コースの学びの階梯を上っていくために私たちが成さなければならないこと
コースを学んでいるのは個人の自分ではない
私たちは、自分たちを人間だと信じています。
そして、個別の存在としての「個人の自分」を自分だと信じています。
コース(ACIM/奇跡のコース/奇跡講座)の学びのプロセスでいえば、最初は、その個人の自分がコースを学ぶというところからはじまります。
そして、コース形而上学を理解するようになり、その学びが深まっていくにつれて、
コースを学んでいる自分は「個人の自分」ではない、
ということを認識するようになっていきます。
これまで自分だと思っていた「個人の自分」は実在しない(影でしかない)と理解されてくるということです。
つまり、「心」の自分を自覚しはじめるということです。
ただし、それはコース形而上学が理解され、その理解に基づいた実践をしていくことによって自覚/認識されていくものです。
ようするに、そこにはしかっりとしたコース形而上学の学びと理解があって、ということが前提なわけです。
そのためには、まず、コースで言うところの「心」の概念を理解することが必須だといえます。
それなしには、「心」の自分を自覚/認識することはあり得ないということです。
「自分は人間である」「自分は個人的な存在である」と思っている私たちにとって、「心」の自分は、今やすっかり忘れられている状態にあります。
私たちは忘れてしまったからこそ、
どのようにしてそれ(心の自分)を思い出していくのか?
そのための形而上学の学びと理解が必須なのであり、その形而上学に基づいた実践をしていくことが必須なのだということです。
コース学習者の私たちは、その「心」の自分を思い出していくことを目的としているのだということを知っておきましょう。
それは、「個人の自分」から全一なる「心の自分」へのシフトであって、それこそがコース学習者の私たちが目指しているゴールなのだと言うことができましょう。
階梯の高みへと導かれていくか、階梯の下に留まったままでいるか
上記でも述べた通り、コースを学んでいる私たちが目指しているのは、自分は「心」であるということを完全に思い出すこと、つまり、真のアイデンティティーを思い出すことなのだということです。
というのも、通常の私たちは「個人の自分」を自分だと捉えており、「心の自分」を忘れた状態になっています。
ですから、コースを学んでいく上で私たちが知っておかなければならない重要なことは、
自分を何だと捉えていくか?によって、その学びは確実にその階梯の高みへと導かれていくか、
そうでなければ、相変わらず個人のままで階梯の一番下に留まったままになるか、
コースにおける学びは、そのどちらかに大きく分かれるということです。
もし、「個人の自分」のままで、つまり、階梯の一番下に留まったままでコースを学んでいくとするなら、その実践は「個人のままで平安でいること、個人のままで幸せでいられること」という目的になってしまいかねません。
そうであるならばコースを歪曲して学んでいくことになり、何のためにコースを学んでいるのか?その目的を見誤ってしまうことになるといえます。
ようするに、コースの学びの階梯を上っていきたいのであるならば、つまり、コースを通して目覚めていきたいのであるならば、ある段階において、コースを学んでいるのは「個人の自分」ではなく「心の自分」であることが自覚/認識されていかねばならないということです。
ワプニック博士もこう云います。
「自分は人間(個人の自分)である、と信じたままでは、コースの学びを深めていくことなどできません」と。
「個人の自分」を自分だと信じていることそのものが「分離を信じている」ということであり、それを信じながら、「分離は起きていない」というイエス(聖霊)の言葉をいくら学んだとしても、それが矛盾していることは明らかです。
むしろ、その矛盾に気づかせないように「個人の自分」を保持しておくのが自我の策略であるということに気づきましょう。
自我はいかなる手段を使ってでも、つまりコースを歪曲してでも、「個人の自分」を保持しようとするのだということです。
私たちコース学習者は、そういうことをしっかりと形而上学的にも理解しておく必要があります。
だからこそ、コース形而上学の学びと理解が重要なのです。
私たちがこのコースの学びで求められているのは、個(肉体)から全一(心)へのアイデンティティーのシフトなのです。
コース形而上学のしっかりとした理解がないならば、それに基づいた実践をしていくこともできなければ、そのシフトもあり得ません。
要約するならば、
コースを通して目覚めていこうとするのであるのならば、コース形而上学をしっかり理解していくこと、そして、実践を通してその形而上学(思考体系)を根付かせていくことは当然なことであり、必須項目なのだということです。
そして、さらに、「心」の自分を自覚していくことが、実相世界への学びの階梯を上っていくためには必須なのだということを肝に銘じておきましょう。
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