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映画『違国日記』感想 その映像では「たりない」実写化

 原作漫画が良すぎるにしても、雑な部分が多い残念作。映画『違国日記』感想です。

 小説家の高代槙生(新垣結衣)に、姉の実里(中村優子)が夫と共に交通事故で亡くなった報せが届く。駆けつけた先で、槙生は自身にとっての姪である田汲朝(早瀬憩)と出会う。槙生と実里は折り合いが悪く絶縁状態だったため、2人はほぼ初対面だった。葬儀の席で、両親を喪った15歳の朝に向けられた親戚の無責任な言葉たちに憤りを感じた槙生は、勢いで朝を引き取ることを申し出る。その日から槙生のマンションで暮らすことになった2人。人見知りの槙生は他人との共同生活に戸惑い、両親とは全く別種の大人を前にした朝もまた混乱しつつ、2人は新しい生活を模索していく…という物語。

 ヤマシタトモコさんによる同名漫画作品を原作として、『ジオラマボーイ・パノラマガール』などで知られる瀬田なつき監督が実写化した作品。原作漫画は以前から評判を聞いており、実写映画化の報せがあってから、思い切って全巻購入して読み始めたところ、ドハマりしてしまいました。一気に読むのがあまりにも惜しくて、半年かかって全11巻をようやく読み終えるほど、最高の漫画体験となった作品です。

 公開直前で、原作を読み終えた感動が抜け切らない状態だったため、少し間を置いて、ハードルをグンと下げて鑑賞に臨んだのですが、なかなかどうして、その下がり切ったハードルを下にくぐり抜けてしまうような実写化という印象の作品でした。今回の感想は辛めになっております。
 
 原作のある実写映画作品は、その原作を絵コンテのようにして完全再現を目指すようなタイプと、原作の設定などだけを使用して全く違う物語にしてしまうタイプと、大雑把に2つで分かれると思います(先日感想書いた『関心領域』なんかは、後者のタイプで、その中でも極端な例だと思います)。
 今作はどちらかというと、原作再現を目指した前者のタイプのように見えます。ただ、原作ラストまでは描かずに、中盤までの物語でまとめて、その中のエピソードを抽出して組み立てた物語になっています。

 ラストまで描こうとしたら尺に収まらないので、それ自体は悪いことではありませんが、あまりにも作品そのものへの理解度が低いように見えてしまうし、ツギハギだらけの繋ぎ目が見えてくるような組み立て方になってしまっているように思えました。
 
 原作は槙生と朝の2人の変化が、平行する同列のものとして描かれていたように思えますが、今作では基本的に朝に焦点を当てた作りになっています。そのためか「朝=子ども」「槙生=大人」という単純な関係性になってしまい、親になっていない女性が親代わりをするというような上っ面の物語に見えてしまっているように思えます。

 本来の物語では、「朝=子ども」というのは当然そうなのですが、「槙生=大人に見えるけど違う何か」ということを朝が戸惑いつつも、受け入れて見識を広げていくものだったと思うんですよね。槙生が朝に向ける言葉は、年長者としての経験に基づく言葉ではありますが、大人という上から、子どもという下に向けたものではないもので、きちんと人対人の対等な関係性で伝わるものになっています。不器用な槙生と周辺の大人たちの姿が、「いい大人」というものがこの世には存在しないという事実を朝が理解すると共に、それを通じて我々読者に見せてくれる物語になっているんですよね。

 この映画は、そこへの理解度が決定的に欠けているため、槙生が「ちょっと社交性に欠けるけど、倫理観がちゃんとしているいい大人」程度にしか描かれておらず、両親の不幸があった哀れな少女がちゃんと帰る場所が出来る物語にしかなっていないんですよ(その「哀れな少女」という見られ方は朝が忌避していたものでもあります)。
 
 この漫画は、槙生が小説家ということもあり、非常に美しくも心に突き刺さる言葉が無数に登場します。その言葉が、登場人物たちの無造作にも思える雑談の中で放られていくので、その儚い美しさを追うように探してしまうという読ませ方になっています。
 だけど、この映画では重要な台詞だけを抽出して繋いでいるため、その言葉の美しさが損なわれてしまっているように思えます。この辺りも、理解度が足りていないまま、原作を絵コンテとして使用した結果のように思えてならないんですよね。
 それと、細かいとこと言うようだけれども、槙生が書いたファンタジー小説の表紙が登場しますが、何かライトノベルみたいな感じになっていて、ここも「理解わかってね~」となってしまいました。ラノベを卑下するつもりはありませんが、小野不由美『十二国記』とか、上橋菜穂子『鹿の王』みたいな作品のはずなんですよね。
 
 各役者の演技は、良い仕事をされていたと思います。新垣結衣さんの演技そのものは、槙生のキャラクター性を充分理解していたし、不機嫌演技というものが、昨年の『正欲』で培われた演技であるように思えて、両方観た自分としてはその演技の繋がりを堪能出来るものでした。朝役の早瀬憩さんも、この年齢でしか出せない独特の空気を捉えた演技になっていると思います。朝に焦点を当てた脚本になっているので、高校生活の日常シーンは非常に良かったです。

 ただ、今作のMVP役者は、槙生の親友である醍醐奈々を演じた夏帆さんを推したいと思います。見た目も別に原作に寄せているわけではないし、サバサバした人というありがちなキャラ像だけれども、ちゃんと槙生との長年に渡る付き合いが見える空気、朝が驚いていたようにいわゆる「いい大人」ではないという雰囲気をきちんと出している演技になっています。過去に演じた『海街diary』の千佳役に、演技も役割も近いものを感じます。本当に夏帆さんはどの演技でもハズレがないですね。
 
 原作で描かれた、朝が両親の死を前にしても哀しめないという部分は、朝にとっての両親が「親という記号」でしかまだ認識出来ておらず、父と母がどういう人間だったのかを理解する前に消えてしまったための混乱だと思うんですよね。居なくなったことを、「勝手に死んだ」と憤るのは、その人間性をこれから知るはずだった事が理不尽に奪われたことへの怒りなんだと思います。そして、その他者の人間性を理解していくという事を、槙生や周辺の人々と共に行う展開になっていきます。映画では、この辺りもあまり意識的に描写されていないため、朝が突然ショッキングな出来事で混乱しているだけのように思えてしまいます。
 
 映画では描かれなかった、原作終盤の台詞で、「たりない」という言葉がありますが(この場面を読んで夜中に独りで声をあげて嗚咽してしまった…)、悪い意味で、あまりにも「たりない」映画になっていると感じてしまいました。
 ただ、この映画化があったから、漫画を全巻読もうと思ったわけですし、そういう契機としての効果は十二分にあったと思います。映画を観て、まだ原作を読んでいない方は、すぐにでも全巻読むことをお勧めします。必読の名作なので。
 
 いや、観終えた直後はここまで言うほど、不満に思っていたわけじゃないんですけどね…。書き始めたら、つい…。何か言い過ぎたな、ゴメン…。


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