カンリショクになって1ヶ月な私の、義憤と野望。
21年7月1日。私(37)は管理職になった。最初の感想、「あぁもう当分試験を受けなくていい…」そんな安堵感に包まれた、不謹慎な新米カンリショク。ちなみに2年遅れ。
でも、許して欲しい。
気分はとっくに名もなき管理職だったのだから。
新規事業の責任者をしているし、トラブルがあれば自分のせいじゃなくたって頭を下げにいく。私生活の時間を削ることもたくさんある。後輩が困っていれば上の人に掛け合ったりもする。40手前の中堅社員ともなれば、これまでだって「管理職気分」でやってきているのだ。
でも、やっぱりちょっと違ったことを正直に白状する。
私の「管理職気分」は「カッコイイ振る舞い」的なことだった。ドラマに出てくる、部長!!課長!!のような、つまりは表面的なもの。
いちばん変わったのは「目線」。
自分を見る目、仲間を見る目、
組織を見る目、社会を見る目。
試験を受けるにあたり「なぜ私は管理職になりたいか?」「どういう管理職になりたいのか?」「組織の課題と解決策は?」「将来の展望は?」そんな質問の数々を自分自身に100本ノックをする機会を皮切りに、客観的に物事を見る機会が圧倒的に増えた。
かっこいい言葉で言えば「視座が高まった」ってやつなのかもしれない。
あーよくいう「視座」ってこれか、なぁんて。
だが同時に、感じた義憤もある。
会社というより、世の中に。
政府の掲げる「2030年までに女性の管理職比率30%」という目標。
ネットで検索しただけでも沢山の課題と対策がさまざまな専門家によって論じられている。
女性の仕事ぶりに対する偏見、評価の低さ、育成の不足、ロールモデル不在などなどなど。。
そもそも「管理職になりたい」と望む女性自体が少数派なのだそうだ。
いち当事者側の立場として発言すると、
あまりに自分が感じている課題感とはかけ離れていて驚いた。私の抱える不安とはあまりに違う。
ちなみに私は比較的女性が多く活躍する会社・部門で働いているのでレアケースであることは間違いない。
一方、私は女性の管理職比率をあげようと頑張る活動家でもなんでもない。
わたしは、単なる新米管理職30日目の女。
でも、
いち当事者として、ひとこと言いたくなり、その義憤を夜な夜なnoteにしたためる、ちょっとイキリ系カンリショク女。
そんな立ち位置であることを踏まえて、どうかお手柔らかにきいてほしい。
そもそも私が管理職になろうと思った理由。
1、そういう年齢だったから。←圧倒的
2、裁量が増えるともっと幅広い面白い仕事に出逢えるんじゃないかと期待したから。
シンプルに、この二つしかない。
つまるところ、「仕事が好きだし、仕事で新しいことに挑戦してる自分も好きだし、そういうスタイルで今後も行こうと決めた」ということ。
社員として私がそれを願うのならば、会社に対して年次や経験に応じた責任は果たしていくことになるし、その中で今までとは違う新しい喜びの瞬間にも出逢えるんじゃないかって勝手な期待も抱く。
だから、管理職になりたいというより、なろうとするのが必然だった、という方が近い。
平等に評価してもらえた、研修が手厚かった、ロールモデルがいた、もちろん環境の良さはベースとしてあったのだろう。
でも、「なりたい」と思った根っこのところは仕事が好きだと思えたことがまず大きい。
ではなぜ好きになれる仕事にありつけたのかと考えると、様々な幸運と周りの助け、そして自分も気持ちに正直に•貪欲に、欲しい仕事を掴み取る行動を起こしたからだと思う。環境や周りに感謝。過去の自分にも感謝。
だからまた次ステージの「好き」になるかもしれない仕事の何かを掴み取りにいきたい、そんなかんじだ。
ちなみに、役割が変わるとクソ面倒臭いことがたくさん待っていて、その割には給料倍増ウッハウハ♡ではないことも承知している。
でも天秤にかけた上で選んだのであり、私が何か趣味など他に情熱を傾けられるものがあったなら受けなかったと思う。ならないこともまた自由だし素敵とも思う。
一方で不安は、
1、自分の能力問題
→自己中で近視眼な私が組織のこと、部下のことを考えながら果たしてイイ仕事ができるか?
