他人を真似ることは結局自分の首を絞める
私は、小学校3年生まで
まったく言葉を発しない子だった。
3月の末に生まれて、
周りよりも発達が遅かったからか?
保育園出身で、
読み書きが遅かったからか?
末っ子で、すべての行動を姉たちや両親が
先回りしてやってくれていたからか?
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高学年になって、私と同じように
全く話さない子に出会ったので、
よくあることかと思っていたが。
後に、いろんな人に話す時に
驚かれて、自分が異常であることを知った。
*
一度、この話をしたときに、
「小さい時、よく怒られましたか」
ときかれたことがある。
『私自身は、一度もありません。
ただ、よく怒られている姉を見ていました』
そう答えた。
瞬間的に、
目を閉じて、ふたをした記憶を辿る。
当時、母は 不倫の真っ最中。
両親は家のお皿がなくなるくらい
投げ合って喧嘩をしていた。
父の口癖は「家族が崩壊するぞ」
1番上の姉は、
暴力を振るう父のあまりの怖さに
模擬試験の結果を
「よくできた」と嘘をつき、
1日に100回くらい
「嘘つき」ときつく罵られていた。
断面的だが、
意外にも思い出せるものだ。
目を開くと、
「その時期に言語を発しないということは、なにをしていいかわからないということの現れです。なにをしても怒られると思っていたのではないですか」
と続けられた。
思い当たる節があった。
*
思えば、小学3年生から、
コミュニケーションは後付けで覚えた。
周りの人をみて、見よう見まねで
話をして変な顔をされて、
この話はしちゃいけないんだ、
逆にこの話は喜ばれるんだ、と身につけた。
周りの子がキャーキャー言っているのをみて、
〈アイドルを好きになると、
その仲間に入れるんだ〉と思い、
適当なアイドルを好きと言った。
いまから思えば、周りの子達と
話が噛み合わないような気がしたのも当然だろう。
その輪を外から見ている子からすれば、
私はアイドルが好きな子だが
その輪の中の子にとっては、
「本当に?」と思うこともあったかもしれない。
*
春になると、
はじめての場所にたくさんいく。
勝手がわからない場所にいくと、
周りを見て、正解の過ごし方をさがす。
学生時代は、
自分だけが好きなものをみつけることができず、
周りの子が好きなものを
一緒に好きになった。
フェス、イベントなどの行く場所、
美味しいものなどの食べるもの、
可愛い、シンプルな持ち物、
色んなものを人に合わせていた。
*
両親が姉を叱れば、
姉のような失態はしなかった。
両親の望んだ人生を歩まなかった
姉への期待が薄れた時、
正解不正解の中で生きて
無意識に不正解を避けた私は、
わたしは両親の自慢の娘になっていった。
この習慣は、
私にいくつかのいいことをもたらしてくれた。
恋人、希望の就職先、年上からの好かれ方。
世間に少なからずいる
グレーなことをする人種に、
巻き込まれずに済んだ
この習慣が知らないうちに
自分を守ってくれたのだろう。
だけど
なんとなく、ずっと
生きづらかった。
そんなことに気がついたのが
2020年秋だった。