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【縣青那の本棚】 サンショウウオの四十九日  朝比奈 秋

一言でいうなら、とても〝読みごたえのある〟作品だった。

正直言うと、普段あまり芥川賞受賞作というものを読もうという気にならない。読むとしたらかなり気まぐれなチョイスで、しかも話題になっている間にその気になってたまたま手に入れることができたものだけ……といった感じ。一般の読者の態度とすれば、普通ではないですか。

これまでに読んでみた芥川賞受賞作品は、数えるほどしかない。平野啓一郎の『日蝕』、又吉直樹の『火花』、古川真人の『背高泡立草』ぐらいだ。
(他にもあったかもしれないが、覚えていない)

ところが今回(令和6年上半期)の受賞作、2作品あったわけだが、どういうわけかこの二つとも「読んでみたい!」と激しく食指が動いた。何故いつもは読もうという気が起きないのに今回に限ってそういう気になったのかと言えば……、これはもう、勝手気ままな〝野生の勘〟とでも言う他ない。シンプルに、直感的に何かを感じたようだ。

受賞作のタイトルは、『サンショウウオの四十九日』と『バリ山行』。本当言うと、ずっと個人的に持っている登山への憧れから『バリ山行』の方がより読みたかった。こちらの作品は、メルカリで文藝春秋が安く買えたので(笑)、ついで・・・に……といった横着な気分で読み始めたものだった。
(朝比奈さんごめんなさい m(-_-)m )

ところが。この現役医師でもある朝比奈 秋氏、なかなかガツンと来る筆力の持ち主。もちろん私などが言うまでもなく、だからこそ芥川賞を受賞されたのだろうけれど。

決して水のようにスラスラと流れるような文章ではないのだが、そこがまたいい。ひとつの段落の中に、沢山の場面と印象イメージが詰め込まれているスタイルは好みだった。
緻密な表現で織り成される日常的な場面が、スローな展開で進んでいく。そしてその間に姉妹の代わる代わるの回想や思考が挟み込まれているので、物語全体のペースは益々遅くなる。

姉妹の父親が、母親の子宮内で兄の体に取り込まれて生まれた「胎児内胎児」だったという話からしてもう面白かった。だが更に読み進めていくと、姉妹が体の中心でくっついた「結合性双生児」であることがわかってくる。しかも半身と半身は完全な個性を持っていて、顔も体もそれぞれ少しずつ違う。姉のあんは面長、妹のしゅんは丸顔と、はた目に見てもその違いは確認できるほどだという。

現実にはまず有り得そうにないこの双子の姉妹は、1つに見える、だが不規則な境界線で繋がったいびつな体を共有しながら、互いに共存し、補い合いながら生きている。

物語の半分は、姉妹の幼い頃から29歳の現在にかけて過ごしてきた時間への追憶といった印象だ。でもそれが、この奇特な体で生まれた双子の経てきた歴史なのだ、と、興味深く読んだ。

小説全体の動きはと言えば、体内に宿した弟(姉妹の父親)から赤ん坊の時養分を取られまくっていたせいで虚弱体質で育ってしまって、成長してからも何かと病気がちだった伯父が亡くなり、伯父の住んでいた岡山まで葬儀と火葬の為に行った後、四十九日の納骨の為に祖父母がまだ健在の京都まで行く、というだけのことだ。
しかも物語の内容は、姉妹の独白と父母や祖父母といった家族とのやり取りだけで構成される。

けれどそれだけに、このシンプルな骨組みの中に詰め込まれたドメスティックな家族の歴史、医学的知見や哲学的な考察はボリュームがあり、かつ興味深かったと思う。

ただ、作中に2箇所ほど、伏線回収ができてないなあ……と思うところがあった。
ひとつは、実家から自分達のアパートに帰った姉妹が風呂に入った時のシーン。突然出血し、浴槽も体も血まみれになる。どうやら生理のようだが、

 ふと、何かが剥がれた感触がした。視線を落とすと、浴槽が真っ赤に染まっている。お湯も鮮やかな血色で、何より鏡に映る体が血まみれになっている。

……血塗れの全身と血だまりの浴槽は生理の始まりが見せた幻覚だったのだろうか。いや、あれは生理の実感的な鈍痛とは違って、遠くて、しかし、鋭い痛みだった。はるか遠い場所で何かが引き裂かれたようなもの。全身を覆っていた血もさらさらとした鮮やかな血だった。

サンショウウオの四十九日 

とある通り、この時に二人が見たイメージは、どうも生理によるものではないようだ。
もしかするとこれは母親のお腹の中で引き裂かれた時の記憶……二人は一旦半身に引き裂かれて、その半身同士がくっついたのではないだろうか。それぞれの残りの半身は、子宮の中で消滅してしまったとか。
だからそのイメージは、二人の胎内記憶がフラッシュバックしたものだったのではないか、と思ったのだが、考え過ぎだろうか。
けれど、最後までこれを説明するようなくだりはなかった。

もうひとつは、京都の祖父母の家で扁桃腺を腫らした瞬が、幽体離脱したような状態になった時のこと。
瞬は実際に死にかけていたのだろうか? それで瞬の魂だけが体から抜けて、本を読む杏を見下ろしていたのだろうか? それとも、それも幻覚だったのか。明確にはわからなかった。


こんな風に、ちょっと ? な部分もあったけれど、全体的に面白く読めた。サンショウウオというアイコンの意味が読む前は謎だったけれど、読後には杏と瞬の組み合わせをもその中に含有する陰陽のイメージだということで、なるほどと腑に落ちた。

朝比奈 秋さんの他の作品も読んでみたいな、と思った。


今手元にある文藝春秋に掲載されているもうひとつの芥川賞受賞作『バリ山行』は、ただいま堪能中。読み終わって感想が固まったら、改めて書こうと思います。

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