2024年に観た映画の感想 7月~9月編
今年から始めた、観た映画の感想をまとめていくnote第三弾。
今回は7~9月の映画をまとめていく。
ネタバレ込みの感想なので、ネタバレを避けたい方はブラウザバック推奨。
◆7月
ルックバック
ルックバックに関しては、何を言っても安っぽくなってしまう。何を書いても「この映画の素晴らしさを語るにもっといい言葉があるはず」という不満を排除できなかった。おそらく、僕はこの映画をちゃんと評せる言葉を持っていないのだろう。
なので「少しでも『作り手』の側に立ったことのある者として大いに共感し、感動した」とだけ。
コードギアス 奪還のロゼ 第3幕
ロゼに関しては、個別のnoteにまとめたのでそちらを参照。
デッドプール&ウルヴァリン
デッドプールのシリーズ全てと『ローガン』鑑賞済みの状態で鑑賞。
楽しかった…けど、ついていけない部分も多かった。
要約すると本作は「かつて『X-MENシリーズ』や、それ以前からあった『ブレイド』を筆頭にするMCU以前のアメコミ映画に親しんできた者たちに送る祭」、近しい作品を挙げるなら『ジオウOver Quartzer』に似た映画なのだが、僕はそうした「90年代~ゼロ年代のヒーロー映画ブーム」をほとんど通ってこなかったのである。
「神聖時間軸に不要なものが捨てられる虚無の世界」という設定と、映画を見ずとも知っているウェズリー・スナイプスのブレイドの姿を見て「ああ、コレ実質『ジオウOQ』なんや!」という文脈を察したときには「X-MENとか見てたら絶対ブチ上がったんだろうなぁ…」と、楽しみつつもちょっと冷めてしまった自分もいた。
デッドプールのギャグは今回も切れ味抜群、それでいて第4の壁破壊ギャグキャラにありがちなウザさのない絶妙なバランスを保っており、何度も笑わせてもらった。
笑えたのは「もうマルチバースはやめよう!『オズの魔法使い』には勝てないから!」という最大級の自虐にしか思えないギャグ。マルチバース展開を推し進めてからちょっとグズグズになりつつあるMCUを見ている者として、深く頷いてしまった。
おちゃらけた道化役という自身の性格を知りつつも「ヒーロー」たらんとするデップーの姿や、やさぐれたウルヴァリンがデップーとぶつかり合う(※物理)中で、X23の後押しを受けてヒーローとして再起するクライマックスなど燃えるポイントも多い。
ただ、ギャグのつもりなのだろうがヒューマントーチを「クリス・エヴァンスのギャラが捻出できないから」という理由で殺してしまった(しかもあまりにグロいやり方で!)のは最後の種明かしを加味しても納得できていない。
ナイスプールのくだりも、笑いつつもちょっとモヤモヤした。
引っかかる部分、乗り切れなかったポイントもあるものの、笑いも燃えも涙もある素晴らしい120分でした。
カミノフデ 〜怪獣たちのいる島〜
特撮造形のレジェンド、村瀬継蔵氏が手がける「アナログな特撮技術をあえて使った」特撮映画、という触れ込みを聞いて観に行った。
オールドファッションな特撮そのものは、スーツ操演や実際に火薬を使った爆破などの技術もさることながら作り手の特撮愛が画面からほとばしるようで、かつて子供の頃に見た特撮映画を思い出してとても懐かしい気分になれた。
CGを否定するつもりはまったくないものの、やはり特撮は実際にスーツや小道具、ジオラマなどを使っている方が「そこに在るという現実感」があり、見ていてワクワクする。
しかし、特撮に関しては100点中120点と言っていいクオリティなのだが、それ以外は壊滅的と言うほかない。
