【怪談】 一文峠
私の地元には、「一文峠」と呼ばれている土地があります
今は周りに家が建ち、地形も変わってしまって峠の体裁を成していないのでわかりにくいのですが、
昔は村の人はその峠を越えて隣村と行き来していたそうです
この峠には関所があり、通る人があるごとに通行料を取っていました
その料金が1文だったことから「一文峠」と呼ばれていたそうです
もっとも、「1文」といえば、銭の最小単位と言われているので、通行料と言っても人々にとって大した負担にはなっていなかったと思われます
ちょっとググってみたところ、現代の感覚で言うと50円弱といったところでした
昔から一文峠の名前の由来はそういうことで通ってきたのですが、最近、それとはちょっと違うのではないかという話を聞いたので、ここでお話ししようと思います
数ヶ月前のことです
雨の降る、ある秋の晩でした
温帯性の風が吹き込んでいるせいか、やけに生温かい夜で、そんな中をひとりの男が家路を急いでいました
男はその晩、いつものように友人達と集まって飲んだ帰りでした
男の家は居酒屋から歩いて15分ほどのところにあり、傘を持ってきていなかったので近道をしようと、いつもは通らない一文峠を通るルートで帰ることにしました
かつては峠と呼ばれたその場所も、江戸の終わりから明治の始め頃にかけて大規模な土木工事が行われたそうで、今では勾配の緩い坂道といった程度のものになっています
男は、早まる雨足に急かされるように小走りになって、一文峠の辺りにさしかかりました
雨は秋に特有の、直線的にザーザーと強く降る雨で、あっという間に男はびしょ濡れになってしまいました
しかも夜のこと、前方を見るのもままならないほどの本降りの雨の中、男は酔いの回った頭で転ばないよう慎重に坂道を登っていきました
一文峠の辺りは国道から入り込んだ路地のような細い道になっており、当然よく舗装もされておらず、雨が降るとひどいぬかるみが出来るのでした
そのぬかるみに足をとられないよう、男は雨に濡れながらゆっくりと進んでいきました
と、そのとき、突然後ろから奇妙な声が聞こえました
細い、けれども力強さを感じさせる、どこか聞き覚えのあるような声でした
……オギャア……
「赤ん坊の声だ!」
男は思い当たりました
赤ん坊の声というのは、猫の声と似ていて、聞き間違いをすることがよくあります
ちょうど秋口の、猫が発情期を迎える時期だったので、最初は猫が鳴いているのかと思っていましたが、何度か聞く内に、どうもそれは猫ではない、人間の赤子の泣き声だということがはっきりしてきました
オギャア…… オギャア……
オギャーーーッ!!
しかもその声は、強く何かを求めるような、情感のようなものを持っていて
追いすがるようにどんどん大きくなってくるのです
〝赤ん坊〟は悲壮なほどの意志を込めた泣き方で、迫りくるように背後に近づいてきました
「えっ……、えっ、……何だよ」
その勢いに圧倒されそうになりながら、恐怖のまなざしで、男は振り返りました
オギャアアーーーーーーッ!!!!!!
見ると、そこにはぬかるみいっぱいに
無数の真っ黒い赤ん坊がひしめきあって、
小さな手足をばたつかせながらこちらに迫ってきているのでした
「う、うわあーーーーっ!!!」
たまらず大きな悲鳴を上げて、男は前を向いて走り出しました
後ろからものすごい勢いで赤ん坊たちが追いかけてきていると思うと、背筋がゾクゾクして恐怖で体が引きつるのを感じたと言います
激しく地面を叩く雨の中、前も見えず暗闇に向かって突き進んでいると、
前方にフワッと小さな灯りが灯りました
「何だ?」
目を細めてその正体を確かめようとすると、その灯りは次第に大きくなり、ドッジボールぐらいの大きさになったそうです
そしてその中心にしっかりと座った、お地蔵様の姿が見えました
お地蔵様はこちらにまっすぐ向かってきて、男のいる方へどんどんどんどん近づいてきました
ホギャアーーーッ!!!
