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映画『憐れみの3章』感想 漆黒のブラックユーモアで描く支配構造

 ジョークとしては不謹慎過ぎる感じがするけれど、メッセージとしては誠実な気もするオムニバス。映画『憐れみの3章』感想です。

第1話 R.M.F.の死
 ロバート(ジェシー・プレモンス)は、10年以上に渡り上司のレイモンド(ウィレム・デフォー)に従って生きている。それは仕事のみならず、日々の食事・行動・性交の有無など、あらゆる全ての営みを指示通りにする日々だった。ロバートは、ある中年男性を交通事故で死に至らしめる指示を出されるが、どうしても出来ずにレイモンドに謝罪を入れて拒否する。レイモンドはその意見を受け入れ、ロバートを自由にするが、それはロバートにとって全てを失うことを意味していた…。
第2話 R.M.F.は飛ぶ
 警察官のダニエル(ジェシー・プレモンス)は、海で行方不明となった妻のリズ(エマ・ストーン)を想い、悲嘆に暮れている。同僚で親友のニール(ママドゥ・アティエ)らの慰めも届かない。だが、奇跡的にリズは無事に救助され、ダニエルの元に戻る。姿形は変わらないリズだったが、どこか違和感を抱くダニエルは、生還したリズは偽者と信じ込むようになる…。
第3話 R.M.F.サンドイッチを食べる
 カルト集団の信者であるエミリー(エマ・ストーン)は、アンドリュー(ジェシー・プレモンス)と共に、組織集団を導く運命の女性を探し続けている。頑なに信じる夢のお告げでは、双子で片方を喪っている、死人を蘇らせる力ある女性という条件だが、それを満たす人間はなかなか見つからない。ある日、エミリーは元夫のジョセフ(ジョー・アルウィン)と娘と久々に顔を合わせる。ジョセフの食事の誘いをエミリーは固辞するが、娘への情を捨てきれず、誘いに応じるが…。

 『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』など、アカデミー賞に名を連ねることも多いヨルゴス・ランティモスによる最新監督作品。『哀れなるものたち』が、日本では今年公開されたばかりだったので、あまり間を置かずに新作が届けられた印象があります。

 作品は、3つの物語からなるオムニバス形式になっており、それぞれで全く別個のストーリーになってはいますが、エマ・ストーンやジェシー・プレモンス、ウィレム・デフォーなど、主要キャストは3つの物語に必ず登場する共通キャストとなっていて、それがまた不可思議な雰囲気を強調させているように思えます。

 実際、この作品は不可思議どころか相当に難解な雰囲気になっていて、アカデミー賞で話題となった『女王陛下のお気に入り』『哀れなるものたち』と比較しても、かなり雰囲気が違い、掴みどころ、捉えどころのない作品だと思います。ただ、前2作は脚本がランティモス監督とは別で、原作ものだったりもしていたので、本作でがっつりランティモス監督自身が脚本を書いていることを考えると、この作品こそが本来の監督の空気なのかもしれません。

 軽い比較対象になってしまいますが、3本とも『世にも奇妙な物語』にテイストは近いものがあります。ただ、導入や設定で描かれている違和感、非現実感は、特に種明かしされることなく、説明されないんですよね。終わり方も全てを解釈に委ねるというような、投げっぱなしのものになっているので、難解な印象を抱くのだと思います。

 ただ、テーマとしては3つ全て共通する部分があるように思えます。全て、支配するもの、それに従うものを描いていると解釈出来ます。
 第1話は顕著ですが、上司(なのか?)の指示に従う男を描いていて、その指示範囲こそ、人生の営みそのものという突拍子もないものですが、資本主義に従い続ける労働者という図式に見えなくもないです。なぜ指示を出しているのか、なぜコントロールし続けようとしているのかは全く説明されないのですが、そうすることで、より寓話性が高まる仕掛けとしているように思えます。

 第2話が最も難解に思えるというか、本当に観る人によって解釈が分かれるものになっていますね。これも「支配」というキーワードにこじつけるなら、夫婦関係が不均衡なものになる場合の支配する者/される者を描いたのかもしれません。妻の幻想に囚われた夫が支配される者なのか、変わってしまった妻(あるいは妻に成り代わろうとした「何か」)なのか、もしくはその両方だったのか、グロテスクさとハッピーさを同じ画面で提示してくるエンディングは、理解出来なくても、強烈な印象が残ります。

 第3話は、非常に皮肉めいていて、ブラックユーモアとしてわかりやすい物語になっているものです。これもカルト集団に支配されている女性を描いていますが、最も自主的に支配されにいっている人間という印象があります。
 随所で強調されるエミリーの異常なスピード運転は、明らかに笑わせようとしているコメディ部分なんですけど、支配され続けた人間の抑圧がここで吐き出されているという描写にも思えます。
 家族を捨ててまで支配される側に行ってしまった母親と思わせておいて、その後の元夫の行動でそれがひっくり返るようになっています。実は、支配から逃れるために、また別の支配下に赴いたのかもしれないんですよね。
 かなり救いのない状況に思えるんですけど、カルト集団の儀式や、先述の運転シーンなどでかなりブラックコメディ的な印象が強く、少し笑える物語になっています。急に差し込まれるエンディングでのダンスシーンも、急すぎて現実感がなく、笑かそうとしているとしか思えませんが、ひょっとしたらカルトの儀式という設定なのかもしれないと思いついたりもしました(どちらにせよ、笑うしかない場面ですけど)。
 危険運転を伏線として酷すぎるオチが待っているのですが、一番わかりやすい結末だし、このオチで作品全体がブラックユーモアで作られたものだということを気付かせるものになっていると思います。

 支配する者/支配される者という物語で描いているのは、資本主義・社会規範・宗教などなど、何かに属して依存していなければ生きていけない人々(=我々を含んだこの世に生きるほとんどの人間)であり、それを総じて滑稽に描いた物語なんだと感じました。

 そして、全編で登場する脇役ながらも重要な役割を持つR.M.F.(ヨルゴス・ステファナコス)という中年男性が、唯一その構造から外れている象徴的な人物なんだと思います。人知れず犠牲となり、人知れず蘇るその姿は、キリスト的であり、唯一、人道的な恩恵(ただの店のサービスという気もするけど)を受ける姿で、ほんの僅かに救い的な感情が生まれていたように思えます。

 全般的には不謹慎でイヤな気持ちになる映画ですが、ブラックジョークとしての描き方、R.M.F.の存在があることを考えると、やはり支配構造というものへの批判としてのメッセージがきちんとあるように感じられます。でも、それと同時に笑えないくらい不謹慎コメディがやりたかっただけなんじゃないかという気もしますが。

 観ている間は、不可思議過ぎて気付けないんですけど、観終わった後に笑えないくらい、黒で塗りたくったブラックジョークだったと思えるようになっているんですよね。観ている間が楽しいのも映画の醍醐味ですが、こういう後になってから気付きが多く、何度も記憶を反芻する作品も映画の醍醐味だと思います。非常にイヤな気持ちにさせつつも、とても豊かな映画体験となる作品でした。

https://www.searchlightpictures.jp/movies/kindsofkindness


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