映画『宮松と山下』感想 切なく湿った感情を魅せる、乾いた演出
過去のしがらみをどうするかというテーマが、意図せず結果として見事にシンクロ。映画『宮松と山下』感想です。
ドラマの演出を手掛ける関友太郎さん、NHKの人気番組『ピタゴラスイッチ』の企画・監修を務める佐藤雅彦さん、メディアデザインの活動をしている平瀬謙太朗さんの3名から成る監督集団「5月」による初長編映画作品。
主演は、映画にドラマに歌舞伎役者と、活躍の場を広げていた香川照之さんなんですが、作品公開も告知し始めた時期に、過去の酒の席での振る舞いを報じられて、世間的な評価がガタ落ちしたタイミングとなってしまいました。過去の栄光を失った俳優が、過去を失った男を演じるという、何とも皮肉な状況での公開となっています。
まず、序盤で、エキストラとしての宮松の撮影シーンを繰り返す見せ方が良いですね。時代劇は当然撮影とわかるんですけど、現代劇を演じる姿では宮松のプライベートの姿と思わせて、実は演じる姿だったという演出が繰り返されます。これにより宮松の生活感や人間性が見えてこないものとなり、記憶(人生)を失った人物ということが強調されます。それと同時に、どこで切り替わるかわからないスリリングさが、この静かな物語に一幅の刺激を与える効果になっています。
作中のヤクザ映画の撮影シーンが、初期の北野武監督作品に似ている印象を持ったのですが、全般通して観ていても、北野映画の影響下にあるように感じられました。回想シーンが無音で映像のみになるとか、それを思い出す人物は眉一つ動かしていないのに感情が読み取れるように感じられる場面とか、とても北野作品に似ていると思います。
今作での香川照之さんの演技は、世間に広く知れ渡っているパブリックイメージとしての香川照之演技とは、真逆のものになっています。ドラマ『半沢直樹』で代表されるようなアクの強さ、極端な声の張り方は全く無く、本当に空っぽになってしまった人間を演じておりました。ここまで別な人間になれるのは、やはり演技力のレベルが一ケタ違うものを感じさせられます。
さらに、その空っぽになってしまった男という雰囲気に、現実に名声を失ってしまった香川照之さん本人と、正直重なるものを感じてしまいました。この映画撮影中は、まだ醜聞が出る前のはずなので、特に影響があるわけでもないのですが、妙にシンクロしているように感じられます。ただ、傑作というものは得てしてなぜか、現実を予見したかのような奇跡を見せるものですよね。
だからといって、その現実とのシンクロがノイズにはなるわけではなく、むしろ劇中のドラマ性を増幅させてくれているようにも感じられました。回想シーンとして登場する宮松の過去の姿である山下が、割と快活で豪快な雰囲気があるのも、パブリックイメージとしての香川照之さんの演技に近いものでした。
北野武映画と似て、感情的を表に出すことなく終始乾いた演出が続きますが、そこで描かれている感情自体は割と湿ってドロついているものなんですよね。藍という妹との互いの想い、義弟となっている健一郎(津田寛治)との関係性なども複雑なものなんですけど、最低限の台詞のみで、複雑な感情の揺らぎを説明させていて、この乾いた演出と湿った感情のバランスが見事だと思います。
宮松が、山下という名である本当の自分を取り戻しても、自身を偽ることを止めなかったのは、もちろん過去にある想いからなのは明らかですが、意外と他者を演じるという事にも魅力を感じていたからなのではないかと思えます。台詞のある役もあったりしていたので、エキストラ役者の中でも、力量を買われているようにも感じられました。
地味な物語ではありますが、いかにも映画的な演出の妙で、見応えある作品でした。そして何よりも、香川照之さんの演技が、ドラマの悪役演技一辺倒になってきていたタイミングだったので、そのイメージを覆す効果もあったと思います。
こう言うとなんですけど、あれだけイメージが悪くなるスキャンダルの後で作品を観たら、どう感じるかという、自身の思考実験もあって観てきたのですけど、結果としては全く邪魔にならずに没入することが出来ました。もちろん、役者本人の力量次第、役柄によっても変わるかもしれませんが、自分としては産み落とされた作品そのものは純粋に楽しむ姿勢でありたいと考えております。香川照之さんの演技を観ていきたいと改めて思いました。
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