理想のキッチン探し⑱歴史編2 バウハウスのキッチン
先日ダイニングキッチンの誕生について、歴史編の第一弾として書いたのですが、そのとき、日本のキッチンの源流にドイツ・バウハウスが存在していたことを知りました。
バウハウスと言えばモダン住宅の原型を作った学校です。そこで、夫が持っている資料や買った資料を見て、自分なりに描いたその歴史を書いてみます。誤解があったらごめんなさい。実はこの辺のモダニズムについては、以前も興味があってちょっと勉強したことがありました。
2019年に国立新美術館で開かれた「ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道」という展覧会で、ウィーン分離派(セセッション)の紹介があったんですね。カタログによると、セセッションはクリムトら若手芸術家が19世紀末に結成した団体で、要するに旧来とは違う新しい芸術をめざしたんです。芸術と工芸を同等と見なし、総合芸術をめざす。
20世紀に入った数年後、クリムトは脱退したのですが、若手たちがウィーン工房を設立する。イギリスのアーツアンドクラフツを発展させて趣味の良い日用品の製造を始めたんだそうです。
なんと!ワードだけ知っていた、アーツアンドクラフツ、セセッションがつながっていたとは。ということは、フランスのアールヌーヴォー、アールデコなんかも関係があるはず。バウハウスなんかも。というので、そのあたりいろいろな本を探ったんですけど、まあそれは趣味で終わっていました。
ところが最近、キッチンの歴史を調べていて、日本のダイニングキッチンの源流にバウハウスがあったことを知って、バウハウスを改めて調べたんですね。結論を言うと、バウハウスは、アーツアンドクラフツ運動がめざした暮らしの完成形を提示した。だから、それが現代デザインの元になり、無印良品なんかも生まれていくわけですね。
アーツアンドクラフツは、19世紀後半にイギリスのウィリアム・モリスが提唱した運動で、今も花柄の壁紙が人気を保っています。19世紀は欧米と日本で近代化が一気に進んだ時期で、大量生産の時代に入る。それがあんまりみっともないんで、モリスは日用品にも芸術的要素を持ち込もうと考えた。しかし、近代になって人件費が上がった中でそういう良質な日用品は高級品になって庶民の生活には届かなかった。
それを半世紀ほど先の1919年にワイマールで国立のデザイン学校として設立され、私立になって1933年にナチスの圧力で閉鎖されたバウハウスは、機能的で美しいモダンデザインの基礎を作ったんです。バウハウスは、世界一民主的と言われ、ナチスの台頭を許す隙を持ったワイマール憲法の元で生まれて活躍した。活動期間は短かったけれど、世界の現代の基礎的なデザインを作ったんだからすごいです。
でも、2010年にパナソニック汐留ミュージアムで開催された「バウハウス・テイスト バウハウス・キッチン」のカタログを読むと、バウハウスのキッチンはまだ、男性の発想だった。それは先に示した⑪のときも書いた通りです。
モリスからバウハウスへの半世紀ほどの時間は、近代化して平等を理想とする時代に向かう中、庶民の生活が向上するように、あるいは近代ビジネスとして住宅やキッチンや生活道具を作るシステムを、より快適で使いやすく美しいものにするために、ヨーロッパ各国の人々が試行錯誤した道のりだったのです。もっとくわしく知りたい方は、今回撮影した本や、バウハウス、モリス関連の書籍をぜひ読んでみてください。
そうした近代化の試行錯誤は、まるで異なる背景を持つ日本でも独自に行われていました。その成果の一つがダイニングキッチンだったわけですが、その周辺でも近代化の模索は続けられていました。そこはまた、次の機会にご紹介します。私の理想のキッチンを求める前に150年の歴史があるというわけです。
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