素直になれない苦しみ、親密感への恐れを感じた時期。傷ついた心を持つ全ての人に伝えたいこと。
世の中には明るく元気にみたいな見えないスローガンがあって、体育会系みたいな明るく元気で愛に満ちた人の生き方が推奨されて。
逆にそうじゃない人は大人しいとか、口数少ないから何考えてんのかわかんないとか、あまり笑わないから感情や愛情が見えにくいとされる。わたしはそういう風な言葉で簡単に片付けてしまう世の中の風潮が嫌い。
絆や愛情に希薄な人とか、変わり者は発達障害とかみたいに言うような用語も一体どうなのかと思う。
だってその裏側には本人にしかわからない苦しみや葛藤や過去の影響、幼少期からの環境が影響してると思うから。
イジメにあって心にダメージを受けた経験のあるわたしにはわかる部分がある。
今から数十年前のわたしはとにかく死ぬほど自信がなかった。自分には全く価値がないと思っていた。
わたしは幼少期から人との巡り合わせが悪く、小中時代には酷いイジメを受けた。
そのせいで一時期、孤立を選んで生きていた。
誰との関係においても、親密な関係になると傷つく可能性もあるからあえて遠い位置に人を設置しておいたほうが楽と考えていたし、本心を隠し上辺で生きていた。
だって人を巻き込んで関係深くすればするほど傷つくリスクは増えるからね。それに、人に合わせたりもいちいち疲れる。結局一人が自由で楽だしと思っていたんだけど、独りは結構しんどい。「あの人いつも1人だよね」とますます意地悪なことを言われるのもあって嫌だったし、本心ではやっぱり寂しかった。
イジメ環境から抜け出し、高校生になった頃、初めて自分を好きと言ってくれた人がいた。
しかしその相手の好意にすら気持ち悪いと思ってしまった時期があった。
相手が自分のほうを向いていると気持ち悪くて逃げたくなったんです。
相手が好きとか嫌いとかの話ではなく。
正門で待たれてること、アドレス教えてと言われ近づかれること。
待たれる、追われること、自分を思われる全てが初めてのことで怖かった。
これは、わたし自身の個人的な内側の問題だった。対人恐怖症みたいになっていて、異常なほどに自己肯定感が低く、自信がなかったから。
また人を信じることを疑って恐れてしまうところから来てたのだと思います。
ほんとにそう思ってんのかな?じゃあ10個良いと思ってるとこ言ってみてよ、みたいな。とにかくそのくらい自信がなかった。
そして自分という人間を、内面を見られることを、ボロが出ることを恐れ、距離が縮むことを怖がった。
そんな自分はおかしいんじゃないのかと思い、ネットのお悩みトピに理解者を求めて書いたこともあっだけど、主は二重人格ぽい、キモイおかしい異常者などと言われるだけだった。またそのことに一人で悩んだ。
普通の人は自分のことを好きと言われたら嬉しいはずだし、まず、こんな思考回路にはならないと思うし、全く理解不能な感覚と思う。
だって常に愛に満たされていて、傷つくこともなければ愛に欠乏感を感じることもない。だから愛されることに抵抗もない。
なぜそうなってたか。
それは普通じゃない境遇を受けたから。
図書室に閉じ込められたこと、学校に来たら椅子がないこと、階段から水をかけられたこと、シューズに画鋲や、う●こなどのあだ名をつけられる、体操着に着替えてる時に覗かれるとか、ありえもしない噂を流されるなど。
人からゴミのように扱われたこと。
どこにいても居場所がないように感じることを経験したから。。。
だから、わたしのことを好きと言ってくる人なんて現れるとも思っていなかったし、好きになってもなんの価値も意味もないよ?と思ってしまった。
なんせイジメを受けた暗い黒歴史の持ち主だし、女子特有のキャピキャピもできない。高校デビューした風に思われたりするのも嫌で、暗くて重いものを持ってることも、当時のわたしは絶対に知られたくなかった。変なプライドが邪魔をした。
それと今の私(高校生)の姿を見て好きと言ってくれることに、なんら関係がないのに。。
当時のわたしはとにかく怖かった。。。
過去に起きた出来事の傷やトラウマがある人は、人間関係の構築やパートナーシップに影響することは大きいと思う。
まず初めに、なんで、こんな自分が??、、、が先行する。
自分を卑下し、自分をまともに愛せないから、人にも素直になれない。
自己開示することも怖いし、自分に余裕がないから相手に思いやりを返せない。
そもそも傷ついたんだから愛で満たされ慣れてないし、異性にも慣れてないからどう接したらいいのか、自分でいいのか、そこにいていいのか、距離感がわからない。。