まず、全体的にカメラが動かないせいで非常に絵面が安っぽく、これだけで特撮は立派なのにB~C級映画的な雰囲気が漂ってしまっている。これに拍車をかけているのが特撮以外のVFXのクオリティの低さで、特にヤマタノオロチの火炎などは「合成感」が非常に強くチープに感じてしまった。
加えて各シーン・カットの時間配分もチグハグで、特撮シーンも無駄にスローのかかった長いカットがいくつかあり、テンポを殺してしまっている。
俳優陣も脇を固める大ベテラン(と一般通過樋口真嗣)は全く問題ないものの、主人公の片割れを務める「城戸」役の楢原嵩琉くんの演技があまりにひどく、いわゆる「キモオタ」演技をしようとしているのはわかるのだが、拙い演技とキモオタ演技が合体事故を起こし、嫌な意味でキモさが真に迫っている。自分は一定以上の演技のレベルがあれば、あまり俳優や声優に苦言を呈することはないのだが、そんな自分が気になってしまうほど彼の演技は拙く、全編にわたって気になってしまった。
シナリオも「特撮の添え物」の域を出ないもの。
要約すると「亡くなった特撮造形家・時宮健三の孫・朱莉が、特撮オタクのクラスメイト・城戸とともに、生前健三が作った映画の要素を持った異世界に迷い込み、冒険する」というもので、朱莉は幼い頃に健三に暴力を働かれたという記憶から、健三と彼の作った造形物を嫌っている、という設定がある。
「無警戒にこぼれた酒を飲んで酔っ払うヤマタノオロチ」「茶番めいた山賊とのやり取りと、薬草のくだり」などツッコミどころは多く、特に前半は前述した楢原くんの演技もあって退屈に感じることもあった。
城戸も「オタク」という設定がほとんど生かされない(ヤマタノオロチに酒が効く、と助言したくらいか)上に、何の接点もない朱莉を「時宮さん」と他人行儀に呼んでいたと思いきや、異世界での窮地に急に距離を詰めて「アカリ」と呼び始めたりと、キャラがブレブレ。
「朱莉が幼い頃、彼女に健三が振るった暴力」という最大の謎も「朱莉が健三の工房にある刃物に触れようとしていたのを、とっさに健三が突き飛ばして守った」ことを忘れていただけ、というあまりにあっさりしたもので、優子(朱莉の母)がそのことについて全く健三をフォローしない、という不自然さもある。
現実世界に帰還し、健三との記憶を取り戻した朱莉がヤマタノオロチとの戦いを決意する後半は迫力の特撮バトルが始まることもあって面白くはなるが、朱莉はまたまた「健三が彼女のためだけに作った怪獣、ムグムグルスの事を忘れていた」という薄情ぶりを発揮するため、いまいち彼女の印象が良くならず、物語に没入できない。
「健三は、『諦め』や『叶わない理想』が形となった(と考察できる)怪獣・ヤマタノオロチと戦いながら映画を作っており、朱莉がオロチを前に『おじいちゃんの物語を忘れない』と宣言することでオロチが消え去り冒険は終わる。この冒険は時宮健三の作った物語を再確認し、風化させないためのものだった」というクライマックスはいいが、いきなり冒険を終えた朱莉が「冒険の中で誰かを演じるの、楽しかった。わたし役者になるわ」と宣言するオチは唐突感。「役者になる」と断言させるよりも「おじいちゃんの物語を風化させない方法を探していきたい」とまだ見ぬ未来に目を向ける、ぐらいの感じで良かった気がする。
総合すると、「LV100の特撮オタクが作った自主制作映画」とでも言うべきアンバランスな映画だった。
繰り返しになるが、特撮は素晴らしい。だがそれ以外の部分は壊滅的で、特に薄味なストーリーは見ていられない。確かに我々が子供の頃にはそういう「特撮100点、ストーリー30点」みたいな特撮映画はあったけども、その点まで時代性を再現しなくてもいいから…。
◆8月
劇場版モノノ怪 唐傘
現在再放送中のアニメを途中まで見た状態で鑑賞。