2、プライベートの問題
→然るべき責任をとらなければならず時間や精神面で負荷が過剰にかかった時、家族に迷惑がかからないか?(特に子ども)
大きくこの二つだ。
不安1は、ひよってないで頑張れよって話。
これまで散々「先輩〜管理職なんだから私達組合員のこと考えてくださいよ」的な弱者の強みを使いまくった過去が、今ブーメランの如く見事に自分に返ってきてる。
名ばかり管理職という汚名をつけられぬよう精進あるのみだ。
不安2は、解決策が明快。トラブルや深い悩みは挑戦してる時ほど起きるもんと割り切って、そのときに家族に迷惑がかからないようにする選択肢をいかにたくさん持っておけるか、という話。
余談&勝手な推察だが、意外とこの「不安2」で明快な解決策に至らず諦める人も多いのではないか。(本当にそうであればその解決策の提示やサポートこ社会や会社に求められることだ)
あともう一点、管理職の女性の夫もまた管理職であるケースは多い気がしている。
夫婦助け合い、家のことをシェアしながらがんばる、そういうときのために相談しておく、、、
本にはそう書いてあるけども!
いや!それこそかなり難しいでしょう!!
ストレス溜まるでしょう!
夫婦喧嘩ふえるでしょう!
余計疲れるでしょう!涙
そんな気がするから、なりたくないのよカンリショク!!
会社でも家でもマネジメント、しかも解決は自前主義って吐きそう。笑
私の提案。
そんなときは自前主義を手放す。
外部リソースに助けてもらえないか、目を家の外に向けてみる。
世の中に存在する、それが得意な人のお力を貸してもらう。
それは果たして悪いことか?贅沢か?
なんならトラブル時だけじゃなくて普段から頼っていいじゃないか。
私の持論。
忙しい中でも、「自分」を大事にすること
笑顔の時間を増やすことが、いちばん大事。
それが大切な家族の幸せにも繋がるということ。
仕事のためにどう家庭で帳尻合わせるか?
家庭のために仕事をどう帳尻合わせるか?
もちろんそれでどうにかしなきゃいけないこともゼロではないけれど、常に仕事・家庭の2軸のみでどうにかしなくたっていいじゃん。
帳尻合わせたり、合わなくて無理してるうちに仕事でも家庭でも笑顔の時間が減ったら、なんか凄くもったいない。
自分も家族も仕事仲間も笑顔になるためにはどうしたらよいか。全部を手に入れちゃいたい、という貪欲な発想を持っていたい。
それを実現する手段・選択肢をたくさん持ち、時と場合にあわせて使いこなせることこそ私の理想。
そのための「ナレッジ」や「コスト」のサポートが、女性管理職比率を本気で上げるのであれば、社会や会社に求められる気がしている。
仕事起因で増えていく負担や不安を家庭内の自助努力に負わせてはいないか・・・?
さて、仕事好き共働きの我が家はどうか。
料理を手放し、地元の飲食店さんに夕飯作りでお世話になっている。
そしてその輪を広げようとしているのがまさに私の事業だ。
微力ながら忙しい方の料理負担を軽減する選択肢のひとつになろうと夢中で開発を進めている。
カンリショクになることを考えていると、やはりどうしても今やっている事業につながってくる。私という人間の頭の中から生まれてきてることだからそりゃそーなんだけども。
この事業を「忙しい方々のゆとりの時間を生むサービス」にしていきたい。
いつだってそこに帰結する。
義憤を野望に変えて。
また明日から走るための熱量が溜まっていく。
カンリショク30日目、熱帯夜。
勝手に自家発電した夜でした。(もう朝じゃん…)
▼野望たっぷりで開発している事業はこちら。
https://www.gokinjyo-cheftomo.com/