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映画『マッドマックス:フュリオサ』感想 前作の行間から広がった前日譚

 『怒りのデス・ロード』への解像度を上げることに徹した見事な前日譚。映画『マッドマックス:フュリオサ』感想です。

 核戦争による世界の崩壊から45年、わずかな自然が残る「緑の地」で暮らす少女フュリオサ(アリーラ・ブラウン)の前に、外から侵入した凶暴なバイク集団が表れる。バイカーたちは、フュリオサをさらって、ボスのディメンタス(クリス・へムズワース)の元へ向かう。フュリオサの母であるメリー・ジャバサ(チャーリー・フレイザー)が追跡して娘を取り戻すが、ディメンタスの軍団に捕らえられ、フュリオサの眼の前で母は殺されてしまう。ショックで口の利けなくなったフュリオサは、ディメンタスの娘として囚われの身となった。
 ディメンタスの集団は、イモータン・ジョー(ラッキー・ヒューム)が統治する砦「シタデル」に辿り着き、エネルギーの要である地域「ガスランド」の占領に成功する。ディメンタスとイモータンは同盟を組むことになるが、同盟の証としてイモータンの妻の1人となるべくフュリオサが差し出される。成長したフュリオサ(アニャ・テイラー=ジョイ)は、イモータンの支配から密かに脱け出し、髪を切り落として顔を隠し、シタデルでメカニックとして働き始める。ディメンタスへの怒りと殺意だけが、彼女を突き動かしていく…という物語。

 ジョージ・ミラー監督の名を知らしめた名作『マッドマックス』シリーズ。27年振りに製作され、さらに新たな評価を獲得した『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、その前日譚を描いたのが本作『フュリオサ』になります。

 『デス・ロード』は公開当時に観に行っていて、『マッドマックス』シリーズを観た事もなかった初心者なのに、滅茶苦茶面白くて、まんまとハマったものでした。世界観やアクションは過剰なのに、肝心の部分は行間で想像させるという、映画的手法の両極端を、両立させているというところに非常に感動をしたんですよね。今作は『デス・ロード』のマックスと並び、主人公と言ってもいいポジションだったフュリオサの生い立ちを描いたものということで、まさにその行間を明かすものという期待がありました。

 冒頭の、少女期のフュリオサがさらわれてからの追跡劇からして、アクションスペクタクルとして満点の出来ですよね。フュリオサの少女ながらのクレバーさ、この娘にしてこの母ありというようなメリー・ジャバサの戦闘能力の高さ。これが単純に面白いし、前作のシャーリーズ・セロンによるフュリオサに繋がることを知っている人にとっては、物凄く説得力あるものになっています。オープニングとしては申し分ないものになっています。

 ただ、今作の敵役であるディメンタスのキャラクターは、歴代シリーズの敵役に比較すると、ちょっと小物感があるというか、悪役としてわかりやすいキャラ造形になっています。『マッドマックス2』のヒューマンガスや、『デス・ロード』でのイモータン・ジョーは、暴虐の王でありながらも、理知的であるという、ある意味で最悪の為政者だったわけで、そこの面白さもあったんですよね。

 けれども、それは意図的なものであり、あくまで本作は「前日譚」に徹した作りになっているという結果なんだと思います。はっきり言って、名作にして大作だった『デス・ロード』に比較すると、全体的な抗争自体も若干規模は小さいものになっているように思えますが、『デス・ロード』の前哨戦というものを描くことで、前作が矮小化されることもないし、変に齟齬が出来ることを防いでいるように感じられます。そしてボスキャラが若干の矮小的になることで、連載バトル漫画がインフレーションしていくような繰り返しになることを防いでいるんですよね。過剰になりがちな映画なのに、そういうクレバーさが今作にもあって、シビれる嬉しさを感じました。

 前作よりも規模が小さいとはいえ、普通のアクション映画にはないメチャクチャな発想の攻撃はいくつもあるし、ウォーボーイズだけでなく、基本的に戦うヤツらは全員命知らずのバカという不文律も健在です。走るバイクとパラシュートを繋いで、凧のように攻撃仕掛けるとか、テンションの上がる驚きはありますが、攻撃が成功したとして、どう生還するつもりなのか、全くわからないんですよね。特攻部隊であるウォーボーイズが命を顧みない恐ろしい奴らみたいな扱いになっていますが、他の人間たちも充分命を軽んじているし、アホなので、どれだけ死が描かれていても、カラッと乾いた雰囲気になっています。

 ただ、乾いた死によって暴力が肯定されるわけではなく、あくまでそれが愚かなものであるという否定のために描かれているものになっていると思います。この辺りも前作からのテーマを引き継いでいるし、フュリオサの正義感、狂っていないと生き残れない世界で抗う正気(=狂気)が、今作で培われたものであるということが、しっかりと描かれています。
 そして、今作で描かれた事実を踏まえて『デス・ロード』で描かれていたフュリオサのシーンを思い出すと、非常に身につまされるものがあります。まさしく、前作の行間で描かれていたものが、今作によって顕在化したものになっていると思います。アニャ・テイラー=ジョイの眼力が、その役割を大いに果たしていて、素晴らしい演技になっています。

 けれども、不満が無い訳でもなく、ディメンタスとの因縁ばかり描きすぎていて、肝心のイモータン・ジョーとの因縁が「あ、それだけなの‥?」と思ってしまったところはあります。前作での「Remember me?」という台詞が今作にも登場しますが、イモータンとの因縁がこれだけなら、ちょっと前作での台詞が軽くなってしまうようにも思えます(決め台詞として気に入ったから使った、みたいな)。

 とはいえ、フュリオサの家族を喪った生い立ちが、ディメンタスも同じ境遇であり、さらにはマックスの過去とも重なるという設定は、やはり一貫していて見事なものです。全員、同じ絶望を味わっていて、その後、それぞれがどのような選択をしたのかというシリーズ共通のテーマになっているように思えます。

 ちょっと軽くネタバレに触れますが、ラストの復讐は完全に『幽遊白書』の、むくろのエピソードをオマージュしたものですよね。今作でようやく気付いたのですが、フュリオサのキャラモデルって、前作からむくろだというのはあちこちで言われていたようですね。こういう日本漫画のオマージュが海外作品に出ると、無条件で嬉しくなってしまいます。

 次作はマックスの前日譚になると噂されているそうですが、もう完全に『サンダードーム』以前のメル・ギブソンのマックスと、『デス・ロード』からのトム・ハーディのマックスは別人というスタイルになっているんだと思います。そうすると、ジョージ・ミラー御大以外でも、いくらでもエピソードが創られていきそうですが(まさしくマッドマックス・神話サーガ?)、この暴力を描くことでの暴力の否定、抑圧された女性を描くことでのフェミニズム、ある種の奇形なものに対する愛着など、引き継いでもらいたい要素がたくさんありそうです。現代が後世に残す神話として、まだまだ楽しませてもらいたいと思います。


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