『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』(山下泰平・著)のレビュー
最近はブログから書籍化するケースが増えてきましたね。
ブログの記事が元になった書籍をまたブログで紹介するというのは、ちょっと変な感じがします。
だったら元ブログを紹介したほうが話が早いんじゃないかな、とか。
今回紹介する本も、元はと言えばバズったブログ記事が発端となったものです。
元記事はこちらです。
cocolog-nifty.hatenablog.com
本書で紹介されているのは、著者が「明治の娯楽物語」と称した、文学よりも低俗で、とにかくエンターテイメント性を高めるためにとんでもないストーリー、設定、キャラクターが理屈を超えて跳梁跋扈する本です。
明治といえばたくさんの文学作品が登場したような印象がありますが、とはいえいわゆる世間一般の人々がもっと読んだのは、むしろすぐにゲンコツを振るう軍人やドロンと姿を消す忍者が活躍するこれらの作品だったわけですね。
元記事では鴎外の『舞姫』をパロった単発の作品を紹介するにとどめていますが、本書ではそれに類する「明治の娯楽物語」をゆるっと年代の経過とともにその傾向を分析しつつ、雑多に紹介する本になっています。
タイトルに「20万字くらいかけて~」とあるように、見た目以上に分厚く、ボリューミーな本です。文章自体はウィットに飛んでいて読みやすいのですが、いかんせん文字が小さく、情報がぎっちり詰まっているので時間がかかります。
・宇宙空間にまで旅行しちゃう弥次喜多
・蝦蟇の能力を持つ自来也が邪悪なキリスト教をぶっ潰す話
・日本初の覆面ヒーロー「悪人退治之助」
・身長と肩幅がほぼ同じ「豆腐市兵衛」
・ゲンコツでハイカラ討伐をするため世界をめぐる
タイトルになっているのは最後のやつ。
『バンカラ奇旅行』です。
主人公の島村隼人はとにかくハイカラを目の敵にしていて、ハイカラを殴るためだけに旅に出る。そこで、明らかに『舞姫』の主人公・豊太郎に捨てられたエリスを彷彿とさせる気が狂ってしまった女性の話を聞いて、その日本人男を殴ることを決意。途中でアフリカ人のアルゴを引き連れて、日本人男をボッコボコにするのです。
なんだかんだで島村隼人はアフリカ人のアルゴを引き連れ、日本へと帰国する。なぜアフリカ人なのかというと、〈蛮カラの本家本元なる阿弗利加(アフリカ)蛮人〉だからである。今ならアウトだが、明治であれば問題ない。そもそもこの作品は、面白そうなモノはなんでも取り入れようではないかという姿勢で書かれている。例えばイギリスの老人と島村隼人が子供を集め、スパルタ式で武士道と騎士道を徹底的に教え込むというエピソードがある。最終目的はより良い世界にするために世界を統一するというものであり、この狂った集団は〈世界統一倶楽部〉という安易な名前だ。そしてこの倶楽部の基本的な方針は、〈ハイカラ撲滅主義〉、どこまでもハイカラを目の敵にしている。
(中略)
アルゴは脱出不可能とされた孤島にある牢獄から脱出するついでに、海賊組織を壊滅させ、政府主義者の組織までブッ潰す。大きなトラブルの六割程度は彼が解決するほどの、作中きってのチートキャラであり、仮面ライダーでいうとギギとガガの腕輪を装着した完全体の仮面ライダーアマゾンの位置付けにあり、もはや完全無敵だと言えよう。そもそも人種には重きを置かず宗教も無意味、すべての頂点に蛮カラが位置している世界観だから、本家本元のアフリカの蛮人が一番強く、偉いという結論が出るのも当然であろう。
今の私たちがこのような本を通じてわかった気になると、
「こんなとんでもない本が多くの人に読まれた時代があったんだなァ」
などとのんきに考えてしまいますが、冷静に考えてみると、別に明治時代でなくたって、現代の出版界にも客観的に見てみれば奇々怪々な本がたくさんあります。
たとえば、いわゆるライトノベルだって、100年後くらいになって掘り起こされたら
「当時はあらゆるモノを美少女のキャラクターにのべつ幕なしに変身させてエンターテイメント化してしまうという潮流がありました」
などと解説されてしまうかもしれないわけです。
そうでなくても、エンターテイメント性(つまり売上)を追求するがゆえに分別なく「売れそうな要素」を詰め込んで作品を量産するという行動自体は、明治時代の出版人でも現代の出版人でも変わらないわけで、そういう節操のない作品はつねにあるものなのかもしれません。
まあ、そんな小難しいことを考えなくても、単に「おもろ」と感じながらダラダラ読める一冊です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?