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ただのはきだめ。思考整理。 幸せなことがたくさんありますように。

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最近の記事

同期や同僚、上司部下

わたしは1日の大半を過ごし、 平日は特に、家族や友人以上に同じ空間で 時間を過ごす以上、 気持ちよく働きたいなと思う。 別に学生みたいに仲良くするわけじゃなくて、 困ったときに頼れる関係性、 聞ける関係性、 そういうのが重要だと思う。 それは長年働いていれば自ずとついてくるものかもしれないけれど、 最初は特に同期などの横の繋がりっていうものも あっても悪くないのかな、って思うんだよね。 というか仕事だけど、 仕事だけして、孤独的に働きたくないなって 思うんだよね。 で

    • しごと

      世界にはいろんな職業があって、 どんな職業に就いても良いことを 知ったのは比較的最近だった 生きれば生きるほどそんな選択肢があったのかと思って、 職業選択をしなければいけないフェーズで それらを知っていたらもっと違う人生だったのか と思うときは結構ある、 知らないだけで 色んなしごとが世界にあって それらで生計を立てている人もいて、 なかなか興味深い。 狭い視野のなかでも 今は色んな勉強が出来て、 それがきっと、ここではなくても 多少なりとも役立つ知識で、 なんだか嬉し

      • ラストマイル

        この世界がどれだけ 下層部を軽んじ低賃金で だけれども、より良いサービスを求めることを 凝縮しているなと思った。 そして利用者は止まることなく より安価に、よりサービスの向上を、 現状では料金と質が見合っていないと 実情を知ってか知らずか声を上げ続ける。 それに困窮する現場。 消費され 尊重されない人々、 それをどうにもできない上司、会社、社会を うまく描いたものだなと思った。 心が痛いな、と思った。 私も似たような状況だったし、 その状況でどうしても 「使用される

        • 情熱と夢

          私には元々夢も熱く語れる趣味も無かった。 だから幼い頃からスポーツ選手やアイドルなど それに向かって努力をした結果、 輝く今の地位を得た人が好きだった。 それぞれの個性が好みだったのではなく 振り返って見れば、頑張っている人が好きだったんだろうと思う。 特に韓国のアイドルを好きだった時期は なぜか自己肯定感が強かった。 自分の身分が何者でも無い、 学生というだけで許される期間だったというのも あるが、 一番大きかったのは 韓国アイドルがデビューするまでの 道筋を沢山

          働きアリ

          この世界をファンタジーだと思って生きるのは難しい… 世界を時々蟻の巣で、 人間は働きアリだと思うことがある。 アリの詳しい生態は知らないが、 本能に従って割り当てられた役割を全うしているのだと思っている ただ人間はある程度働きアリなのか、 子供を育てるアリなのか、 選べるだけ だから生きていることに意味はないし 生活をしていることも意味はなくて。 そのなかで秀でた何かを発揮したかったりすると 階層の上に上っていくんだなって思うんだ。 やりたいことや、成し遂げたい目

          考えさせるとは指導力

          なぜそうなるか考えてごらん。 この言葉には、必ず答え合わせがあるし 間違えたら解説がついてくるものだと思っていた。 永遠に終わりの見えない なぜそうなるか考えてごらん。 解答も解説もついてこない なぜそうなるか考えてごらん。 確かに考えさせることは良いことでもある。 自分で考えたからこそ知識が定着しやすくなる、 調べる習慣がつく。 それをより効果的に行うには 明確な課題設定 目的の説明と、何をどうするべきなのか。 そして考えさせたあとの答え合わせ。 ではないかと思

          考えさせるとは指導力

          貴賎

          職業の貴賎意識。 たぶんそれは昔からあった。 覚えてないけど。 前職は飲食業で、 どうしても人に使われる、 あしらわれる、 存在に扱われるという気がしてならなかった。 自分の給与はもちろん、 従業員の給与は上がらないのに 継続的な人材不足、 疲弊が進む そんな中でも、利用年齢層が若めだったから 安くしろ、高すぎる、安くしろ、まずい これのオンパレード。 この猛暑のなかエアコンは壊れているのに 何回申請しても直してくれない契約元。 怪我などが出てから対応してもらえ

          見返り

          見返りのない思いを持っていたい。 何事も見返りや報酬、自分に返ってくるものがないと やる気が出ない。 関係性作りだってそう。 自分があれこれ試行錯誤したりしたって 相手がそっけなかったり、反応がなければ 続けるの辛いじゃない。 すでに仲がいい人だって、 こんなに労力をかけたのに、と一瞬思ってしまう時がある。 それは、私のエゴとかおごりなんだと思う。 その人と付き合っているのは、 「私が」その人を好きなだけであって、 その人が好きだから、また会いたくて 試行錯誤するの

