「悔しい」と言えないことが何より情けないという話。独り言。#aeuな日々
先日、楽団の夏の大会が無事(?)終了し、2月からの怒涛の半年にようやく区切りがついた。とりあえず「やっと一息つけるかな」といった感じの今日この頃。
「無事(?)」としたのにはまあ色々。
思うところがたくさんあって、これは、誰に向けて綴るではなく、口語モリモリのかっこつけない整っていない言葉を気兼ねなく発したいやつだなと思い、おひさしぶりの日記記事。ま、普段から比較的整ってはないけどね。
読まれるための記事じゃないって自分で割り切れるから、素を出しやすい&書きやすいのよね。
クッソ悔しいいいいいいいいい!!!!!
まじうんこおおおおおお!!!💩💩💩
(急にスイッチ入るやん)
まあ、残念ながら賞は取れなかったわけだけれども、何が悔しいって「賞が取れなくて残念」って思うんじゃなくて「まあそうだよね、これじゃ取れないわな」って結果に120%納得してしまっていることが悔しい。
もう思い当たることはたくさんある。
審査員からの講評を読んで、すべてに「そうですね」「その通り」「仰る通り」と頷ける。むしろ講評は優しいなと思った。お気遣いいただきどうもです、とさえ思えてしまうような講評。
どんなに練習しても、本番で100%練習通りに行くことはまずそうない。それは良くも悪くもという意味で。苦手で何度も練習したフレーズが本番に今までで一番上手くいくこともあるし、今まで一度もミスしたことなかった箇所をなぜか間違えることだってある。
だから本番が終わって反省点がゼロだったことは正直一度もない。あそこは割と上手くいったけど、あのフレーズ、ピッチ悪くて思わず引っ込んじゃったな、響かせられなかったな、見せ場だったのに、なんて思うこともあるし。
どんなに練習しても、どんなにリハで完璧にできても、本番、客席にはお客さんがいる。本番の舞台でしか感じられない熱気や空気感がある。高揚する。思わず力が入ってしまう。
プロが演奏会をするような大きな大きな舞台で、スポットライト浴びて、客席にはお客さんがいて、プロの奏者である審査員がいて、楽しくて、嬉しくて、ドキドキして、高揚して、やっぱりどこか違ってしまう。
だから金賞を取った去年だって反省点はあったし、勝敗のない楽しむ演奏会だって反省点はある。それでも「でもまあ良い演奏できたよね」っていつもなら思える。でも今回はあまりにやらかしすぎていて、到底そうは思えそうにない。
3楽章くらいまでは、比較的落ち着いてやれてる、冷静に演奏できてると思っていたんだけどな。
3楽章に入った瞬間、やってしまったと思った。
テンポが速い!速すぎる!
速くしたのは、恐らく間違いなくメロの我々だ。きっと私以外にも恐らくTrpやPerあたりも走っていたとは思うけど。指揮者の先生がテンポを戻そうとしているのがわかる。速いぞ、落ち着け、とタクトが言っている。でも気が付いても、走り出した足というのはなかなか止められないもので。
4楽章。最終楽章。本番まで1か月を切った頃、急遽演奏することになったフレーズ。追い掛けで練習して、歌い込みまでできるようになって、見せ場だと思える箇所だった。最終楽章の一番盛り上がるところで見せ場。大事なフレーズ。思わず力が入ってしまった。全曲通して一番得意だったと言っても過言ではないフレーズで音がひっくり返ってしまった。悔しい。あんな音を出して演奏の邪魔をするくらいなら吹き真似でもしていたほうがマシだった。
「見せ場だと思うところこそ丁寧に」
これ今後の教訓。
でもそういう攻めたミスは講評ではあまり拾われない。
守りに入った姿勢の方が指摘される。
「もう少し歌わせましょう」
自分の担当楽器奏者でもある音大教授の審査員から名指しでこの指摘はただただ痛い。
冷静にやれていると思っていた。ピッチを外さないように、歌い込み過ぎて遅くならないように、テンポを引っ張らないように、サックスの邪魔をしないように。
「~しないように」そういう後ろ向きな姿勢が音に表れてしまった。
音楽ってのは、上手な演奏を此処でしていても、意味ないんだって。自分の口元でしていても、そんな演奏は誰にも届かないし、他の楽器と混ざり合っているようで、溶け合っているようで、実際は無に等しいんだって。解っていながら守りに入ってしまった。
綺麗な色に透明を重ねても、それ以上にはなれない、色が足りない。
自分の色を重ねて、濁って汚い色になって絵を台無しにするくらいなら透明で——そうじゃないんだ。色と色が美しく重ね合えるように、それぞれ自分の色を思い切り出して色づけた後で、それらの色がすべて美しく馴染むように調整していくんじゃないか。
一番最初の段階で、もっと原色同士をぶつけ合っていくべきだったんだ。
大会会場で、高校の時の後輩と、大学の時の後輩と、社会人になってから加入したポップスバンド(活動休止中)仲間の憧れの奏者さまを見かけた。
3人とも声を掛けることができなかった。
高校の吹部を卒部する時に「先輩みたいな美しい音を出せるように頑張ります」と言ってくれた後輩に、吹奏楽だけでなくスカバンドでキラキラした活動してCDまで出しちゃうような後輩に、胸がギュッとなるくらい大好きな演奏をする憧れのサックス吹きさまに。
「今どこの所属で楽器やってるの?」
もしそう聞かれたら自信を持って答えられない。
それは楽団が上手いとか下手とかそういうことではなくて、私自身が私自身の演奏を心の底から誇れていないからだ。それが何より悔しい。
楽団の仲間たちと結果について話した時に「しゃーなしですね」としか言えなかった。「悔しい」と言えなかった。今回の自分の演奏では、「悔しい」と言う資格がない気がして。
楽団の活動は趣味だ。本当にあくまで趣味だ。
あわよくばとも思っていないような純粋な趣味。
だから、あわよくばと思っている執筆(小説や文章を書くこと)よりも、私自身の中で優先順位は低い。だけど、それでも、毎週の練習のほかに、仕事帰りにスタジオで自主練して、本番緊張しない程度には準備をして臨んだ舞台だったから、公に「悔しい」とさえ言えない程度の演奏しかできなかったというのは、情けなくて仕方がない。
次は、大きな節目の周年記念の演奏会。
この舞台では、思い切り輝けるように、憧れの奏者たちに「今ここで吹いてるんだ!」って大きな声で言えるように、最後に彩り豊かな演奏に仕上げられるように、最初こそたくさんぶつかり合っていきたい。
自分の音をぶつけていきたい。