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映画『MINAMATA』感想 物語で伝える事と、消費される事の難しさ


 授業教材のような作品でした。映画『MINAMATA』感想です。

 1971年、アメリカの写真家ユージン・スミス(ジョニー・デップ)は、数々の報道写真の功績も過去のものとなり、今では酒に溺れて絶望する日々を送っていた。そんな折、日本のCM出演の依頼があり、通訳のアイリーン(美波)と出会う。アイリーンはユージンに、日本で問題となっている水俣病について、現地の水俣に訪れて撮影取材をして、世界にその事実を報道してもらいたいと依頼する。ユージンはアイリーンと共に水俣を訪れ、公害に苦しむ現地の人々、原因となった化学会社チッソと戦う人々をカメラに収め続ける…という物語。

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 1975年に発表されたユージン・スミスの写真集『MINAMATA』を基にして、その取材撮影の日々をアンドリュー・レヴィタスが映画化した作品。主演のジョニー・デップは製作にも名前を連ねています。

 水俣病については、小学校高学年くらいの社会の授業で、日本の四大公害として学んでいましたが、それきり改めて考える事って、そんなに無かったと思います。漠然と公害は恐ろしい罪という知識は得ていても、現在も水俣病で苦しんでいる人々がいるという事までには、あまり思い至っていなかったかもしれません。この作品を観た事で、その事実を考えるというだけでも、相当な意義のある作品だったと思います。

 こういう事実が消え去らないように残しておくためというのも、物語というツールの役割の一つだと思います。歴史が、事実を情報として学ぶだけのつまらないものと思われがちですが、歴史好きな人は物語に変換して頭に入れることが出来ているんだと思います。

 今作は伝記映画なので、その役割を果たす物語として創られた作品ですね。作りとしては結構淡々としていて、事実のみを伝えるような演出になっています。
 けれども、その一方で、史実と違う点が多々あるとの批判も起こっているようですね。水俣市も作品の後援を取り止めているそうです。あくまでも物語なので、多少の演出、脚色が入るのは仕方ないというか、あまり問題ではないと個人的には考えています。

 ただ、史実と違う覚悟で物語を創ったにしては、その要素が少ないのではと、逆に感じる部分もありました。ユージンの人間性やバックグラウンド、なぜ酒に溺れているのかなどは語られないため、彼が水俣の取材で、個人として何を受け取ったのかは、あまりはっきりと感じ取ることが出来ませんでした。その辺り、史実をはみ出して描いても良かったんじゃないのかなと思うんですよね。
 ユージンが村人に対して失礼な振る舞いをする時、アイリーンが無言で見つめて、行動を諫める場面が何度かありますが、この辺りは実際のエピソードにありそうなやり取りだと思います。
 けど、この作品の中のアイリーンとユージンは出会って間もない人間同士なわけで(史実の2人は、水俣を訪れた時点で既にパートナー関係だったようです)、アイリーンが無言の圧力をかける姿が、ユージンに対して図々しくないかと思ってしまったんですよね。この辺りにも、物語としての整合性が少し欲しかった気がします。

 物語のクライマックスは、有名な写真作品「入浴する智子と母」の撮影を成し遂げる部分なんですけど、そこに至るまでの人々の触れ合い、心の通わせ方は、すごく説得力があるものだったように思えます。住人たちと同じ生活をすること、チッソへの反対運動や交渉に参加することで芽生える共生意識が作品を生んだというのも納得できるものでした。
 この手法は、色んな原住民を撮影している写真家ヨシダナギさんが、その地の料理を食し、衣装を身にまとって心を通わせてから撮影をさせてもらうという手法によく似ているように感じました。撮影方法論としても理に適った描き方だと思います。

 一方で、この「入浴する智子と母」が、撮影されたご本人は表に出したがらず、権利を持っているアイリーン・スミスさんが今回許可をして、ご本人には事後承諾だったうという報道もあり、複雑な思いを抱いたのも事実です。物語として「伝える」というのも大事な役割ではあるんですけど、物語として「消費」されてしまう恐れもあるように感じられました。

 エンドロールで、水俣病以外の様々な公害が並列されていますが、それらも同種の問題にするというのは理解できるんですけど、ちょっと雑な括りでもあるように感じられてしまいました。それぞれの事例で、それぞれの問題、それぞれの苦しみや事情があると思うんですよね。「運動」というものに、自分はアレルギーが無い方だと自覚していましたが、嫌がる人々はこういう部分を嫌っているのかもと思いました。

 とはいえ、感動する部分もあった作品であるし、改めて水俣病について考えさせられたのは、何度も言うように意義のある事だったと思います。完成された美しさを見せる物語というのはもちろん素晴らしいものですが、完成された美しさではない、ひたすらに思考させることを求める作品というのも、感動とはまた別の役割がある映画体験だと感じました。


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