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他人を真似ることは結局自分の首を絞める

私は、小学校3年生まで
まったく言葉を発しない子だった。

3月の末に生まれて、
周りよりも発達が遅かったからか?
保育園出身で、
読み書きが遅かったからか?
末っ子で、すべての行動を姉たちや両親が
先回りしてやってくれていたからか?

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高学年になって、私と同じように
全く話さない子に出会ったので、
よくあることかと思っていたが。
後に、いろんな人に話す時に
驚かれて、自分が異常であることを知った。



一度、この話をしたときに、
「小さい時、よく怒られましたか」
ときかれたことがある。

『私自身は、一度もありません。
 ただ、よく怒られている姉を見ていました』
そう答えた。

瞬間的に、
目を閉じて、ふたをした記憶を辿る。

当時、母は 不倫の真っ最中。

両親は家のお皿がなくなるくらい
投げ合って喧嘩をしていた。

父の口癖は「家族が崩壊するぞ」

1番上の姉は、
暴力を振るう父のあまりの怖さに
模擬試験の結果を
「よくできた」と嘘をつき、
1日に100回くらい
「嘘つき」ときつく罵られていた。


断面的だが、
意外にも思い出せるものだ。

目を開くと、

「その時期に言語を発しないということは、なにをしていいかわからないということの現れです。なにをしても怒られると思っていたのではないですか」
と続けられた。

思い当たる節があった。


思えば、小学3年生から、
コミュニケーションは後付けで覚えた。

周りの人をみて、見よう見まねで
話をして変な顔をされて、
この話はしちゃいけないんだ、
逆にこの話は喜ばれるんだ、と身につけた。


周りの子がキャーキャー言っているのをみて、
〈アイドルを好きになると、
 その仲間に入れるんだ〉と思い、
適当なアイドルを好きと言った。

いまから思えば、周りの子達と
話が噛み合わないような気がしたのも当然だろう。
その輪を外から見ている子からすれば、
私はアイドルが好きな子だが
その輪の中の子にとっては、
「本当に?」と思うこともあったかもしれない。



春になると、
はじめての場所にたくさんいく。
勝手がわからない場所にいくと、
周りを見て、正解の過ごし方をさがす。

学生時代は、
自分だけが好きなものをみつけることができず、
周りの子が好きなものを
一緒に好きになった。

フェス、イベントなどの行く場所、
美味しいものなどの食べるもの、
可愛い、シンプルな持ち物、
色んなものを人に合わせていた。



両親が姉を叱れば、
姉のような失態はしなかった。
両親の望んだ人生を歩まなかった
姉への期待が薄れた時、
正解不正解の中で生きて
無意識に不正解を避けた私は、
わたしは両親の自慢の娘になっていった。


この習慣は、
私にいくつかのいいことをもたらしてくれた。
恋人、希望の就職先、年上からの好かれ方。

世間に少なからずいる
グレーなことをする人種に、
巻き込まれずに済んだ
この習慣が知らないうちに
自分を守ってくれたのだろう。



だけど

なんとなく、ずっと
生きづらかった。

そんなことに気がついたのが
2020年秋だった。

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