝る前のスマホは睡眠にとって害悪以外の何ものでもないらしい。
スマホの画面が発するブルーライトは脳を刺激し、交感神経を興奮させることによって自律神経を乱す。
ベッドに入ってからスマホで動画を閲覧するなど、安眠の為にはあってはならないことであるというのだ。
その情報を知ってから、自分なりに姑息な抜け道を思いついた。
「ブルーライトを見なければいいじゃないか」
そう考えた私は、占い動画を〝観る〟ことを止め、目を閉じて音声だけを〝聴く〟ということをやってみた。ブルーライトが視界に入らないように、スマホ本体を置いた位置に背を向けるという工夫までして。
ところがこの方法は、全く功を奏しなかった。
目を閉じることでタロットカードの絵柄を見られないため情報量が半減し、占いの内容が入って来にくくなった。更に占いをする方の声がマイルドで心地良すぎて、目を閉じて聴いていると寝落ちしてしまい、結局最初から見直さなければならなくなるという事態が発したのだ。
その上、首尾よく占い動画を最後まで〝聴き〟終えることが出来、それからスマホを切って改めて眠ろうとしても、結局安眠出来ないということを身をもって知った。
どうやら〝寝る前スマホ〟の害悪は、ブルーライトに限ったことではないようだった。
巷の情報に立ち返ると、スマホの発する安眠妨害要素は画面からのブルーライトのみでなく、本体から発せられる〝磁気〟でもあるという。
以前は頭から最低15cmは離して置かないと影響を受けると言われ、そう心得てその距離を保っていたのだが、最近触れた情報によると、その距離が2m以上に伸びていた。
この手の情報は日々更新され、いずれまた「実はこうでした!」と言いつつ違った情報が出てくるに違いないので、半信半疑でいるのだが。
それでも、更年期によると思われるこの〝不眠〟の症状が現れるようになってから、当然のことだが、この〝眠りに落ちる〟という過程がますます難しくなってきたのだった。
これには参った。
体は疲れているし、明日もあるからさっさと寝てしまいたいという時に限って、やけに眠りに落ちることが出来ない。
シンプルに日中の活動量が足りないということなのかもしれないが、それはさておき目を閉じていても妙に前頭葉の辺りが覚醒していてどうにも落ち着かない。
こんな感覚、わかってくれる人いるのかな……
自分だけがこうなのではないかという不安も頭をもたげてくる。そしてそのことによってまた更に目は冴えていく。
負のスパイラルでしかなかった辛い不眠の夜々を打破するきっかけをくれたのは、意外や意外、昔ながらの〝紙の本〟を読むことだった。
スマホに疲れ、ブルーライトや磁気に倦みながらも中毒的に見ることを止められず(現実として、我々一般的な現代人はもうスマホ無しには生きられない)、もう半ば諦めにも似た気持ちで眠れない夜を受け入れる日々が続いていた。
また明日も寝不足のボーッとした頭で一日過ごすんだ……自分にはその生き方しか残されていないのだ……と、もうセルフネグレクトのような心地で過ごしていたある日、ふとした気まぐれから昔読んだ本を読み返してみたのだった。
スマホの〝害悪〟に苛まれ、夜も更け切って深夜になっていたせいか、昔ながらの紙に印刷された活字は、疲れた頭に渇を入れるかのように〝効いた〟。小難しい文体で書かれた歴史書であったことも程よく脳を鍛え、揉みほぐし、良い意味で疲れさせてくれたのかもしれない。
気づくと私は強い眠気を覚え、静かにその本を閉じて灯りを消し、その後はすんなりと自然な眠りに落ちたのだった。
これには正直、驚いた。
それ以来、この頃は毎晩少しずつ〝紙の本〟を読んでいる。読み始めるまでに、習慣からついスマホを見てしまうこともあるが、気をつけて短時間に留めることが出来るようになった。
〝紙の本〟からはブルーライトも磁気も出ていない。
そのことは、体がはっきり教えてくれた。
ところが、これにも問題はある。
「夜暗い灯りの下で本を読むと目が悪くなる」
とは確かに昔からよく言われていることだ。
それは本当である。けれど、若い年代なら単に視力が落ちるとかその辺の心配だけをしていればいいが、年齢を経た者にとってはより深刻な問題が発生してきたりする。私が実際しばしば体験しているエグい症状があるのだが、面白くてつい長時間(1時間以上も)読み続けてしまうと、翌日眼球の血管が切れて(怖いですね)、眼球の半分近くを占めるほどの酷い充血をするようになった。
こうなると紛れも無いホラーで家人にも怖がられるので、そうならないようにほどほどにしようと思っている。
でも、ついモードに入って熱中してしまうと読み続けてしまうのは、困った問題だ。読むために最も必要である目を損なっては元も子もないのに。
そこは最優先に考慮しなければならないことだと、改めて自分に釘を刺す。
読書=毒書にならないよう気をつけつつ、深夜の楽しみを続けていこうと思っている。