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怖くても、それでも私は「言葉」に託す。

自分の言葉がしっくりくるときと、そうでないときがある。

そこに噓偽りは一切ないにも関わらず、
本当に言いたかったこととは何か違う気がしてしまう。
自分で発した言葉のはずなのに、
いっそなかったことにしてしまえたらいいのにと思う。

たとえそれが、幾度も推敲を重ねた末の言葉であっても、
自分の手から放した瞬間に、様相が変わる。
何かがおかしい。心地が悪い。しっくりこない。

そんなときはたぶん「言葉」というものを過信している。
言葉に頼りすぎていて、
伝われ伝われと、言葉をさらに重ねては、
重ねた分だけどんどんちぐはぐになってしまう。

それが変に伝わっているかもしれないなと感じるとき、
私は「言葉」を使ったことを、後悔してしまうのだ。

ああ、「過信」なんて言ったけど、とどのつまり私は、
信じているようで、信じていないんだなと思う。



「言葉」は言わば「プレゼント」のようなもので、
そこに込めた気持ち全部が相手に伝わるわけではない。

どんなに綺麗にラッピングをしたとしても、
中身が相手の欲しいものでなければ、
歓迎されないかもしれないし、

飾らない裸の缶コーヒーひとつだって、
そこに込められた気持ちが伝わって、
泣くほどうれしいときもある。

コンビニで何気なく入れた100円の募金が、
想像以上に誰かの力になることもあるし、

企業間の通例のお歳暮に「今年もわざわざどうも。」
それ以上なんの感情も湧かないことだってある。

同じプレゼントだとしても、贈る人・受け取る人の関係で、
貰ったときの気持ちなんて変わってくるし、

こんなに綺麗に包んでプレゼントを用意してくれた
そのことが嬉しいよと思ってくれる人もいるかもしれない。

そこに恩着せがましさを感じたなら、手放しで喜べないし、
その人との関係に見合わないあまりに高価なプレゼントを貰っても、ただただ恐縮してしまうだろう。

プレゼントの価値なんて、
さまざまな条件によって180度変わり得る。

「言葉」だってきっと同じなのに、
存在があまりにも日常的なものだから、
そのことを忘れて、ついカジュアルに使ってしまう。



ああ、なんか、
もともと書きたかった内容と、ズレてきているな。





「言葉」は思いを伝えるための代表的な手段でありながら、
「思い」そのものではない。

一見「思い」を唯一ありのまま見える形にする手段に思えるけれど、実際のところ、そこまでの力は「言葉」にはない。

本来「言葉」が「情報」として届けられる以上のことを、
伝わってほしいと、期待してしまうから、
「言葉」を重ねても重ねても、伝わらない気がして、
むしろその必死さがなんだか嘘くさく感じて違和感になる。

まっさらだった思いに、言葉というフィルターを
何層も何層も重ねているようなものだもの。


「言葉」を過信しているというのは、
つまり、そういうことで。


「言葉」が伝えられるのは「情報」でしかない。
私はそう思っているんですよ、というあくまで「情報」。

だから「言葉」の力を過信して、なんでもかんでも言った分だけ伝わるなんて思っていたら大間違いで、その情報が信用に値するかの判断は、相手に託すことだ。
その言葉の裏にある葛藤や思考も、その言葉に帯びた熱も温度も、差し出した情報から何を読み取り何を感じるのか、それらはすべて相手に託すこと。

信じなきゃいけないのは「言葉の力」より「言葉に込めた自分の思い」が確かであること。
そして、それを受け取ってくれた相手のこと。


「言葉」は、人を応援することも、人を傷付けることも、人を励ますことも、好きだと伝えることもできるように見えるけれど、決して万能なんかじゃない。
エールになるか、傷付いてくれるか、励ましになるか、好きが伝わるか、それは実際のところ分からないしね。

実態のないフィルターみたいなものだから、肝心な部分が届かなかったり、ニュアンスが変わって届いてしまうことなんてざらにある。
じじつ「言葉」そのものの価値は流動的で、いつも同じではない。

好意的に伝えたつもりの思いが、悪意として伝わる可能性もあって、そう考えると、思いを言葉に託すのは、つくづく勇気が要ることだと思う。


でも、言葉にしなきゃ伝わらないから。
言葉にすれば伝わるとは限らないけれど、思いがあることは、言わなきゃ伝わらないから。

だから、怖くても、今日も私は「言葉」に託す。


それに、届けた「情報」以上の思いが伝わる時もあれば、
自分の言葉が誰かの背中をほんの少し押すこともある。

それが奇跡よりも高い確率で起こり得るのだから、
「言葉」に託す価値は大いにあるでしょう、と、
懲りないなとは思うけれど、
やっぱり少し期待をしてしまうのだ。





(1,873文字)

来月の演奏会の準備が大詰めで、自分の時間が思うように取れない。
けれど、これまた意地で、毎週投稿を再開しようと思いまして。
少しの強制を自分に強いないと、来年まで投稿しないとか全然あり得るからな。



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