アメリカの研究者Jane Grantに宛てて書かれた手紙の一節である。ベッシーの大量の書簡はカーマ・メモリアルミュージアムに保管されているが、そのほとんどが未公開の貴重な資料だ。
ここで述べられている短いフレーズが、黒人と白人の子どもとしてピーターマリッツブルグの精神病院で生まれ、養子に出された白人夫婦には「肌が黒い」と突き返され、カラードの負債に引き取られたあと「孤児院」(的な全寮制スクール)で育ったベッシーの出生を強く思い起こさせる。その後も、半アパルトヘイト闘争の中で黒人にも、カラードにもなりきれない中で出国許可証のみで1964年ボツワナに亡命、作家として成功しても黒人でも白人でもないことを周囲からとやかく言われ続けるという人生でもあった。
このような文章は、公開されたものよりも未公開でプライベートな所感の中でこそ率直で強烈に登場するので、書簡を読むのは面白い。(いずれ広く読まれることを想定している部分もあったかもしれない)
ベッシー・ヘッド研究のみならず、アイデンティティや人種主義に対する課題を教えてくれるベッシーの書簡は、現在の社会においても非常に貴重で示唆に富むものである。
これらの書簡をいずれ、日本で編集して出版したい。その話をボツワナの研究者たちと進めたいと思う。
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