「#生きづらさを生きていく」法務省の広告から考える
どこかエモい雰囲気を感じさせる
#生きづらさを生きていく
という広告のコピーが
批判を浴びているようです。
批判内容とその理由、また広告主の法務省の真意を
1つずつ見ていきたいと思います。
広告チェック
広告自体の問題点:問題度 低
結果:ぽつぽつと不満あり
要因:伝えたい内容が分からない
まずは広告コピーを見ていきましょう.
批判を受けた広告
広告への批判
1 生きづらい社会を肯定
#生きづらいを生きていく。
というコピーは、消費者には、広告主が生きづらい社会を肯定しているように受け取られました。
生きづらい社会だけど、自分で生きていくしかないよね、社会は変わらない、生きづらさはあるものだ、と広告主の法務省が言っている。
消費者の思う生きづらさとは
子育て世代の支援が少ない、
パワハラされたので働けない、
男女差別でキャリアアップしにくい、.…など、
社会システムが整わないために不利益を被って生きていかなければならない辛さ。
#生きづらいを生きていく。 というコピーは、
そんな生きづらい社会を肯定している、
消費者にはそう捉えられました。
日本社会を良くしていくべき政府機関がそんな態度でいいのか?
消費者が、もやっと感じても仕方ないコピーと言えます。
2 エモさで美化
生きづらい社会を受け入れるだけならまだしも、それを美化していると感じさせる広告表現が批判を集めています。
確かに、
缶を手に夜空を見上げる、髭を生やした男性のイラスト。
何かに思いを馳せているような、エモさを感じさせる表現です。
コピーは手書きで、情緒的な意味を含んでいると思われます。
飲料製品の広告のような
エモさ溢れるすがすがしい表現と共に、
生きづらい社会について触れるコピーは
『はぁ、世の中は生きづらい、それが美しい』
とまで言っているような雰囲気を受け取ってしまうかもしれません。
そしてそれは、法務省に国民が期待することではないです。
3 曖昧さがイライラに
分かりにくい広告は消費者をイライラさせる傾向にある事は広告評価のデータから言われています。
最近多いのは、
明言せず、手書きでふわっとした感情を書く、という方法です。これは消費者に言葉の意味を考えさせる方法とも取れるかもしれません。
背景としては、(外から見た)Z世代には「共感が大切」と世間で言われるようになり、ファン・共感マーケティングといった言葉が台頭したことが挙げられます。曖昧な感情を表現するコンテンツが増え、広告でも感情に焦点を当てたものが多くなっています。
映画「花束みたいな恋をした」や「エモい」という言葉の人気はそれと関連しているようにも思います。
日経新聞の「大丈夫になりたい」というコピーも、
「大丈夫」の意味が曖昧であったことが原因で消費者をイラつかせていました。
一方で、消費者にメッセージや魅力を伝えるはずの広告が、
意図の読み取れない曖昧な感情だけを載せるのは
広告としては機能しません。消費者はイラついてしまいます。
今回の「#生きづらさを生きていく。」も法務省が何を意図しているのかが曖昧で、消費者をイラつかせてしまっていました。
広告目的は何だったか
分かりにくさもあり、批判を集めた法務省の広告ですが、その意図を見てみます。
広告の意図
広告の目的は
A.社会に犯罪を犯す原因や経緯に理解を持ってもらうこと、
更に
B.広告主が犯罪を防止できる社会を目指して活動をしていることを伝えるのが意図と思われます。
広告の意図について、下記の文章がHPに掲載されています。
広告主の行う社会を明るくする運動
また、生きづらい社会を肯定しているかのようなコピーを出した広告ですが、広告主は、実際に犯罪を防止できる社会のためにいろいろな活動を行っているようです。
広告主の法務省の社会を明るくする運動の活動について
HPに、地域が厚生する人を支援する方法として下記の説明がありました。
誰の生きづらさか
広告の言う生きづらさは、
