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映画『ナミビアの砂漠』感想 心に広がる人生の砂漠

 観ている最中よりも、観た後に考えることで深みにはまる作品でした。映画『ナミビアの砂漠』感想です。 

 享楽的な日々を過ごす21歳のカナ(河合優実)。同棲中の恋人・ホンダ(寛一郎)は彼女に良く尽くすが、既に彼女の気持ちは、自信家のクリエイター・ハヤシ(金子大地)へと移っていた。ホンダの部屋を出て、ハヤシとの同棲生活を始めるカナだが、すぐに倦怠感が彼女を襲い始める。人生と世界の退屈さは、次第にカナの心を蝕み始める…という物語。

 初監督作品『あみこ』でベルリン映画祭に史上最年少で招待された山中瑤子監督の最新作。主演は『あんのこと』『ルックバック』で既に今年を制した感がある河合優実さんですが、元々この『あみこ』という映画を高校生時代に観たことに衝撃を受けて、山中監督に「いつか出演したい」と手紙を出して役者を志したそうで、念願の出演となった作品だそうです。
 今作も、今年のカンヌ映画祭に出品され国際批評家映画連盟賞を受賞、世界的に評価されており、あの『ミッドサマー』『ボーはおそれている』のアリ・アスター監督も絶賛しているようです。
 河合優実さんにとっては非常に運命的な作品になるわけですが、山中瑤子監督が河合さん主演ありきの当て書きで脚本を作られたもので、相思相愛の企画になっているそうです。それに応えるが如く、河合優実さんの演技バリエーションの、多様な引き出しを堪能できる1作になっています。
 
 冒頭の友人・イチカ(新谷ゆづみ)とのカフェでの会話シーンからして凄いですよね。同級生の自殺を知らされる不穏な内容だけど、店内の別の男性客によるノーパンしゃぶしゃぶについて語る会話が、イチカが話す内容を被せてくるように聴こえる音響処理をしています。カナが、イチカが話すことに集中していない演出なわけですけど、役者の演技もそれを充分伝えてくれるものですが、この演出が冒頭にあることで、この作品のほとんどがカナの主観であることを説明していると思います。この他の音が大きく聴こえてくる演出は、全般に渡って登場するので、カナに共感出来る出来ないに関わらず、有無をいわさずにこの女性の人生を追体験させるというものになっています。
 
 そして、このシーンだけでカナという女性が、社会的な倫理観からすれば、とても褒められるような出来た人間ではないということを一発で印象付けるものになっています。基本的には、浮気をして、悪びれもせず不快な態度を隠そうともしない、社会性のない女性と見えてしまいますが、(彼女の基準の範囲で)自分に正直で嘘を吐かない人生を送っているだけとも思えます。既に心が離れたホンダが作り置きした冷凍ハンバーグを食べずに、アイスを食べるシーンなんかは、一応カナなりの誠実さが垣間見える演出になっています。このキャラクターは『わたしは最悪。』なんかでも描かれていた女性像を思い起こさせました(そういえば、トイレでの下品なおふざけシーンも似ていますね)。
 
 カナの奔放さがある一方で、ずっと抱える人生の退屈さ、倦怠感というものを、河合優実さんの視線、仕草、台詞のトーンなどで、非常に多彩な表現をしてくれています。まさに演技の百裂拳といった球数の多さが見所になっているんですよね。脱毛エステの仕事中の、全く生気のない声の出し方、棒読みという演技でここまで意味を持たせられるのはこの人ならではのものだと思います。
 
 このカナを蝕む「退屈」というものを、カナ自身の人間性から来るもので自業自得的な部分もあるように見せていますが、後半に向かうと、必ずしもそうとは言い切れないものとして描き出すようになっていきます。カナの人間性だけでなく、社会が持つ女性への抑圧や、女性だけでなく全ての人間が感じる閉塞感に根源があることを匂わせていきます。だからといってカナの人間性を全面的に擁護することはしていないものにもなっており、この辺りのバランス感覚も絶妙です(ただ、他の方々の感想に、カウンセラーとの会話で登場する、ロリコンの話題、カナが語ろうとしない父親の件が何を指すのかという考察を見た時に、作品では語られない事実背景があったかもしれないと少しゾッとさせれました)。

 基本的に、カナの主観で進む物語ですが、観客はカナに同期して観るものとして作ってはいない気がします。カナという珍しい生活行動をする動物を観察記録として見せているように思えるんですよね。共感しにくいところのある主人公ですが、この視点で自分としては最後まで興味深く観ることが出来ました。ただ、他の方の感想では、刺さっている人には共感の嵐のようで、それはそれで興味深いものでした。
 
 ホンダとハヤシという2人の男性の描き方からして、非常につまらない台詞を吐く人間として描かれていて、カナが抱える退屈さを象徴するキャラになっていると思います。この辺りが、女性が最も共感する点かもしれません。カナを庇護している(という気になっているだけの)立ち居振る舞いは、間違ったフェミニズムを行使している男性像として、『バービー』で描いていた男性への痛烈な皮肉にも重なります。
 
 序盤でのカナの退屈さが、中盤で病理として表出し、終盤に向かい治療期に入るという構成ですが、カナの目の表現が、それぞれでちゃんと変化しているのも、流石は河合優実という演技になっています。同じ「死んだ目」というものでも、ちゃんと質が違うものになっているんですよね。
 それに合わせて、映画の撮り方もカナの内面を描く部分が大きくなっていき、現実的な場面から、ちょっと現実ではないと思われる幻想感がある撮り方になっています。そして、ハヤシとの取っ組み合いをする部屋が、終盤で間取りが反転しているのも、同じことをしているのに、何かが変化しているという表現になっているように思えます。
 
 そして、この治療期に重要な役割を果たす隣人女性役の唐田えりかさんも、異常な存在感を発揮しています。河合優実さんが球数の多さを誇る演技ならば、唐田えりかさんは一撃必殺の演技で、作品に爪痕のような印象を残すものです。
 この時の台詞の説得力も凄まじいですね。この台詞を「このひとに言わせるのかよ」と思ってしまいます。『福田村事件』の東出さんもそうですが、流石に映画界はこの2人のスキャンダルで遊び過ぎなんじゃないかと感じてしまいました(そう受け取ってしまう自分もそうですが)。まあ、本人が受け入れているなら良いし、作品への貢献は抜群なわけですが。
 
 ラストシーンは特にカタルシスもなく終わっているように見えますが、2人が食べているもの、そこに何の雑音も入らないということを考えると、とても変化した結果を見せているようにも思えます。そして、このラストの中国語についての会話が、観ているときは当然何のためのものなのか理解出来なかったのですが、その単語の意味を調べたときに、全く意味合いが変わるもので、思わず声が出てしまいました。説明せずに画面だけで表現するのが映画比喩の醍醐味ですが、その中でも最上級のものだと思います。
 
 海外で評価されるだけあり、非常に高度な映画表現をしつつ、どこかユーモアがあり画面の色合いもカラフルで、ポップさがある作品です。万人受けするものではありませんが、色々な人の感想を読むことで、その作品に込められた表現の多彩さに驚かされました。河合優実さんと山中瑤子監督、このタッグで、また別の作品を観てみたいと思わせる、非常に印象的な作品でした。


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