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#13. 「私たち日本人」は同調しやすい? 〜みんなで目標に向かうときの強み・弱み〜

みんなの目標って、何のためにある?

学校や会社、地域の集まりなど、人の集まるところには、何かと共通の目標がありますね。「今年の目標は○○です。これを目指してみんなで頑張りましょう」みたいな。でも、どうして共通の目標を持ちたがるのでしょう? 

集団で共通の目標を持つことは、その集団が何者なのかを明確にし、集団に属している人の所属意識ややる気を高めるために有効な手段とされています。

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では、どうしたら、効果的な目標が作れるのでしょう?

まず、「私たち」という感覚から?

2009年に女性初のノーベル経済学賞を受賞した、エリノア・オストロム(Elinor Ostrom)さんというアメリカの経済学者がいます。

「アメリカ=個人主義」というイメージとは裏腹に、エリノアさんは、人類が豊かになるためには、地球上に存在するみんなの資源(公共財)をうまく分かち合うことが重要と唱えています。

エリノアさんにとって、資源というのは、何も天然資源に限ったことではなく、私たち人間も地球上の資源とのこと。そして、立場の違う人間が目標を分かち合うためには、まず、「私たち」という感覚を持つことが重要だと考えました。

ここで、「私たち日本人」は、「はて、何のことやら?」と思いませんか?

「私たち」という感覚は、世界と日本では少し違う?

日本人は、個人主義社会の人より、日常生活で「私たち」という言葉をよく使っているように思います。便利ですよね。「私たち」と言った瞬間に、「私たち日本人」「私たち若者」など、自分の所属集団が背後にあって、自分もその一員であると示すことができます。

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でも、個人主義の社会からすると、「私たち」という感覚には、日本人ほど馴染みがないようです。というのも、集団よりも個人が基本なので。

ですので、エリノアさんは、私たちという感覚のことを、「共有化されたアイデンティティー(Shared Identity)」と、少し堅苦しい言葉で説明しています (Atkins, et. al., 2019)。別々の個人同士が、何者であるかをシェアするみたいな感覚でしょうか。

そう思うと、「私たち日本人」には、「私たち」という感覚は当たり前過ぎて、これがどうして共通の目標を持つのに大切か?、と考えたことはないと思います。

私たち「日本人」は同調しやすい?

私たちという感覚を持つことは、本来違う個人が、「所属集団のメンバーと自分は同じ」という感覚を生みやすくするようです。「自分は同じ日本人」「自分は同じ若者」みたいな。

この「同じ」という感覚が強いと、同じ目標に向かいやすくなります。周りと同調しやすくなるので。

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ところが、同調性が強いあまり、「周りの人と違っていないか気になる」「自分が規則を守っているのに、同じように規則を守らない人がいるとイラつく」みたいなことを、よく耳にしませんか?

エリノアさん曰く、これが「私たち」という感覚の強みでもあり弱みだそうです。違うはずの個人が、「私たち」という感覚で同調すると、集団内の個人は画一化されます。これは、一見、同じ目標に向かうためには好条件のように見えます。でも、集団内で同調圧力がかかったり、他の集団をはねつける(よそ者扱いする)ことにもつながると。

では、どうすればいいのでしょうか? エリノアさんの提案は、ごくシンプルです。「一人一人が違うことを認めながら、分かち合える部分を見つけましょう。」当たり前なのですが、実践となると、なかなか難しいのが現実かもしれませんね・・・


PS. 記事に関連する個人的なエピソード、ご意見・ご感想をお待ちしています。

--本記事のイラストは、freepikよりライセンスを取得済みのものです--

Atkins, P. W. B., Wilson, D. S., & Hayes, S. C. (2019). Prosocial: Using evolutionary science to build productive, equitable, and collaborative groups. Oakland, CA: Context Press.

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