信じることが必要なのではなく、受け入れることが必要である
「信じる、信頼する」について
「自分を信じましょう」
「自分の直感を信じましょう」
というようなことを、スピリチュアルや自己啓発では推奨されています。
ゆえに、スピリチュアリストたちは、そのような実践をしようとします。
ここで私たちが理解しておかなければならないのは、
信じようとするとき、信頼しようとするとき、それ自体がもはや信じていない、信頼していないということが前提となっているということです。
もっといえば、その前提を強化していることになるということです。
それは、コース(奇跡のコース/奇跡講座)の学習者の場合でもいえることです。
その例が、
「聖霊を信頼しましょう」
「聖霊のガイダンスをもっと信頼しましょう」
というふうなことを教え、学んでいるケースです。
それによって、コースの学習者はその言葉通りの実践の仕方をしていくことになってしまうわけです。
とくに、コースの教えをよく理解していない学習者においては、そのような実践がコースの実践だと信じてやっているケースがよくあります。
でも、コースが教えていることを理解するようなるならば、
「信じましょう、信頼しましょう」
ということが、どういうことを意味するのか?が理解されていきます。
ようするに、そのような実践をしていくならば、
「私は信じていない、私は信頼していない」
ということを、ただ強化しているだけということです。
ですから、私たちがしていくべき実践は、そのような実践をしていくのではないということは明らかです。
「聖霊を信頼しましょう」というのであるなら、それは「聖霊を信頼していない」という前提であるということになるわけで、むしろ、そういうことに気づいて(認識して)いくことが、コースの実践で私たちに求められていることだといえます。
コースを正しく実践できるようなるには、コースの教え(形而上学/思考体系)をしっかり学び、そして、理解していくことはとても大事です。
けっしてその教えを曖昧な理解のままにしてはなりません。
コースの思考体系を明瞭に理解していいくこと、そして、自らに根付かせていくことが、私たちには求められているのです。
コースを通して真の自己に本当に目覚めていきたいのならば、そういう心構えでコース学習に臨む必要があるといえましょう。
もう一度申しますが、コース学習者である私たちがしていく実践は、「信じましょう、信頼しましょう」という実践ではないということです。
では、どのような実践をしていくのか?
というなら、
まず最初に、「自分はまったく(真理を)信じていない」ということを認識していくことです。
それによって、その訂正が可能となっていきます。
自分の内側に正直になるならば、コースが教えていることを自分はまったく信じてなどいないということや、聖霊をまったく信頼していないどころか拒絶していることが自覚/認識できるはずです。
それを明らかにしていくことが重要なのです。
そう、その自分こそが自我なのだということを、咎めることなく、ただ受け入れていくこと、です。
それが、コースの実践で私たちがしていくことであり、そうしていくことで私たちは自我との同一化から離れることができるようになっていき、この世界で経験していることから次第に自由になっていくということを覚えておきましょう。