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私はASDなの?①

自己分析を始めるとき

記事をご覧いただきまして、ありがとうございます。皆様は、私の記事の一番最初のトピックだけ敬語で書かれていることにお気づきでしょうか。ここは、私から読者の皆様へのご挨拶のトピックとして綴っております。今の私の心の支えとなってくださる皆様と、ささやかながら交流したいと思い、このような場を設けさせていただいております。

さて、皆様は自己分析をしたことがありますか。私が初めて自己分析をしたのは就職活動の時でした。もっとも、その時は自分を客観的にみることができず、なかなか内定ももらえませんでした。そればかりか、結果的にやりたくもない向いていない職業を選んでしまい、苦労しています。

今からそのツケを精算できるかはわかりませんが、私は自分ができることの第一歩として自己分析を始めました。今回のお話は、プロの力を借りて、カウンセリングを受けてきたお話です。

カウンセリングの流れ

事前に予約をして、カウンセリングを受けた。カウンセリングは全部で3回、1回あたり2~3時間の面談時間が設けられた。1回目が終わると、マークシート形式の検査や、文章の書き出しのみが書かれている検査のシートを宿題として渡された。休職したばかりで集中力のない私にとっては、かなりきつい作業だった。また、つらい過去を思い出して書かなければいけないこともあり、鬱々とした気分になった。

しかし、一番つらかったのは、会いたくもない親を呼び、カウンセリングルームに連れてくることだった。カウンセラーの方は「会いたくなかったら呼ばなくてもいい」と言ってくれてはいたが、「呼ばない」と私が言うと、「正確な結果が出ないかもしれない」と言うのだ。カウンセリングの代金は五万円ほどだった。休職中の私にとってはばかにならない代金だった。私は自分の気持ちより金の価値を取り、親を呼んだ。しかし、結果的にはこれでよかったと思う。

カウンセリングの結果

すべての工程が終わり、検査報告書をもらった。そこから、以下のことがわかった。

<得手・不得手>
・言語理解能力は平均の上
・IQ、処理速度は平均
・知覚推理、ワーキングメモリは平均の下

<ASDに関する検査>
・合計得点25点
・指標(ASDが疑われる:33点 社会人統制群平均:18.5点)
・想像力は社会人統制群の範疇
・細部への関心、コミュニケーション能力はギリギリ基準値の範疇
・社会的スキルと注意の切り替え能力は、ほぼASD群

<ASD検査に関する総評>
細部への関心、コミュニケーション能力、社会的スキルと注意の切り替えに関して、支援や配慮があった方がよい。それだけでなく、自身での工夫や心がけが必要。

カウンセリングを終えて

不思議と、私はこの結果に驚かなかった。「やっぱりね」という感じだった。どうりで、健常者には私の苦しみをいくら訴えても伝わらないわけだと納得した。そもそも、そんな体験をしたことがない人たちに理解を求める方が無理な話だった。今後は、健常者に理解を求めるような無駄な行為をしなくてもいいんだと考えると、少し楽になった。

また、カウンセリングを通して、自分がどんな境遇で生きてきたかを客観視できた。そして、私にとっていい影響を及ぼさない人と疎遠になることができた。その中の一人が自分の母親だ。

2回目のカウンセリングは、私、母親、カウンセラーさんの三者面談だった。そこで、母は悪気なく、私にした仕打ちを話していた。例えば、私がいじめに苦しんでいるときに相手の母親と話し合う機会があったが、相手の母親がモンスターペアレントであったため、私をスケープゴートにして自分だけ距離を置いていたことがあった。私はそれを聞いて、(自分さえよければそれでいいんだ)と呆れた。子供を守るのが親の義務とまではいわないが「あの子と遊んじゃいけないよ」とヒントをくれるとか、通う塾を変えてくれるとか、そういう配慮があってもいいんじゃないかと思った。これは甘えているだけなのだろうか。

また、母は自分の家系で特性を持っている人について話し始めた。すると、ASD傾向がある、私の知らない身内の情報がたくさん出てきた。この情報を知っていれば、私は自分もASDかもしれないと早めに気づけたのではないかと感じた。また、これだけ身内の情報を持っていて、私が心や体の不調を訴えていたのに、医療に繋げなかった母親を恨んだ。

カウンセリングが終わり、母には大人の対応をして円満に別れた。そういえば、母はいつも働きづめで機嫌が悪かったから、いつも私が大人の対応をしていたことを思い出した。小学生くらいの私が、機嫌の悪い母と、頭のおかしい祖母が毎日喧嘩をして仲裁していたことを思い出した。そうして二人は私に「お前に何がわかる」と怒鳴り、喧嘩をやめるのだ。

それから、母親とは連絡をとっていない。無視し続けている。申し訳ないが、私はこれ以上母親の面倒を見る気はない。関わる気もない。カウンセリングを受けて、自分の過去と気持ちに向き合って、ようやくそう思うことができた。「私がしっかりしていれば、家族は私を愛してくれるかもしれない」「私を産んでくれた母親を嫌いになってはいけない」という思いを切り離せたのは、大きい収穫だ。

私は、「血縁」ほど忌々しいものはないと思っている。自分以外はすべて他人なのに、血縁は死ぬまでまとわりついてくる。血縁者の嫌な面が見えるたび、「私はこいつと同じ血を引いているのだ」と恥ずかしくなり、苦しくなる。しかし、冷静になった今、対処方法がわかった。距離を置いて、視界に入れなければいいのである。私はようやく、自由を手に入れつつある。

さて、次回の記事では、実際に自分はどのようなことに困っていたか、それに対してどのような対処方法がとれるかを考えてみようと思う。

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