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第一次お局戦争の終焉


「昨年度はどんな一年だったか」と聞かれれば
『お局と戦った一年だった』と答える。
仕事内容に直接関係のないことに悩んだ
悔しい一年だった。

入社5年目の小娘と
入社12年の大ベテランの戦争。
明らかに小娘の負けがみえていた
その戦争が一時休戦になった。



私が赴任された時、
うかつに
「ここの職場はお子さんがいる方が
たくさんいますね」
と言ったことからこの戦争は始まった。

お局さんはお子さんが
いらっしゃらなかったのだ。

やっちまった



お局さんの契約社員といえど
入社10年。人間関係の構築力をつかって、
私が話したことのない先輩方へ
悪口を吹き込まれた。

ただ、私も
女性同士の人間関係には慣れている。
そんなことでへこたれるタマではない。
いくら他人が悪いイメージを吹き込もうと
目の前の人間が自分にとって敵でなければ
攻撃してこない
ことは知っていた。
1対1の関係で良い関係を構築し、
いろんな人を味方につけることができた。
良くしてくれる先輩方に守られ、
ゆっくり和の中に入れてもらい
職場に馴染むことができた。






そんな中、お局さんが社員になった。
社員になった途端、人が変わった。

みんな「〇〇さんいい人になっちゃって」
と言っていたくらいだ。
だけどいい人になったのは目上の方にだけ。
管理職の先輩方には、
フルーツをあげたり、舞台のチケットをあげたり、側からみるとかなり露骨なコビ売りがあったように思う。

何をそんなにコビをうる必要があったのだろう
と疑問だったが、
常々「隣のチームには行きたくない」と
いっていたので、
お局さんがチーム異動しないための布石だったのだろう。

異動したくないなら社員になるなよ


私への態度はというと、陰湿になった。
お局さんはわたしをライバル視していたのか、
貶めたかったのか。
事あるごとに、
槍玉にあげられ、吊し上げにされた。

管理職の先輩方には悪口を吹き込まれ、
距離を置かれた時期もある。



ある日、私は
管理職の先輩の報告がなかったことで
する必要のない仕事をしてしまった。
特に怒っていたわけではなかったが、
「次があっては困るので、報告はして欲しい」と
お願いをしに行ったところ、
運悪く、そこにお局さんがいた。
第三者が出てくる場所ではないはずだったが
管理職の先輩に見えないところで
私は肘鉄をくらった。

え、暴力?

流石に笑ってしまったが、
この時、私は火がついた。

そこまでして異動したくないの
私情が凄すぎる。


腐っても大企業。
異動など人事評価はある程度、決まった基準がある。その時は、来年度の異動希望を出す大事な面談を控えていた。


人には届く言い方と言葉があると
常々考えて生きてきた。

当時の職場トップの部長は
感情論ではなびかないような人だった。

どうにか自分の感情(=お局さんが嫌い)を排除して不満を持っていることを伝えるために作戦を練った。


①会社の方針として、
 この部署の若手に何をして欲しいのか

②会社の方針を理解した上で
 自分はどんなことを磨きたくて働いているのか

③それをしたくても叶えられない環境は何か

④その環境も理解した上で自分はどうしたいか

これを細かく考えた。


① 会社の方針として、
 この部署の若手に何をして欲しいのか

 :入社10年以上の先輩方が異動しない環境。
 会社の戦略的にも
 「当部署の専門家を育てる」方針は明確だった。
 そして、働く半数以上が40才以上。
 つまり「次を担う若手の育成」、
 若手には育って欲しいのだ。


②会社の方針を理解した上で
 自分はどんなことを磨きたくて働いているのか

 :この会社・部署の方針への理解を示した上で、
 「自分はこの部署の専門家として
   次の世代を担いたい」と伝えた。


③ それをしたくても叶えられない環境は何か
 :しかし、変化を嫌うお局さんの存在で、
 自分は今の部署の仕事を理解できないまま
  二年を終えようとしている。
 具体的には、事務作業に忙殺される中で、
 わからないことを調べようとすると
「何をしているの。それを調べる時間が
 あったらこっちやって」と
 仕事を振られる等。

 自分としては、
「2年間部署のことを知らないまま」
  ということにフラストレーションを抱えている。
 管理職の先輩には.それとなく
  相談したことがあるが、
 距離を置かれたことにより、
  気軽には話ができなくなった。
 にもかかわらず、
  自分がチーム異動をする話をずっとされる。
 職場にずっといる人が力をもつのは、
 専門家を育てたいという会社の方針上、
  仕方ないことだと思う。
 ある程度の人間関係の問題では、
  自分も折込ずみだ。 
 それが上の指示であれば、従うし文句はない。


④ その環境も理解した上で自分はどうしたいか
 :ここを逃げて異動することは可能だが、
 異動したあとに「どんな場所だったか」
 と聞かれてもわからないのが
 今後の自分にとっては辛い。
 「どんな仕事をしているのか知っているのか」と
 「知らないまま」の異動では
 意味が変わってくる。
 仕事を理解した上で、
 自分に合わないと思えば潔く異動を希望する。
 できれば、仕事を理解した上で
 次のステップに行きたい。



部長は一通り話を聞いたあとで、
「よくわかった」といった。
しかし半年間音沙汰がなく、
周りからは私のチーム異動が確実という情報を吹き込まれていたので私自身は、覚悟は決めていた。

その覚悟通り、
直前までお局さん他管理職の先輩方には、
「あなたが別のところにいくなんて悲しい」と言われていたので別チームへの異動は内定していたはずだった。





しかし、迎えた異動発表。




ひっくり返った。

私が現チームへ残留し、お局さんがチーム異動をした
しかも現チームがほとんど解体され、
仕事の効率化を推進する新しい体制になった。

涙が出るほど嬉しかった。
ちゃんとわかってくれていたんだ。
自分はちゃんと今の仕事を学ぶチャンスをもらえたんだ。



お局さんはというと、大変なご立腹であった。
異動について聞いたとたん、
「あなたは今のチームに残った方が大変だよ」
「私もこのチームには苦手な人しかいない」
「私のいないこのチームは泥舟だ」
「あなたはどこのチームからも願い下げされたのよ」と堰を切ったように悪口のオンパレードだった。

今のチームに残る先輩方に対して、失礼すぎる


挙句の果てには
「私がこれからいく新しいチームは、
あなたでもできる位ラクだったよ」
といってくる始末。
二回りも年が離れているのに呆れた人だ。


このお局さんは仕事をラクかどうかで選ぶ人なんだ。
軽蔑するわ。


さすがの私もかちんときてしまった。
いってはいけないことをいってしまった。

『でも10年以上大ベテランの〇〇さんと
2年しかここにいないペーペーの私が
同じ天秤にかけられていたなんて、
私とても信じられないです』


この言葉を最後に
一時、冷戦に入った。

きえええ、こええ。
これから何されちゃうかなとビクビクの日々を過ごさなきゃ。



何はともあれ、
新体制の元、今年度が始まった。

人には届く伝え方がある」ということと
自分を見てくれている人がいた」ということが
改めてわかった。

そして、そうしてつないでくれた期待には応えたい


今年は、
他人に左右されずに
仕事を極める一年にしたい。


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