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アニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』感想 幻想的な児童アニメに忍び寄る戦争の足音

 『ほかげ』『鬼太郎誕生』と同時期に公開された意味を考え続けています。アニメ映画『窓ぎわのトットちゃん』感想です。

 好奇心旺盛でお話することが大好きなトットちゃん(声:大野りりあな)は、落ち着きがないことを理由に通っていた小学校を追い出されてしまう。自由が丘にあるトモエ学園に通うこととなったトットちゃんは、電車車両の教室と、ユニークな教育方針を持つ小林校長先生(声:役所広司)を気に入り、のびのびとした学園生活を送る。だが、時代は次第に戦争へと向かい始めていた…という物語。

 1981年刊行以来、ベストセラーとなり、今なお名作として読み継がれている、黒柳徹子さんの自伝小説をアニメ映画化した作品。劇場版の『ドラえもん』などを手掛けている八鍬新之介監督によるもので、子ども向けの道徳アニメかと思っていたところ、尋常じゃない評価の高さを目にして、観に行くことにしました。

 予告編だけだと、道徳的な雰囲気で、絵柄は昭和の児童書挿絵をモチーフにした、言ってしまえば古臭い画に思えるんですけど、これが良い意味で予告詐欺になっていて、見事にその見くびりを裏切られてしまいました。

 まず、トットちゃんの子どもらしい動きのリアリティが、動画としてとんでもないレベルなんですよね。子どもの体重を感じさせる軽やかさ、動くだけで楽しい年頃の動きを再現しているのは、ジブリ作品に匹敵するアニメーションになっています。現実的の度合いだけで言えばジブリ以上かもしれません。特に、雨の日にトットちゃんと泰明ちゃん(声:松野晃士)の指先が真っ赤になっていることで、いかにその日が寒かったかを伝えてくれていて感嘆しました。子どもの頃に、寒い日は自分の指もそうなっていたのを、一気に思い出させてくれました。

 基本的な物語の筋である部分も、充分に傑作のレベルになっています。学習障害や、身体障害のある児童が集まるトモエ学園の教育方針は、現代でも通用するような説得力があり、教育の参考として、学校教材としても使えそうなものです。
 それでいて、きちんとキャラクターの関係性、特にトットちゃんと泰明ちゃんの友情には、誰もが幼い自分を重ねつつ、こう在りたかったという理想像なものが描かれていると思います。それを道徳の説教としてでなく、キャラクターが生きている物語として表現出来ているんですよね。

 ただ、本当に凄いのは、その理想的な世界が生み出されている物語に「戦争」という理想とは程遠い現実にある出来事を絡めている部分だと思います。ただの時代背景ではなく、この作品が戦争映画として作られるのが巧妙に隠されていて、後半に向かうに連れ、段々と表出していく仕掛けになっています。

 そのじわりじわりと生活が変わり、戦中に向かっていく雰囲気は、何も演出だけの問題ではなく、現実的にもそうだったという説得力があるんですよね。何時の間にか変わっていく法律、社会の空気、同調圧力を強いられる描写は、ある日急に生まれたものではなく、ずっと水面下で進行していて、気付かなかっただけというのは、普通に生活している我々の日常への警鐘になっています。

 そして、後半にある人物の死によって、それが表出するという演出になっているんですけど、ここからの流れは圧巻の出来になっています。
 その人物の死に顔は、ひと目見て「アッ死んでいる」と思ってしまったくらいに、ちゃんと死んでいる人の顔をしているんですよね。葬式を体験している人なら、誰しもが感じる「死」の顔を、アニメで表現しているのは初めてかもしれません。大体は、キレイな顔をしていたり、眠っているような死に顔だったりしたんですけど、明らかにこのシーンで登場しているのは、死後数日経っている人の顔でした。

 その「死」をトットちゃんが知ることで、死地に兵士として若者を送ること、戦争ごっこに興じる子ども、戦地でかけがえのないものを喪った人々たちの姿で、現在の日本がどういう状況にあるか気付くという演出は、そんじょそこらの戦争を描いた作品よりも、はるかにエグいものに感じられました。片淵須直監督の『この世界の片隅に』や、塚本晋也監督の『野火』と並ぶくらいにショックを受ける描写になっています。直接的には残酷なシーンは描かれませんが、それまでの牧歌的な世界観からのギャップに、作中のトットちゃんと同じく、観客が「気付かされる」という演出になっています。歴史的な事実としての時代背景を知っているが故に、知っていたのに「見て見ぬ振り」をしていたような気持ちになるんですよね。これも、現在の世界の歪に気付きながらも普通に暮らしている私たちへ向けてのものに感じられます。

 焼けてゆく校舎を見ながら小林校長先生が呟く台詞、実際に口にされた言葉だそうですが、とてもポジティブなものではありますが、その眼には狂気の光が宿っているという演出になっています。戦争という狂った事象に相対していくには、こちらも狂気性を纏うしかないということなのかもしれません。
 この物語を、普通に素敵な女の子のお話として終わらせられなかったのは、この時代の罪であり、私たち人間が引き受けていかなければならない罪悪であるように感じます。

 トットちゃんが枠に収まらずに良しとされなかった、自由に好きな時におしゃべりをする姿は、本来の人間のあるべき姿の象徴で、それを狭めようとする存在が「戦争」や、勝手に作られた得体のしれない「社会」というものであると描いているように感じられます。
 2022年の「徹子の部屋」にゲスト出演したタモリが、「新しい戦前」という言葉を使ってから、今の時代を名付けてしまったかのようですが、まだ踏み止まって引き返すことは出来るはずと、この作品はそれを示してくれるものになっています。


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