映画『蛇の道』感想 理不尽なオカルト風味が小気味良い
リメイクだからなのか、昔の理不尽ホラーな空気が懐かしい。映画『蛇の道』感想です。
『CURE』『回路』『スパイの妻』などで知られる巨匠・黒沢清監督による最新作。1998年に自身が手掛けたVシネマビデオ作品『蛇の道』を、セルフリメイクした映画で、自ら「最高傑作ができたかもしれない」と公言するほど手応えを感じているそうです。元版を観たこともなかったのですが、それならば真っ新な気持ちで観るのも一興と思い、鑑賞に臨みました。
黒沢清監督といえば、『CURE』が最初に評価されているので、その不条理な恐怖演出が持ち味だと思いますが、元版の『蛇の道』も『CURE』の翌年に発表されているからなのか、本作もかなり『CURE』に近い空気を感じるホラーになっています。
物語舞台が日本からフランスに置き換わり、哀川翔さんが演じていた謎の協力者を、柴咲コウさんが演じる女性にするという変化がありますが、柴咲コウさんありきで作られたリメイクのように思えます。このはっきりとした目鼻立ちが、ホラー栄えする顔ですよね。
小夜子が精神科医であり、その患者である吉村(西島秀俊)とのやり取りも、どこか『CURE』の雰囲気を感じさせるし、その結末も『CURE』的なものになっています(逆に、『CURE』を観ていない人は、何の役割があるエピソードなのかわからないと思う)。
そういうわけで、本作もその流れを汲むホラー、スリラー映画のジャンルに位置してはいますが、個人的にはどこかユーモラスな雰囲気を感じ取ってしまう部分があります。冒頭から中盤にかけては、とにかく拉致監禁を繰り返す監禁スリラーなんですけど、バシュレの手際のモタつきや、それでも目撃されることなくラヴァルやゲランの拉致に成功してしまうご都合展開が、何となくマヌケな空気を感じさせます。
その後のバシュレと小夜子による拷問は、身体を傷つけるゴア描写がなくとも、なかなか精神的にはエグいものだと思いますが、真っ向から否定をしている相手にしつこく繰り返されることで、シチュエーションコメディのような雰囲気になっていくんですね。松本人志のコント作品『VISUALBUM』にありそうなものに思えてきました。
ホラー、スリラーと考えれば、こういった部分は作品としては瑕疵に思える人もいるのでしょうが、個人的にはなぜか、この部分に映画的なものを感じて、嫌いじゃないんですよね。理不尽な空気は恐ろしい雰囲気とも繋がっていて、まさしく恐怖と笑いは紙一重というものを表現しているようでもあります。
後から知ったのですが、元版の脚本が高橋洋さんなんですよね。『リング』『女優霊』の脚本を務め、『ザ・ミソジニー』の監督でもあるので、それを知って今作の空気感に納得しました。筋書きだけなら、サイコホラー、ミステリースリラーのような感じなのですが、それらよりは、どこか「オカルト」な雰囲気を感じるものがありました。これは元版の脚本が高橋洋さんである部分が大きく、そこの空気が損なわれていないということなんだと思います。
終盤にかけては怒涛の展開で、全てを説明しつつも、どこか理不尽で歪な部分が大きく、正直きちんとまとまっているとは言い難いクライマックスになっています。あんな猟奇的な組織に多くの人が集まるのが疑問だし、ラストで明かされる真相で(ここの柴咲コウさんの眼、最高!)、出てくる人物全員が娘の死に関わっていたというのも、過剰なものに思えます。ただ、それが本作の魅力でもあり、オカルト的な面白さに繋がっているように思えます。正直、胸糞悪い物語でしかないわけですが、流石に現実感はないので、それほど鑑賞後の不快感は少ないんですよね。何なら「楽しい映画観たな」くらいの気持ちになれました。
トンデモ展開にすることで、ちゃんと「この作品はフィクションです。実在の人物・団体とは関係ありません」ということを、無粋にならずに入れているともいえます。実際の苦しみ・恐怖・哀しみを描くことで訴えることも映画の役割ですが、現実にはあり得ないことで、いろんな感情をエンタメ体験するというのも、映画の役割だと思います。