          関係を結ぶ

          今になって、当然だと思っていたことが 当然ではなかったと、強く感じるようになった。 それはある意味生きてきた人生が豊かだったのでは と気付いたことと同義だった。 学生時代も、社会人になってからもずっと 私が「知る」「出会う」側だった。 世界の広さを教えてもらい 様々な考え方や生き方があると知った。 知らない文化にも出会った。 美味しいものが世の中にたくさんあると知った。 すべてがすごく良い経験だった。 そしてそれらが今の私を構成している。 私は私自身には特筆すべきこ

          関係を結ぶ

          婚活と就活

          婚活は人生の就活とはよく言ったものだ。 転職活動と暇を持て余して開始したマッチングアプリ。 どちらも人として選考され 社会の要員として、 一人の人間として、 他人から見定められる。 なぜこの時期に同じ選考を開始したのかは、 分からない。 でも他人に依存しがちな私なら、 理解できる。 これを通して強く思った。 恋活とは、婚活とは、 必要な人には必要なのだろうが、 私にとっては分からなかった。 就活である程度のウソは当たり前だ。 本音を隠すためのウソ。 マッチングア

          婚活と就活

          性を通して相手を考える

          気持ちよさの先には何があるのか、 考えていますか。 様々な動画や漫画が世の中に蔓延っている。 日本のそういった文化は中々発達しているのではないかと思う。 その弊害か、 ファンタジーを現実世界に適用する人を見かける。 その先に、何があるのか、 本当に考えましたか? 軽々しく口に出す人には そう伝えてみたい。 国籍も文化も育ってきた環境も、年齢も異なる人と 出会ってきた。 「気持ちいい」のその先を考えていたのは、 少数派だった。 多くの理由は、してみたいだった。 終

          性を通して相手を考える

          偽善

          誰かに行う行為がすべて偽善に感じる時がある。 言葉を紡ぐ時 物をあげる時 行動する時 自分なりに相手を慮って さまざまな行動を起こしたとして いくつかは相手のためになっているのかもしれないが 自分がソレをすることによって 気持ちよくなっているだけな気がしている。 都合の良い自慰行為だ。 しかし、そのような行為無しに人間関係が 深まることは無いのではないかと 経験上思う。 相手のことを考えて、行動することが 自分にとって嬉しいと同様 いくつかの行動は、そうであると思

          自己肯定感と依存

          基本、小さい頃から闇を感じさせない人物だっとと思う。 明るく、前向きと称されていた。 何が問題なのか。 生育環境も、学校生活も、特段問題はなかった。 虐待も、いじめも受けてはいない。 むしろ周囲にも、私が知る限り そのような子たちはいなかった。 幸せな人生だったと思うし 不自由なく 恵まれている道を歩んできた。 驚くほどに、自分がすることに対する自信がない。 自分が自分の思いを話す事も、意思表示することもできない。 恵まれていたからこそなのか、自分より秀でている子た

          自己肯定感と依存

          人を深く、愛すること それに模範解答はあるのだろうか。 世界が広がり、様々な愛の形が現れるようになった。 それぞれにとっての理想の愛の形も。 だがしかし、理想の愛の形を実現させることは、できるのだろうか。 理想の形が出来上がりすぎてしまい、その形を満たさない愛は、 愛ではないのだろうか。 世界が広がったからこそ、完成された完璧な愛の形、だけではなく 様々な愛の形を見つけていきたい。 もしかしたら、より求めている形に出会えるかもしれない。 どんな些細な日常も、ありき

          生きる

          生きるということは、とても難しい。 もしかしたら生きているうちは幸福より 困難や試練のほうが多いかもしれない。 時たま、なぜ人間は生きなければならないのだろうという思考に陥る。 それは人間が自由に死ねないからだ。 社会的にも、私を支える周囲の人のためだったり。 死ぬという選択肢を与えられないため、 必然的に「生きなければならない」 でも、「生きなければならない」明確な理由はない。 成し遂げなければならない大層な事象もなければ、 私が生きることで社会や人々に大きく寄与す

          自分を守ること

          自分を守ることは、案外体力も意思も強く必要で労力がかかることだった。 あの時断っていればこんなことにはならなかった、ということは事が起こってしまってからでないと気付けない。 後悔に気付いた時、思っていたより、自分は自分のことをある程度は大切にしたかったんだ、という気持ちにも気づく。 断ったり、自分の意思を貫くことには、大きな労力が必要だった。 そうすることで、離れていく人もいるかもしれない。 そんな不安もある。 だったら自分が妥協してしまえば… でも結局その人たちが私を

          自分を守ること