監督の中村健治氏の「これは大奥を舞台にした、新社会人の物語なんです(※要約)」という補助線のおかげで大筋はなんとなく理解できたし、TV版と比べると物語はわかりやすかったものの、ディテールに関しては全然把握できず、中盤以降、脳内はずっと宇宙猫状態。
戸惑いながらも唯一理解できたのは、「豪華絢爛」の4文字が相応しい色彩に溢れた大奥やモノノ怪が巻き起こす世界の異変演出の進化、ハイパー薬売りのアクションの進化など、令和の技術力によりアップデートされた「モノノ怪らしさ」の凄まじさ。あらゆるカットが芸術のようで、1秒たりとも目が離せず、「作品を理解できた自信は1ミリもない、でもすごいものを見たという実感はある」という不思議な心持ちでシアターを出た。
「劇場で見てよかった」と断言できる、「芸術を浴びる90分」とでも形容すべきオンリーワンの体験ができる一作。
ストーリー面は小説版を買って補完したい。
コードギアス 奪還のロゼ 最終幕
ロゼに関しては、個別のnoteにまとめたのでそちらを参照。
ゼーガペインSTA
ゼーガは原作アニメと『ADP』視聴済み、『エンタングル・ガール』『ホロニック・ガール』未読、もう一つの原作と言えるパチスロ『ゼーガペイン2』にはノータッチ。
総評を先に言ってしまうと「極端な長所と短所が同居する難儀な作品」、というのが正直な感想になる。
まず、良かった所。
ひとつは「『ADP』で自爆した機体の残骸から回収された、ADP時代に準拠した幻体のキョウ(以下、「幻体キョウ」と略記)」という実質的な新キャラを生み出すことで、本編終了後も燻っていた「シズノ先輩かわいそう問題」に決着をつけたこと。
「ヒロインが二人いて、どっちも一人しかいない主人公に恋してる。どうしよう!」→「わかった!主人公を二人に増やそう!」という「石恵のエロマンガかよ!!!」と突っ込みたくなるような荒業だが、この裏技めいた設定が副次的に自分含むオタクがだ~いすきな「過去作主人公と今作主人公の共闘」という最高のシチュエーションを生んでおり、前作の最終回で人間になったキョウ(以下、「人間キョウ」と略記)と幻体キョウの凸凹しつつも肝心なところでは通じ合うやり取りと戦いには興奮した。
二人のキョウの違いを「不完全であるという『痛み』を受け入れ人間になった人間キョウのアルティールは(前作最終回で舞浜シャイニングオーシャンパンチをぶっ放したため)隻腕」という形で表現した演出もグッドだし、最後に幻体キョウのアルティールの片腕を使って機体を修復することで「本作が終わった後も、もう戦うことのできないであろう幻体キョウの意志を継ぎ、人類再生のために戦い続ける」という人間キョウの意志を観客に示す演出も素晴らしかった。
原作キャラたちもいい意味で「そのまま」であり、相変わらずの「頭の良いバカ」ぶりを見せる二人のキョウには安心したし(「ショーペンハウアー語るなら、人の痛みについて考えろ!」という新たなキョウちゃん語録には笑った)、アビスが「亡きパートナーであるシンが助けたカミナギを救うためにセレブラントに助力するシーン」には「機体が吹っ飛んでバックアップもない状況でなんで生きとんねん!」というツッコミをしつつも感動した。
しっかりと18年前に演技を寄せる浅沼さん・花澤さんのプロぶりも「俺達のゼーガが帰ってきた」というノスタルジックな感情を増幅させてくれた。
悪いところは上記した以外の部分全て。
一番言いたいのが映画全体の時間配分の下手くそさで、本作は構成の圧縮ぶりがひどい。
まず、冒頭に『ADP』と本編をまとめた10分程度の総集編「レミニセンス編」が始まるのだが、10分で2クールと映画一本がまとめられるはずもなく、レミニセンス編は実態としては『ADP』と本編の映像を使ったミュージックビデオと言っても過言ではないシロモノ。「そんな薄味の総集編やる時間を本編に費やしてくれよ」というのが正直な思いである。
