
Photo by
s19750629
察するのにも限界がある
私たちは相手に「察してほしい」と思い、わざとらしい言動をすることがある。
例えば、相手に対する自分の好意を察してもらいたくて、ちらちら相手の方を見たり、彼氏に対して、自分の誕生日や記念日をお祝いしてもらいたくて、「〇〇って何の日か知ってる?」「今日って何の日か覚えてる?」と聞いたりする。私の気持ちに気づいて、という可愛らしい思いだけならまだしも、それらが失敗した時に怒りの感情に変わってしまうことがある。
上司であれば、直接的に部下に言いづらいことをあえて本人の前で自分がやって見せたり、相手にこちらがやってほしいことを察して貰えるような言動をとる。
こちらが勝手に相手に察してほしいと思い、その期待が裏切られた時に怒りの感情に変わったり、相手をそこで勝手に判断し、「察しの悪い人」「ダメな人」と烙印を押してしまう。
周りもその情報を鵜呑みにして、勝手にその人のイメージを作り上げていく。イメージの刷り込みを無意識にされているのだ。
そんな事でモヤモヤや怒りを感じるくらいなら直接的に言ってみれば良いのに。
相手が常に自分の思いを察してくれる訳では無いのだ。他者は常に自分のことを見てくれたり、自分の思いを察してくれるものではない。
言葉にしないと伝わらないこともある。
それをせずに勝手に関係性をこじらせていくのは勿体ない気がするなぁ。