『存在の耐えられない軽さ』を読みました。
新聞の書評で興味を持ちました。
読んでみたものの、よく分からず。もう一度書評や同じ感想を書いているサイトを見直してそういう話だったのかと理解しました。
おそらく、理解できないのはこの本の時代背景であるプラハの春がワルシャワ条約機構によって潰され、共産主義が台当しているということが理解できていないからだと思います。加えて著者が小説の内部に入ってくるような記述があり、現実なのか?小説なのか?よくわからないのもあります。著者の心情を語っている場面では、小説は存在しない、というようなことを言ってる場面もありより強調されたのかなと思います。
社会情勢的な面がありつつも、内容はドロドロの恋愛系でした。有象無象ではなく、いち個人としての承認欲求を求めたり、愛と安心?は別のようなことを思ったりと、恋愛は今にも通ずる話なのかなと。
めちゃくちゃ内容理解としてはボヤボヤしてますが、響いた所がラストの方にありました。
自分で決めたこともそうですが、何となく親に言われてそうしてきたことも後々になると変えられなくなることに似ているのかなと。「私はこうやって生きてきたからこれでいい」というように。
テレザは職を転々としてきたけれども、トマーシュはあるきっかけで医師を辞めることになる。そして別のことをしている。職業を比べて自分の価値はあるのかないのか、職業と権威、そして幸せについて互いに考えていることが、今にも通じることだなと感じました。
たまたまですが、このあいだ録画していた『マスカレードナイト』を見た時に出てきた、ラブアフェアがこの本でも出てきて、一般的な言い方なんだと思いました。
こんなところで。
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