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翻訳出版への道 | 小説が本の文字となり生き始めた
初めてこの作品に触れたのは1997年ごろのこと。
日本では未訳の作品だから英語の原文だった。
この美しく深い本を日本語にするために訳し始めたのは正確にはいつだったのか思い出せないけれど、おそらく2000年ごろにはもう着手していたのではないかと思う。
その日から、ここまでの長い年月にどれだけの出来事があったのかは、雨雲出版のエッセイ本2冊に書いてあるからそれを読んでほしいのだけれど、そんな気の遠くなるようなこの本への魂込め活動を経て、今は静かな気持ちになっている。
わたしはこの本に魂を込めすぎて、それくらいこの作品は本当にかけがえのない大切な作品で、多くの方の心に届くと信じているけれど、あれほど多くの悔しい思いをして、いざ自分の出版社で制作という刊行秒読み段階に入っていると、今度はその熱が静かな確信となってきた。
自分の強い思いだけでなく、作品に日本語という命を吹き込むために、わたしは魂を込めるフェーズをもう終えていいのだと思う。あとは、作品そのものが誰かのもとへ前進し続けるだけだ。
デザイナーによる初校が上がり、今まで単なる原稿だった作品が、日本語で「小説」の形になった。
その途端、小説は本の文字となり、読者の目と心に届くために生き始めた気がしている。
まだ制作真っただ中で、刊行すれば販売もプロモーションもしなくてはならないのだけれど、それはたぶんこれまでの「個人的な熱い思い」とはまったく別物の仕事なのだと思う。
だからこそ、小説の力を信じているし、わたしは自分を助けてくれる様々な人たちとともに、この小説を生きた作品という船にして航海に出す準備がもうできたのだと思っている。
言ってしまえば、手放すような気持だ。
ゲラを見ながら、古いことを思い出した。
1998年、大学生だったわたしは、ある出来事があってベッシー・ヘッドのゆかりの場所を訪ねにボツワナと南アフリカに行くことを決め、少しでも情報を集めたくて偶然オープンしたばかりの在京ボツワナ大使館を訪れた。
右も左もわからぬ世間知らずの大学生だったわたしに、この上なく親切にしてくださったのは当時の一等書記官プラ・ケノシ氏。あのときケノシ氏は、学生だった自分も大学でベッシー・ヘッドの講演を聴いたと、わたしの始めたベッシー・ヘッド活動に興味を持ってくださった。
2012年、大使となって東京に戻られたケノシ氏は、病気で急逝してしまった。
1998年のあの日から25年以上。ただわけもわからずベッシー・ヘッドを好きになり、ボツワナへ行こうとしていた自分。すべては未知の世界だった。
そして長い年月が過ぎた今、その本を出版しようとしている。
そんなこと、誰が想像できただろうか。
あの人に。
見せてあげたかった。
校正原稿を見て、もう文字通り数えきれないくらい読み、訳し直してきたこの作品に、もう一度、新たな感動を覚えながら、何だかわからない涙をまた流している。
エッセイ100本プロジェクト(2023年9月start)
【44/100本】
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