映画『ぼくのお日さま』感想 人生にある穏やかな奇跡【ネタバレあり】
ちょっと終盤が不自然でしたが、穏やかで良い作品。ネタバレとしてますが、知っていて観ても問題ないタイプの作品だと思います。映画『ぼくのお日さま』感想です。
奥山大史監督による商業映画デビューとなる作品で、先日の山中瑤子監督『ナミビアの砂漠』と共にカンヌ国際映画祭に出品され、海外でも注目を集めた作品です。『ナミビアの砂漠』が非常に捻くれた皮肉的視点で描かれた作品だったのに対して、その真逆に位置する、とても真っ直ぐな視点で美しさを捉えた作品になっている印象でした。
まず、フィギュアスケートの動きが素晴らしい撮影になっています。タクヤが感じたように惚れ惚れするような美しさがあり、自分はあまり興味を持って見たことのない競技でしたが、確かに選手へ熱狂的なファンが付いてもおかしくないもののように思えました。
さくらを演じた中西希亜良さんは、元々アイスダンスの競技者で演技は初めてだそうですが、この作品を象徴するパフォーマンスを魅せてくれています。次第に上達していくタクヤを演じる越山敬達さんのスケーティングも素晴らしいですね。
そして、コーチ役の池松壮亮さんの演技は、氷上でもやはり凄いものですね。よく思い出すと、競技者としてのパフォーマンスを見せる場面は無いんですけど、ちゃんと滑れる仕草をしているし、競技者の雰囲気とか説得力が滲み出ている佇まいをしていると感じました。
そして、その3人がスケートリンクで滑る姿を照らす、窓からの淡い陽の光が、何とも言えない詩的な美しさで彩る映像となっています。この撮影の成功が、この作品の大きな魅力になっていると思います。大きな会場の照明ではなく太陽の自然光が、フィギュアスケートの魅力を際立たせるものになっていて、この映像を観ているだけで嘆息が漏れてしまいました。
物語はごくシンプルで、自然な流れのものとなっており、それがこの映像の美しさを邪魔しない効果になっているし、その自然で平坦な物語を美しく仕立てる相互効果になっていると思います。タクヤのさくらへの想い、さくらの荒川への想い、そして同性愛者である荒川と五十嵐(若葉竜也)のごく自然な関係性も、とても当たり前のものとして流れていく美しさがあるように思えます。
その中でも個人的にグッと来たのは、タクヤと友達のコウセイ(潤浩)のやり取りですね。思春期になる前の、悪い意味での男らしさに毒されず、お互いを肯定し合う関係性に本当に心癒されるものがありました。タクヤとさくらの練習で、コウセイが拍手をおくる場面は、何てことないシーンのように描いていますが、実はハイライト的な感動場面だと思います。
ここから若干ネタバレになりますが、終盤ではその美しさが一時的なもので儚く消えてしまうという展開をドラマにしているのですけど、それまでの自然的な流れがここで不自然なものに変質してしまい、あまり上手くいった脚本ではないように思えました。そこで持ち出される同性愛者への偏見というものも、ちょっと道具的な使われ方だし、何よりもその罪を少女に負わせて、その後に何の回収もしないというのは、何だか無責任に感じられてしまいました。偏見があるのは事実だろうし、描くべきものではあるんですけど、それに対する答えというか、何かしらの対応なり、カウンター的なものを提示してもらいたい気がしたんですよね。同性愛も異性愛も、自然なものとして描く前半部分の方がこの作品の空気に合っている世界観のように思えます。
スケートを続けることが、いずれまた3人の関係性が交わるということも想像出来ますが、ちょっとそれにしては余白が大き過ぎるかなと思ってしまいました。
とはいえ、タクヤと荒川のキャッチボールの場面。遠くに投げすぎたボールを取りに行くタクヤに荒川が「タクヤ、ごめん」と声を掛けるシーンなんかは、ちゃんと別の意味を持たせたものになっていて、ここの声の出し方なんかも池松壮亮さんの演技の魅力が凝縮された名演になっています。
吃音のタクヤが懸命に伝えようとする姿を、他の人物たちが伝えたいことをちゃんと伝えようとしない姿と対比させるというのも中々に見事なものだと思います。
人生の美しい一瞬を切り取って、とても可愛らしい美しさを魅せる佳作でした。