思い通りにならない事ばかり、それでも動いた先にだけ躍進があると解った日。 #aeuな日々 <behind>
今日は日曜日ではないのだけれど、あまりにもあまりにも怒涛だった2月も、この通り最終日を迎えられたことを、盛大に祝福したい思いでこれを書いている。1日遅れの #aeuな日々 です。
なーんて、記事書いている間に3月を迎えてしまった。2日遅れだ。
先週も書いてはいた日記記事。その下書きを潰しながらこれを書いているわけだが、
なんて、切実なフレーズが残されてた。
あーーー!!! 終わったー!!!
本当に。怒涛だった、2月。
2月の前半が怒涛も怒涛、もはや厄月なのでは、と思わざるを得ないくらい災難が降りかかった話は前回の記事でしたので、読んでくださった方はご存じだろう。
バレンタインデーが2月にあったことさえ、今思い出したわ(ごめんね旦那)。
なんて、ふざけたことを言っていたからだろうか。降りかかる災難は前半だけでは終わらなかった。
後半もつづく厄月
2月16日(水)~2月20日(日)
会社でイレギュラー発生。
普段、私のいる部署では毎日残業10分以下が通常運転なのだが、この週はほぼ全員が数日間1時間以上の残業を余儀なくされた……当然私も例外ではない。
翌週、2月21日(月)
旦那の親族が癌によりいつどうなるか分からない状況だと知らされる。最悪の場合、今月中には……と知らされて。
回復を祈るばかりだけれども、我々もいい大人なわけで、最悪の場合にも備えなければならない。
幸せなことに私は、学生服が着られない歳になってから今の今まで、身近なひとを亡くしていない。それ故、この歳で喪服を持っていなかった。その買い物のために、アフターファイブを1日使わなければ。
これはシナリオの執筆は、今月後半唯一のフリーな休日である2/23に一気に進めるしかない。と思っていたのだが、
2月23日(水)
急遽旦那のご家族に食事に誘われる。ひさしぶりに行きたかったお店だったのもあって、お誘いそのものは嬉しい。だがしかし、間が……シナリオ……締め切り……
とは思ったのだけれど、これまでなかなか都合が合わず、私自身旦那のご家族とはご無沙汰している状況。もしもこの機会を断り、次に久しぶりに会うのが葬儀になったりなんかしたら……そんなのは悲しい、しかも十二分に有り得る。
と思って、食事に行きました。
2月24日(木)~2月26日(土)
仕事。毎日仕事。まいにち、まいにち、ぼくらはてっぱんの~。
土曜の夜、喪服を買いに行く。
2月27日(日)
さすがに時間が足りなさすぎる。次の本番は演奏曲数も少ないし、まだ日はある。申し訳ないが楽団の練習を欠席したいと連絡。
翌日28日(月)は普通に朝から仕事なので、実質28日朝までに完成版のデータを保存して、公募に応募しなければならない。
徹夜でなんとか仕上げました。
というわけで、今日は睡眠時間わずか1時間半の身体で出社。
20代後半頃から徹夜はできなくなったと感じていたけれど、人間追い込まれれば意外とまだ徹夜できるものね……
思うことのありったけ
こんなに事細かく日々を振り返って書き出して、だーれの得にもならないのは重々承知なのだけど、もうね、吐き出したくてね。
いろんな、いろんな、イレギュラーが重なることで、それはもちろん時間的にどんどん首を絞められる思いではあるのだけど、その焦りの中で、イレギュラーそのものに対する心労も結構なものだった。
そんななかで、みっともなくても、格好悪くても、力押しでも、どんな形であれやり切った私を、自分でちゃんと褒めてあげたい。
出来上がったシナリオ作品は、正直、審査が終わったら抹消したい。それか出来ることなら著者名を変えたい。
それくらい、本当に、読み返すたびに、居た堪れない気持ちになる。
こんなものを作品として応募して、恥ずかしいとさえ思う。
これは私の黒歴史の1ページに仲間入り。
どうしてそうなってしまったかって——
その目に映して
そもそも私がこの公募に挑戦した理由はただ1つ。
自分の書いた作品が、言葉が、文章が、私の大好きな役者の目に映る。
「私がどんなに良いと思える文章を紡ごうとも、憧れの彼らに私の存在を知ってもらう事すらできない」
「生きている世界が違う」
そんなふうに言っていたことを覆すチャンスだと思った。
彼らのいる世界線へ届くかもしれない、夢見たその日が現実になる可能性がそこにあったから。
そんなの、挑戦しない手はない。
性に合わないわけじゃない筈なのだけど
公募のテーマそのものには興味がなかった。
むしろ、困ったことに苦手とする分野だった。
テーマはズバリ「恋愛」。
しかも「ドキッとするような甘いセリフ」を求めています、と来たもんだ。
あー苦手だ。露呈されそうな知識の乏しさ。
甘いセリフとか……むず痒くなっちゃうよ……
不思議なもので、漫画やアニメ、映画やドラマを見ていて出てくるような台詞には素直に入り込めるのに、たとえば全く同じ台詞を自分の作品に使った途端、それは突然クサいセリフに変わってしまう。
私はこの現象を「私小説の呪縛」と呼んでいる。この呪縛を解かない限り、私は永遠に「小説」を書けないだろうな。
話を戻そう。
兎角、色恋沙汰なんて遠い昔の話。
これが居酒屋で働いていた時代なら、今よりも幾分か良いシチュエーションの恋愛ストーリーを描けただろうと思う。