素直になれないことに苦しみ、葛藤を繰り返した。
心に鍵をかけているだけで、本来の性格を見抜いていた人達には、「そろそろ殻破ってみたら?」などと言われたこともある。
当時はずいぶん捻くれてたので余計なお世話だ。あんたに、「わたしの苦しみなんてわかる??」って。
嫌というより、殻を破ってみたら?とかいう言葉を使われるのにもなんか腹が立った。虫みたいだし。なんか特別に欠落した人間みたいで。
でも、そういった言葉をかけてくれた人ほどわたしを思ってくれ、愛を持って接してくれた人だったのだと思う。
その時は気づけてなかった。
とにかくそのくらい素直になれなかった。
好きとか言ってくる人は重いし、ただ面倒なだけで。いろいろあって傷ついた私を認めて、黙って理解してくれる人、同じ気持ちを分かり合える人がこの世界のどこかに一人でもいたらいいなとは思った。。。それが心の叫びだった。。。
*
年を重ね、環境が変わっていくのとともに、このままじゃダメだ、自分を少しずつ外に出していきたいと意識が変わった。
初対面の人に慣れるためのオフ会への参加やボランティア活動をしたり、キャンパスレポーターをしたり、異性と話すことになれるためのデート、人の前に出ること、人と関わることをするための行動を自ら起こした。
そうした中でいい人たちとも巡り会うことができ、世の中って悪い人ばかりじゃないんだということに安心感を抱き、いつのまにか心の扉が開かれた。
今では仲良くなった人とはとことん仲良くなりたいと思う。
そして、心で思うことを絶対優先する人間になった。
深い傷やトラウマがあって、人との関わり方に悩む全ての人たちに告げたい。
自分を責めなくていい、自分が悪いわけじゃない。
そういう状況に陥るきっかけを作り出してたのは自分を苦しめた環境、傷つけた過去の悪い奴等たち。
でもその人達のせいに永遠にし続けるのもよくないんだよね。
悩みの渦中にいるのもしんどいけど、そこから抜け出した時、自分を取り戻し、乗り越えていくのがある意味、一番しんどい。
だって自分を振り返ることはしんどい。
嫌だった苦い過去の出来事を思い返すことで、さらに痛みを伴うこともあるわけだから。。。
まずはよく耐えたね、頑張ったね。って、まずは自分で自分を癒すんです。
傷ついた人は傷ついたからこそ、わかることがあるんです。心に悲しみや苦しみがあるからこそ、喜びを一層感じられるんだと思う。
そうして内面の成長を遂げ、最終的に愛ある人間になっていくんだと思っています。
最近、常々思うのは自己肯定感をまともな水準に保てるかどうかが大事ということ。
自己肯定感が下がると自分をものすごく卑下し、卑屈になるから。変な考えをしたり、さらに自分の傷を深くしたりします。
きっとこうした経験がある人は自分を必要以上に過小評価してしまう癖があるし。
過去にいくら傷ついた経験があるにせよ、誰に何を言われても、自分なんて愛される資格なんてない。。。と思い込まず、自分を好きになるトレーニング、術を探すのが大事なんだと思うんです。わたしも癖がありまくりなので、今まさにトレーニング中です。
気づいたことだけど、自分を好きになることが何をするにも一番のベース。わかったのは最近なんだけど。
自分を癒せるようになるまでは、人の好意に応えることとか、自分が与えることは無理にしなくていいと思う。そういうのって税金はらうみたいな義務じゃないし。
わたしが見つけた自己肯定感をあげる方法、自分を好きになる方法は「ナルシストタイムを大事に」の記事に書いた方法です。
https://note.com/adhdabcd/n/ndc49205aae89
傷ついた経験がある人は人との向き合いや愛に悩み、トラウマになってしまったことが多方面で様々あると思います。それは傷ついた人にしかわからない苦しみ。。。
しんどさがたまらなくあるうちは自分優先で無理にしなくていいと思う。
嫌なこと、向き合いたくないことからは逃げてもいいし、人のことはおいといて楽しいことだけに夢中になって自由に過ごしてもいいと思います。
こういうのってカサブタが取れるようにいつの間にか、気持ちが変わって楽観的になってくる日がくるとも思うので。
同じような体験をされた人、悩みを抱えた人がいるかはわからないですが、自分の経験を交え赤裸々に書きました。
人はみんな独りじゃないから。
私は傷ついた人の味方でありたい。
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