引き絞るような声で泣き続けていた赤ん坊たちは、
一斉にひときわ大きな声を上げました
そうする内にもお地蔵様を中心に抱いたその〝光〟は男の脇をかすめ、
赤ん坊たちのいる方へスピードを上げて飛んでいきました
思わず男が振り返ると、お地蔵様の〝光〟は男の目の前でバーーーッと
赤い炎となって燃え上がりました
その向こうでは、あの赤ん坊たちの泣き叫ぶような悲鳴が立て続けに起こりました
それはまるで断末魔のような、悲痛な叫びだったそうです
男は無我夢中で走り続け、家に着くまで振り返りませんでした
家では妻が起きて彼の帰りを待っていました
男は早速今起きたばかりの恐ろしい出来事を妻に話して聞かせたそうです
翌朝、雨が止んだので、彼は妻と一緒に一文峠に戻ってみました
峠の坂道は一面ぬかるみと化しており、ところどころに水溜まりが出来ていました
が、昨晩の出来事がまるで嘘だったかのようにシーンと静まり返っています
朝の光を受けて、水溜まりの水が綺麗に光ってさえいました
「あ、見て」
不意に、彼の妻が何かを指さして言いました
妻の指の先には、ぬかるみの道の上に、
おびただしい数の小さい手や足の跡が残っていました
その大きさはちょうど1文、現代の単位で言うと2.4~2.5cmくらいの大きさだったそうです
男と妻は、それが「一文峠」という名の本当の由来ではないかと思ったそうです
……話を聞かせてくれた人によると、江戸時代やそれ以前の昔、この峠ではよく水子の亡骸が埋められていたそうです
月足らずで生まれて亡くなってしまった子や、不幸にして流れてしまった子……中には口減らしの為に、親の手で堕胎するということもあったといいます
そういった土地であるので、昔はお地蔵様が祀られていたそうですが、
地震による被害や時代の流れによって、いつしか失われてしまったのだそうです
この世に生まれてきたかったのにそれがかなわなかった水子たちの魂が珍しく通りがかった大人の人間を見て
親の愛を欲しがって現れたのかもしれない、ということでした
一文峠は、確かに今では周りを住宅に囲まれてはいますが
未舗装の小さな路地ということで普段は滅多に人通りの無い土地になっています
なので、今でも大人の人間がそこを通ると、浮かばれない水子たちの霊は
親が来たと思って取りすがりたくなるのでしょうか
そして
今でもお地蔵様は、その子どもたちの魂を鎮める為に
その場所にいるのでしょうか
……この話を聞いた後、私は何か腑に落ちない違和感のようなものを感じました
それは、お地蔵様と水子たちの関係性についてです
話では、お地蔵様は水子たちの前に来たとき、赤い炎となってバーッと燃え上がったと言いました
心霊現象において、赤はよく〝怒り〟を表わす色と言われます
子供の魂を庇護するはずのお地蔵様が、なぜただでさえ不憫な水子たちの霊に対して怒りを表わすのでしょうか
それに、お地蔵様が登場してからのち、水子たちの霊は泣き叫ぶような、
断末魔のような悲鳴を上げたと言いました
お地蔵様は、水子たちに何をしたのでしょうか?
本来は子供たちの霊を鎮め、庇護する存在であるはずのお地蔵様に
その水子の霊たちはなぜそれほどにおびえなければならなかったのか……
いったい、そのお地蔵様は、本当にお地蔵様だったのでしょうか
江戸時代の終わりから明治時代の始めにかけて大規模な土木工事を行って、一文峠はよりなだらかな坂道に作り替えられたそうですが
交通の要衝といったわけでもない小さな峠道に、普通そこまでのお金と労力を費やすでしょうか?
地形を変えてまで、なぜそのような工事をしなければならなかったのでしょう
更に、1文の通行量を取っていた、という話も、よく考えてみれば不自然な感じがします
田舎の村の片隅の小さな峠を通るのを、
しかもたった50円足らずの通行料を取って
有料にする必要があったでしょうか
おそらく、元々は水子の足のサイズから「一文峠」と呼ばれていたのだろうということはわかりました
けれど、なぜそれを覆い隠すかのように、昔峠越えに1文取っていたなどとわざわざ言い伝えたのか
いつ頃、なぜお地蔵様は無くなったのか
もしかしたら、故意に撤去した可能性も、 なくはないでしょうか?
……ですが、男が遭遇した出来事からすると
お地蔵様も水子の霊たちも いまだに一文峠に存在していて
その謎の関係性を繰り返していると言えます
この土地でいったい何があり、浮かばれない霊たちがなぜ更に苦しめられなければならないのか……
考えれば考えるほど謎は深まり、理解の領域を越えていきます
一文峠は、住民に使用されなくなってから何十年にもなる古い土地です
地域の歴史に詳しいお年寄りも近ごろではほとんどいなくなり、話を聞くということも難しくなっています
なので事実を全て明らかにすることは出来ず、真相はわかりません
ただひとつ言えるのは
「一文峠」についての謎は、
公には出来ないことなのかもしれない、ということだけです