しかし私がいま勤める会社の部署は女性が多いし、男性がいても自分の父親より年上のおじさま方ばかり。
男女の会話なんてとうの昔に忘れてしまった。
だめだ、王道を行こうとすれば、全然アイデアが浮かばない。想像力が働かない。少女漫画とか女性漫画とかは読むけれど。それを参考にすれば、ただでさえ苦手な分野だ、きっとネタが引っ張られてしまう。さて……
守りたかったのは体裁
そこで思い浮かんだ作戦は、タイプの違う3本の作品を書くということ。
今回の公募は、1人何作品でも応募可能なコンテスト。だから当初の予定では、私は3作品応募する予定だった。
ラブコメ(本当しょーもない感じの)
感動系(ややファンタジックで泣ける感じの)
王道に寄せてみる
少しでも選ばれる確率を上げるためというのはもちろんあるけれど、それよりもこれは未熟な私の為のせめてもの保険あるいは予防線だった。
タイプの違う3作品を書くことで、どれかが思いっきり低評価を受けたとしても「作品の色に幅がある」ということで体裁を保てると思った。
それが、私が当初3作品応募する予定だった一番の理由。
ところが、怒涛の2月だった故に、結局完成させて応募できたのは、たった1作品。しかもよりによって本当にしょーもない感じのラブコメ作品。
はあ、思い出しただけで、穴に入りたい。
穴があったらじゃなくて、穴を掘ってでも入りたい。
0と1では全く違う
それでも、そんな作品でも応募したのは、著者名を正々堂々自分の名前で応募したのは、0と1では全く違うと解っていたから。
応募したって、こんな稚拙な作品では、選ばれるわけがない。それどころか、見ていただくのも恥ずかしい。
けれど、そこには一縷の望みがある。
応募している以上は、可能性がゼロではない。
はたまた、今回の作品がたとえば悪い意味で印象に残ったとして、いや仮に作品自体は印象に残らなかったとしても。
無意識の奥底、潜在意識レベルでもいい、どこかで著者名に見覚え聞き覚えがあれば、いつか私自身が自信をもって拡散できるような作品を書いたとき、その作品を読んでもらえる可能性がほんの少し上がる。
0と1では全く違う。
どうにもならなくたって、私の書いた作品が、そこに存在しているのとしていないのとでは全く違う。
挑戦したところで、思い通りの結果にはならないかもしれない。
それでも挑戦しなければ、ぜったいに何も起こらないのだ。
躍進の一歩
心の感覚に従えば黒歴史になってしまいそうな今回の挑戦。
けれど、状況を冷静に見つめてみれば、私にとっては躍進の一歩だとも思えた。
というのも、今回の公募は小説でもエッセイでもなく、シナリオ(脚本)の公募だった。
いざ書き始めてみると、当然だけれど、いつも書いている文章の形態とはまるで違う。
ましてや今回は映像なしのボイスシナリオ。モノローグは入れられたとしても、地の文はほとんどなし。会話だけでストーリーを進めなければいけない。
更には「恋愛」のテーマなのに、ヒロイン側の声は入らない状態でストーリーが分かるようにしなければならない。
つまり、ボイスドラマというよりもシチュエーションボイスと言った方が正しいのではないかと思う。(公式さんはボイスドラマ言うてだけど)
私は小説を書く時でさえ、会話を書くのが苦手だ。
薄々感じてはいたのだけれど、私は小説よりもエッセイ向き。小説は小説でも「大衆文学」より「純文学」向き。そんな気がする。
内容よりも単純に、文章のリズムだとか、言葉の響きだとかを感じるのが好きだし、なんでもないような1文に暗に意味を持たせた描写なんかを考えるのが好き。
だから、内容性を重視する所謂「大衆文学」的なものを書こうとすると、どうにも表面だけ取り繕ったような、ありきたりをかき集めたようなものになってしまう。「小説」や「ショート」を書こうとしても、進んでいるようで進んでいないような、薄っぺらな内容になってしまう。
そういう傾向にある、とりあえず今は。
だから今回シナリオ執筆に向き合った時間は、嫌でも会話文を書く練習になったと思う。
シナリオのアイデアが良いひと、会話の進め方が上手いひと、単純にお話が面白いひと、いろんな方の作品を読んで勉強にもなった。
己の未熟さを、改める間もなく、突き付けられる日々。
ひとの作品を読むたびに、自信がどんどん削がれていく。
もう無いに等しい自信を、それでも削がれ続けながらも、最後までやり切る根気と諦めない気持ち、それをお蔵入りにせず世に出す勇気と覚悟。
出来上がった作品はお世辞にも面白いとは言えなくて、多くのひとを興ざめさせてしまうようなものかもしれない。
けれど、その羞恥があるからこそ、これから紡ぐ作品にはそれ相応の気合が入る。
こんなに情けない気持ちになるようなものは、もう書かない。
途中で諦めてしまっていたら、どうせ選ばれないし恥かくだけだからもういいやと逃げ出してしまっていたら。
こんな羞恥もなかった代わりに、きっと何の成長もなくて、これまでと何一つ変わらないところを繰り返し彷徨っていたんだと思う。
思い描いたような夢には、まだ到底届きそうもない。
今回の経験が必ずしも躍進になるのかなんて、今はまだわからない。
それでも、立ち止まっていたら、いつまでも見える景色は変わらない。
動いた先にだけ変化があって、その変化の中でこそ躍進の瞬間があるのだと、身をもって理解できた気がした。