薄味なレミニセンス編が終わってやっと本筋の「オルタモーダ編」が始まるのだが、これの序盤~中盤の構成は最悪。
序盤~中盤の構成は要約すると「記憶喪失の幻体キョウが、AI『ルーパ』の助けで記憶を取り戻しながら、地球を侵略しようとする平行世界の人類『オルタモーダ』と戦う」というものなのだが、複数人いるオルタモーダたちの襲来がはあまりにも矢継ぎ早・ハイテンポすぎて、「観客にオルタモーダたちを早く紹介しなきゃ!」という制作サイドの思惑が見えてしまう。誇張抜きで、序盤~中盤の構成はこんな感じだ。
体感時間20分ぐらいの間にこのストーリーがねじ込まれていると言えば、メチャクチャぶりが理解できると思う。
ルーシェンの加勢以降はこのメチャクチャな構成は落ち着くのだが、それ以降も物語は全体的に早足で、常に「もっとじっくり見せてほしい」という不満がつきまとう鑑賞体験をすることになる。
第2の不満点が、新キャラ・パチスロ初出キャラの存在感の薄さ。
敵のオルタモーダ六人衆は、リーダーのハルを除くと矢継ぎ早に出てきて「俺の名は◎◎!俺の能力は××だ!死ね!光なき者!」と言って襲いかかってくるだけの存在で、愛着が全く持てないし、ハルも含めて倒されても「我々は死ぬことを恐れない…」とか言って無感情で爆散していってしまうため、倒してもカタルシスがない(オルタモーダもナーガの被害者なので、そもそも倒してもカタルシスを得にくい存在ではあるのだが)。
オルタモーダがゼーガペイン世界を襲ってきた理由が、専門用語を死ぬほど使って「オフチョベットしたテフをマブガッドしてリットを…」といった具合で説明されることも、彼らへの感情移入できなさに拍車をかける。
現実世界でオルタモーダを退けると登場する、パチスロ初出らしい真の黒幕「ナフシャ」もぽっと出感が凄まじく、「二人のキョウが共闘しラスボスに立ち向かう」というシチュエーション自体は熱いものの、劇場を出て物語を振り返ると「アイツは何だったんだよ」という疑問しか浮かばない。
新たなヒロインである「ツクルナ」も意味深なセリフとともに登場するものの、最後までセレブラントたちにもオルタモーダたちにも決定的に関わらずに物語からフェードアウトしてしまう、という悪い意味で常識破りの扱い。彼女に対しても「お前は何だったんだよ」という疑問しか浮かばない。
上記した2点に比べれば些細なことだが、あまり映像面の見どころがなかったことも気になる。映像は『ADP』ほどではないもののバンクで誤魔化しているところがところどころに見られたし、ホロニックローダーのアクションは良かったものの、今年に同じく3Dのロボットアクションを扱った『機動戦士ガンダムSEED FREEDOM』『コードギアス奪還のロゼ』と比べてしまうとちょっと見劣りする。
ゼーガと同じく、長き沈黙を経て帰ってきた『SEED FREEDOM』『モノノ怪 唐傘』が豪華絢爛な映像面で僕らを魅了してくれただけに、どうしても比べてしまう。
オタクという生き物は、自分も含めて作品に多少の粗を見つけても、長所を大きく評価して「確かに悪いところはあった!それでも、あのシーンは最高だったよね!!それだけで100点中5億点!!!」といった塩梅で作品を甘い目で見がちなのだが、本作は「二人のキョウが戦う最高のクライマックス」というポイントに「ゼーガという作品に対する思い出補正」を加味しても、上記した欠点を自分の中で相殺しきれない残念寄りの作品だった。
ラストマイル
知人のすすめで『MIU404』のみ完走した状態で鑑賞。