虐待、貧困、孤立、障害などが要因となって犯罪から立ち直る人や犯罪を犯してしまう人の「一人ではどうにもできない生きづらさ」を示しています。
この広告は、一人の男性の心情に焦点を当てて、
そんな生きづらさを抱えた人もいます、という社会への呼びかけ目的だったのかもしれません。
しかし、そのことは広告からは分かりにくく
広告中には『犯罪や非行を防止し、立ち直りを支える地域のチカラ』とだけ下方に書いてあります。
生きづらさの意味
改めて、この広告の意図した「生きづらさ」は、
犯罪を犯した人の厚生過程における生きづらさであり、
多くの大衆が思う生きづらさとは異なります。
大衆の思う生きづらさは多くは、
社会システムが整わないための不利益です。
ある一定の社会的立場は確保された上で感じる、
いわば「だるさ」「大変さ」「円滑に生活を送るのが骨折り」のような意味と思われます。
こう捉えると『社会システムは法務省が整えろよ!』と思うのも当然。
一方、広告の意図した指す生きづらさとは、
犯罪や非行の背景(と厚生過程)の“生きづらさ”。
つまり、一度健全な社会からそれたと判断される人の背景と、その後の社会復帰のつらさのこと。
何が異なるかというと、
大衆の生きづらさは社会制度の不備に由来するものが想定され、
広告の示す生きづらさは、社会制度の不備に由来するものに加えて、
生きる(時間を過ごす)こと自体が、罪を犯したという事実と向き合うという、逃れられぬ精神的戦いである事です。(犯罪が社会的にOKにならない限り)社会制度が少し変わったくらいでは、生きやすくなる訳ではないことが多々あります。
そしてこの社会的弱者の環境や感情に思いを馳せた広告を、
法務省が作りたかったのだと思われます。
また、男性の生きづらさに焦点を当てているように見えますが、昨年のポスターは女性の表象でした。
分かりやすい代案
広告の意図を踏まえて、社会的弱者の環境や感情に思いを馳せた広告のまま、代案を考えてみました。
コピーは「見えない生きづらさと向き合いたい」と
はっきり言った方が良いと思われます。
代案のポイントは下記。
Ⅰ目的の明確化
現状、この広告の目的が
A.犯罪を犯す原因や経緯に理解を持ってもらう
B.法務省の活動を広める
のどちらなのかわかりません。2つとも目的がある場合は、1つに絞った方が消費者に伝わりやすくなるはずです。
更に、法務省の行う社会を明るくする運動の具体的な活動を知らない事には、コピーが、ただ生きづらい社会を肯定しているのかが分かりにくいです。
今回は男性の感情に思いを致している広告という概要は変えず、
A.犯罪を犯す原因や経緯に理解を持ってもらう で代案を作ってみました。
Ⅱ広告は一目で分かる方が良い
#生きづらさを生きる
のコピーは誰のどんな生きづらさを示しているか不明なため、
Ⅲ大衆にどうなってほしいか
代案の「向き合いたい」というような、厚生についての前向きな言葉があれば自然と、社会や地域もそこに寄り添わないとな、と思えると思います。
現状の #生きづらさを生きる は、
社会的弱者が『はぁ、世の中は生きづらい、それが美しい』のように
自分の思いに浸っているだけで、
その思いをどうしたいのかが伝わりにくかったためです。
ただし、犯罪者の厚生支援なんてするなよ、という批判には取り合いません。社会復帰の支援は社会/政府の責任だからです。
法務省は社会にとって大切な活動をしているので、
広告で誤解されるのはもったいないですね。
消費者に受け入れられる広告をつくるために
広告炎上や批判可能性を把握すること、メッセージを適切に伝える、適切に市民のリアルな声を聴くには、
社会背景や、ターゲットの傾向、感情など様々な要因を理解する必要があります。
広告評価や海外での広告展、市民参加型炎上広告のつくり直しプロジェクトを行った経験を活かし、企業向け支援を行っております。
もし自社広告、発信内容に不安がある方はお役に立てますので、ご連絡ください。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?