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映画『PERFECT DAYS』感想 ファンタジーとしての理想か、サブカル中年の妄想か

 賛否両論で書いたつもりですが、読み返すと否の方が印象強くなってる気がします。映画『PERFECT DAYS』感想です。

 東京・渋谷区のトイレ清掃員として働く平山(役所広司)。彼の一日は、淡々と始まり、淡々と過ぎていく。ご近所の箒を掃く音で目覚め、植物に水をやり、仕事に向かう車の中で古いカセットの音楽をかける。清掃の仕事を終えれば、銭湯で汗を流し、行きつけの店の同じメニューで酒をあおり、帰って文庫本を読みふける。同じことの繰り返しを続ける生活を平山は愛おしんでいた。だが、その生活の中にも、わずかながらの変化が生まれている…という物語。

 『パリ、テキサス』『ベルリン・天使の詩』で知られるドイツの巨匠映画監督ヴィム・ヴェンダースによる作品。日本とドイツ合作で、渋谷区のトイレを刷新するプロジェクト「THE TOKYO TOILET」の活動PRとして企画されたものが、結果、長編映画となったそうです。カンヌ映画祭でも絶賛され、主演の役所広司さんが男優賞に輝いたことも話題になりました。
 ということで、結構期待を抱きながら観てきたわけですけど、こんなにも自分の心の中で評価が分かれることになるとは予想していなかったです。二重人格になった気分。
 
 映画的な力でいえば、相当に巧みな作品だと思うんですよ。冒頭で、平山の毎日が描かれるんですけど、これが規則正しいモーニングルーティン動画になっていて、同じことの繰り返しであるはずなのに、退屈せずに惹きつけられるものになっています。この辺りは流石のヴィム・ヴェンダースの画作りによるものだと思います。
 
 異様なくらいに言葉を発しない人間であるはずなのに、平山がどういう人間であるかを説明し切ってしまう役所広司さんの演技もまた、流石のものです。何よりも雄弁に平山の人生を身体表現で立体的に演じているんですよね。詳しい事情はわからずとも、そこにある人生の感情を、観客が察することで理解できるようになっています。この「察する」というのが、非常に映画的な快感になっているんですよね。この部分だけで相当な評価に値する作品になっていると思います。
 
 では、今作が手放しで絶賛される傑作かといえば、自分にとっては必ずしもそうではないものでした。この平山のライフスタイルというものに、共感も出来ないし、何か嘘くさいものを感じてしまったんですよね。俗な世間から切り離されて没交渉となっている姿を、高尚で清貧な姿として描いているように見えるのですが、ただ現実から目を背けて逃避しているだけの姿に思えてしまいます。

 そして、世間から没交渉な態度をしている割には、そこはかとなくモテているオジサンという描写も、デカめのノイズになってしまうんですよね。自分の好きな音楽を誉められてニンマリしてしまう気持ちもわかるんですけど、若い女の子である必要ありますか? 同僚のタカシ(柄本時生)が曲を誉めるとかでいいと思うんですけどね。加えて、ほっぺにキスという演出も最悪ですよね。本心から感謝の気持ちでチューする女なんているのかって話ですよ。欧米的仕草かもしれませんが、この中年がそこはかとなくモテるという演出は、何か監督自身の性癖のようなものを感じてしまいます。「そこはかとなく」という感じもまたムッツリ感がありますね。スケベはムッツリであるべきという持論を持っている自分としても、この雰囲気はラッキースケベな感じがあり、キモくて受け付けませんでした。
 
 姪のニコ(中野有紗)との触れ合いというのは、すんなりと良いシーンとして受け入れられましたし、先述のように、妹のケイコ(麻生祐未)との関係を説明台詞なしで理解させてしまう手腕は見事なものです。そこから平山の日常が変化していくものとなり、死というものを意識させるクライマックスに繋がるのも映画として良く出来た脚本になっています。
 そこに応える役所広司さんの笑い泣きの演技は、ラストに相応しく素晴らしい演技だと思います。あの顔だけで、「人生」というものを表現していて、間違いなく日本のトップを走る俳優であることを証明するものです。
 
 好きなものだけを摂取して穏やかに生きる平山のライフスタイルは、サブカルな自分としても確かに憧れる気持ちがないわけではありません。ただ、実際に映像として見せられると、負の感情から目を背けている姿に思えて、ちっとも良いものと感じられなかったんですよね。
 ただ、ヴィム・ヴェンダースがそれを踏まえて描いている可能性もなくはないかもと思います。タイトルにもなっている『PERFECT DAYS』は、劇中でも使用されるルー・リードの代表曲「PERFECT DAY」から来ているわけですが、何気ない穏やかな一日を描いた歌詞が実はドラッグ中毒のことを謡っていると言われている楽曲でもあります。
 つまりは、この平山の日々が、ただのみじめな現実逃避に過ぎないというつもりで作られている可能性もあります。ただ、それにしては画面からその意図は汲み取れないし、絶賛している評にも、その観点はあまり見受けられないからモヤモヤするんですよね。
 
 さらに、極左テロリストとして長年指名手配されていた桐嶋聡容疑者が、身分を明かしてすぐに死去したことが話題になりましたが、その逃亡中の生活が、今作の平山を連想させるものであり、やはりこの映画で描かれる生活が、本当に美しく人間的なものなのか、疑問に感じられてしまうものとして、強く印象付けられました。
 
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」的な考えというのが美しい清貧として持て囃されがちですが、あの詩は、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」と結ばれているんですよね。それを考えると、あくまでなれないものとしての憧憬という観点で描かれていて、それを映像化すると、こんなにも非人間的な生活だったという結果に思えます。
 
 まあ、平山を現実の人間と思わずにサブカルおじさん妖精というファンタジーとして受け止めることが出来れば、良く出来た映画なのかもしれません。日本に住んだことのない海外の人々に評価されているのは納得の結果とも言えます。ただ、オスカーノミネートも快挙ではありますが、この価値観が日本の美徳と思われるのは何だか勘弁してほしいという思いもあります。
 
 評価が真っ二つに分かれる作品はよくありますが、個人の中で評価したい気持ちと、否定したい気持ちが拮抗し合うというのは、あまり無い体験でした。そういう意味では、味わったことのない映画体験となった作品です。


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