「消費社会」と形容されて久しい、ウーバーイーツ、Amazonなどの便利な配送サービスをマウスのクリック・スマホのタップ数回で利用できる現代社会の罪を告発するような映画だった。
本作は、我々が当たり前に利用するそうしたサービスが、末端の犠牲によって成り立っているという、我々が知りながらも目を逸らしてきた事実をまざまざと突きつけてくる。過労の果てに精神をすり潰された佑と、半ば自殺のような形でデリファスを止めようとしたまりか。エリートであり現場の負担を理解しないエレナと身勝手な利用客、そして爆弾テロの脅威に振り回され続け心を病んでいく羊急便の竜平。「俺達が世界を支えているんだ」と配送業者の誇りを語る昭に、自己を犠牲にして令和の社会を維持しようと、誰にも顧みられることのない現実を説く亘。彼ら、我々には見えていない末端の人々の悲鳴を聞くたびに、胸が締め付けられるようだったし、それを踏まえたうえでのまりかが焼死するシーン(そこまで詳細に描写すると思っていなかったので、かなりショックを受けた)やラストの「What do you want?」という問いかけは、未だに心の片隅にトゲのように刺さっている。
この映画の、というか野木亜紀子作品のすごいところは上記のようなメッセージを伝えつつも決して「説教臭く」はなっておらず、エンタメとしてもちゃんと面白い点だ。
「デリファスの配達物に仕込まれた12個の爆弾」「爆弾を仕掛けたのは果たして誰なのか」という最大の謎は約120分ずっと我々を振り回してくれたし、所々に箸休めのように挟まるコミカルパート(4機捜の面々、いい意味で変わってなくて安心感があった)にはクスリとさせられる。
「こんな扱いは苦しいので、みんなでストライキしましょう!」というエレナの竜平への提案がデリファスを改革する第一歩になり、最後の爆弾が、消費社会に受け入れられなかった日ノ本電機(丹念なものづくりをしながらも、大企業の物量・効率主義に勝てなかった企業の名前が「日ノ本」というのも考えさせられるものがある)の洗濯機によって防がれるという、我々に問題提起をしつつも「末端を犠牲にして成り立つ消費社会はクソ!」という自虐で終わらせずに「まだまだこの国だって捨てたものじゃない」というメッセージを伝えるかのように希望の光を一筋残したクライマックスの構成の巧さには唸らされた。
『逃げ恥』、『アンナチュラル』、『MIU404』、『犬王』、『カラオケ行こ!』と名作を生み出し続ける野木亜紀子にまたしてもやられた大傑作。
1回観ただけじゃ全然足りない。もう1回観てちゃんと咀嚼したいなコレ。
◆9月
きみの色
今は落ち着いているものの、かつてはデスゲームなどを舞台に、人間の醜さを引き出して「利己が人間の本質!これこそがリアル!」と謳う作品がめちゃくちゃあった。本作は、そうした「利己こそが人間の本質」と謳う作品の真反対にある作品と言える。
本作には「大事件」はなく、バンド系作品にありがちな「音楽性の違いでケンカ!」「音楽に対するスタンスの違いでケンカ!」「なんもわかってくれない大人とケンカ!」的な要素もまったくない。世間にとっては小さいけど本人にとっては深刻な悩みを抱えた少年少女たち3人が、周囲と、音楽に助けられながそれを乗り越えていく、とても優しい物語なのである。
それでいて本作は「起伏がなくて退屈」なんてことはほとんどなく(ちょっと退屈に思える箇所はある)、不思議と見入ってしまう魅力がある。これはサイエンスSARUの素晴らしいアニメーションも一因ではあるのだが、キャラクター一人一人の魅力をしっかり描いているからだと思う。
その代表が主人公の一人である日暮トツ子。このトツ子がすんごいかわいい。天然でフワッとした言動は可愛く、しかもそこには「いかにもオタク狙いのあざとさ」が全く透けて見えてこない。
