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弱さを受け入れ合い、助け合い、よりよく生きる世界へ

ビジネスマンが泣きながら、
自分の弱さを出し切る姿にもらい泣き…

先週、某学びの会のスピーチ発表会へ。

あるビジネスマンの方はスピーチで、
仕事を頑張るあまり、荒んでしまい、
家庭を顧みず、家族を傷つけてしまった、
本当にごめん、と繰り返していました。
スピーチというより、自己開示でしょうか。
感情と共に癒しが溢れてくるかのようでした。

男性社会は、なかなか弱音を吐きづらい。
弱み、を見せると、首になったり、
評価が下がったり…
強くないと、成果を上げないと…

できる人と認められたい、稼ぎたい…
本当は、自信がない、失敗したらどうしよう、
上司が怖い、部下がわからない…

弱さや痛みに蓋をして、役割に没入する。
家庭の中でも感情や本音をうまく出せない。
↑↑↑
スピーチを終えた人たちとこういう話をして、
あるある、わかる、なんて声が上がりました。
やっぱり、そんな男性が結構いるのかな、と。

父が、マッチョなビジネスマンでした。
間違えたくない、弱みを見せたくない人で。

あるご縁で、父と同世代の男性とお話しして、
こう言われました。
「我々の世代は、弱みを人に見せたら、負け、
と思ってしまうんだよ。お父さんが、あえて
弟さんの入院をご近所さんに話さないのも、
挨拶代わりに病状を聞かれるのが辛いから。
そういう弱い気持ちを感じたくないんだね。」

やはり、父と年齢が近いだけあり、実感が
こもって伝わってきます。本やネットだと、
こんな生々しい感情に滅多に出会えないから、
貴重なお話を聞かせていただけて感謝です。

父は、人のちょっとしたミスを大袈裟に
怒ったり、兄弟と喧嘩して、断絶したり(驚)
親戚に家族の葬儀を知らせなかったりします。
変化を恐れ、新しいことを覚えようとしない、
見ない書類を片付けられない。

弱さや本音をうまく出せないから、
ニュースの批判や家族への不平不満になり、
文句や怒りになるのかな、と。

人間、誰しも、弱さがあるものです…
しかし、弱さを出せない、受け入れ合えない、
ということが、多くの人それぞれの悩みに
繋がっているのかな、と感じます。

自己受容が難しい原因の一つに、そもそも、
自分の弱さを受け入れてもらう経験や
そういう場面に出会ったことがない、
というのもあるのかな、と思います。

スピーチしたビジネスマンの方は、
会社や家庭以外の、第三の場所で、
カッコつけない自身を受け入れてもらえて、
気持ちを出したら受け止めてくれる人達に
出会えて、思いっきり弱さを出せました。

しかし、弱さを認められない怖い人に対して、
家族や関わりのある人はどうしたらいいのか、
考えてみました。

相手への期待は横に置いておいて、
自分が本当はどんな気持ちでいたいのか…
心安らかでいたい、幸せを感じていたい…
ですよね?
そのように在れる選択をしていきましょう。

まず、その人が、無邪気な赤ちゃんとして、
この世に生まれてきたことを思います。

もともと純粋無垢な存在が、色々な経験や
関わりによって、汚れて曇ってきた、だけ、

例えば、その人の怒りや不平不満の言動の
背景に、自信のなさや不安、悲しみがある、
それは、汚れや曇り、なのだと。

心の中で、相手の弱さや悲しみを受け入れ、
寄り添う。

心の中で、相手の中の純粋な存在に向けて、
思いやり、という祈りを込める。

支配的な人で何も言えないようなときには、
その人を呼ぶとき、返事をするとき、
心の中で、相手の中の純粋な存在に向けて、
祈りを込める。

たとえ、相手の変化が目に見えなくても、
自分自身が心安らかで在れるように。

相手を待たず自分から、人の弱さや悲しみを
受け入れていきたいのです。
それは受け入れ難い、と感じるかもしれない。
そんな自分自身の弱さや悲しみも赦し、
受け入れながら。
赤ちゃんのような自分原点に繋がりながら。

お読みいただき、ありがとうございます。

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