そんな彼女が「自分の色を見出だせない」という悩みを抱えながら、きみ・ルイと友情を深め、音楽に打ち込んでいく過程を見ていて、いつの間にか僕は思わず心のなかで「頑張れ!」と彼女を、3人を応援していた。
印象に残っているのが、奉仕活動を終えてルイの元に久々に戻れたトツ子ときみが手を繋いで喜ぶシーン。僕はここで心のウイニングチケットが出てしまい、泣き所でもなんでもないのに「よ゛か゛っ゛た゛ね゛え゛え゛え゛!!!」とちょっと泣いてしまった。
現在進行系でしんどい思いをしていて傷んだ心に、じんわりとしみた大傑作。
(この「しんどい思い」については別の機会にnoteを書きます)
機動警察パトレイバー the Movie(リバイバル上映)
かつて、押井守が「日本を代表するスーパークリエイターの一人」と持ち上げられ、ネット上でも「オタクの必修科目」のように扱われていた時期があった(記憶が正しければ『イノセンス』『スカイ・クロラ』の頃)。
その頃、高校生になりたてのガキであった僕はオタクとしてのランクを上げたくて、レンタルビデオ店で手当たり次第に押井作品をレンタルして見ていったのだが、当時の僕はあまりに未熟で、押井作品の殆どを理解することが出来なかった。
『イノセンス』『スカイ・クロラ』は、起伏がなくて途中で寝た。
『GHOST IN THE SHELL』『機動警察パトレイバー2』『ビューティフル・ドリーマー』は、画作りには感動したが、話やテーマを理解できなかった。
『アヴァロン』。投げっぱなしジャーマンなオチにキレた。
特に『ASSAULT GIRLS』は、ビジュアル的にもシナリオ的にもあまりにもつまらなくて、「押井守って実はたいしたことないんじゃないの?」と当時の僕は疑惑を持ってしまったし、成長した今でも『ASSAULT GIRLS』だけは認めることができない。
そんな当時の僕が、唯一手放しで「すごい!最高の映画だ!」と感動したのが『パトレイバー the Movie』である。
そんな思い出の映画がスクリーンで見られるという一報を聞き、僕は急いで手近なリバイバル上映を行っている映画館に駆け込んだ。
スクリーンで見たパトレイバーは「あの頃と変わらない」どころか、かつて感じた以上の面白さがあった。
今や「コンピュータウイルス」という題材は目新しいものではなくなってしまったものの、本作は時代の流れで色褪せるようなチャチな作品ではなく、川井憲次の最高の劇伴と共に始まるプロローグ→ドカンと出るタイトルで既に心はブチ上がり、HOSの謎を追う遊馬とその裏でHOSを作り上げ自殺した帆場暎一を追う松井刑事、その間にテンポ良く挟まれるギャグ、そして何よりシゲさんと遊馬がレイバー暴走のメカニズムを解き、特車二課が方舟破壊に向かうクライマックスはいつ見ても最高オブ最高オブ最高。
年齢を経たことで、ガキの頃はいまいちわからなかった押井監督特有の「虚と実の境目を問う(この場合は帆場暎一の存在)」構造や松井刑事たちが地道に足で帆場の正体を探るダレ場の面白さも多少わかるようになったし、本当にスクリーンで再鑑賞してよかった。
『パトレイバー the Movie』を見る度にオジサン思うんだけど…やっぱ押井さんって、誰かが手綱を握って程よく制御したほうが面白いんじゃないかな。
それとも、今見直せば当時は見えなかったモンが見えてくるのかな。
夏~初秋にかけては精神的に病んでいた時期で(というか今も病んでいる)、『エイリアン:ロムルス』『Cloud』など他にも見たかった映画が結構あったものの、見に行くだけのエネルギーを捻出できず見逃してしまったのが残念。
この「病み」をブッ飛ばしてくれるような明るい映画が見てえなあ。