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【開発者向け】IT未経験アラサー事務員が3年でアプリゲームをリリースするまで

この記事はUnityゲーム開発者ギルド Advent Calendar 2021、20日の記事です。



Achamothは何者なのか

今年の6月30日、ゲームアプリをリリースしました。


🍎iOS


🎮Android


九龍城を思わせるアジアンゴシックな世界で、触手を育てて売るダークな放置育成ゲームとなっております。
気軽な気持ちで日常の空き時間に遊んでみてね!
あなたの日常の隙間に非日常をそっと差し込みます。


さて表題の通り、わたしはゲーム業界どころかIT、クリエイティブに一切関係ない業種であり、その上若く精気に溢れた学生ってわけでもありません。
インディーゲームをバリバリに作ってる人って、プログラマーやデザイナーなどクリエイティブな職種の人か、情熱と時間をぶつけられる若き学生が多い気がします。
一般職だとクリエイティブではない仕事に平日のほとんどの時間を割いて、帰ってからの余暇で勉強と作業を進めていかないといけず……もちろん、家事、家族他同僚や友人などの人間関係も疎かには出来ませんし、他の趣味だってあるし、行事、冠婚葬祭も……いろんなことをやっていかなければなりません。だからでしょうか、あんまり見かけないですよね。

それだったら、
自分は如何にして3年で勉強と作業を続けゲームをリリースさせたのか。
そういう話は割と需要があるのかもしれないなぁ、と思いました。

今回は数少ないであろうわたしと同じモデルケース、アラサー地方在中会社員でインディーゲーム開発を志している人を奮起できたらな、という気持ちでunityを触り始めた3年前からゲームリリースまで何をしていったか振り返りたいと思います。


序章:3年前(2018年6月時点)のスペック

わたしはどんな人物かというと

・商業高校出身で簿記とCOBOLを習った
・映画専門学校に進みシナリオ専攻で卒業した
・地元に居残り接客業の後、事務職になった

程度の能力で、ゲームどころかITやクリエイティブな業界とは無縁な生活をしていました。COBOLのことはほぼ忘れました。
小さい頃から空想やお絵描きが好きで、クリエイターになることに憧れて専門学校に行ったりもしたけれど、家庭の事情で上京叶わず。かと言って完全に筆を折ったわけでもなく、何か作ってはインターネットにアップする日々を送っていたわけです。
ネットではさして珍しくもない人物像ですね。

そんな折、『わたしが絶対に表現したいこと』に出会い、その手段としてゲーム制作を選びました。
詳しくは以下のnoteをどうぞ↓


表現手段だったゲーム制作でしたが何作も作るうちにのめり込み……もっと自由に好きなように表現したい、そしてそれを市場に出していきたい……そう思うようになり、unityを学ぶことにしたのでした。

目標は……過去に一度RPGツクールで作った放置育成ゲームをスマートフォンにリリースすること!

過去に一度公開したフリーゲーム↓


一度作り切ったものだし、教材として作るのには最適に思えました。
……この時は。



①技術書で座学

まずは全機能を覚えようとしないで、放置育成2Dアプリゲームを作るのに必要な部分だけ覚えようと思いました。
が……わからない!!!
それでもわからない!!!!



突如現れる青空


まず、画面の見方がわからない!!
なんかウインドウがいっぱい出てくる!!!


いやいや……ウインドウの名前を見れば役割ぐらいすぐにわか……単語の意味がわからない!!



インスペクター??



これはスペクター




ヒエラルキー??



これはアメリカン・スクール・ヒエラルキー



軽く触ってみたとて、なんのことやらさっぱりわからない。似てるけどなんか違う画面がいくつも出てくる。それがUnityの初印象でした。

悩むより慣れろ、ってことでさっそくチュートリアルに取り掛かり、2DのUFOゲームを触ってみたりもしましたが……

プレファブ??
モノビヘイビア???

アセットって……なんか……アセットストアで買える素材のこと……?
プロジェクトってどこのこと?
シーンってつまりどれのことを指しているの……

次から次へと疑問符が湧いて、作り切ってみたものの全く釈然としない結果に。説明の通りに手を動かしてチュートリアルのゲームは完成はしたけれど、だからなんだ。何もわからないよ。
そんな感じでした。
IT未経験ですしC#プログラミングで苦戦することは覚悟していましたがそれ以前の問題でした。unityに出てくる専門用語がどれひとつピンとこない。

このままじゃダメだ!!!



そこで、座学です。
教科書はunityの初心者向け書籍を使い、必要だと思う内容をひたすらノートに書き写しました。
時は夏休み時期、図書館には受験に励む高校生たちの姿……彼らに混ざってわたしもまた、図書館の自習室で勉学に励むことにしたのです。
手を動かした方が覚えられるという人もいると思いますので一概には言えませんが、まったくの未知に挑むならわたしは、言葉や仕組みを知る必要がありました。


まずはunityの単語の意味を調べ……


アニメーションなどのやり方も筆記


こんな調子で技術書を教科書にひたすら筆記をして「何これ??」と手が止まってしまう言葉の壁をなるべく壊していきました。



ノートの一部はFANBOXで公開しております。


結局最初の2ヶ月は座学にささげました。技術書購入だったり、勉学のために時間を大きく使うなど一見遠回りのようですが、急がば回れ、そもそも初めてのことをしようというのに下地となる勉学をおろそかにしては何も理解はできないのですね。
今はインターネットに散らばる情報で学習することもできる時代ですが、壁にぶつかっては検索して時間を浪費するよりも、本を買って遣いつぶした方が結果コスパが良く感じました。
本、とっても大切です!!



初学者向けおすすめ書籍

これで画面構成やUnity特有の専門用語を勉強した。


いわゆる和尚本。いたくのまんぼうさんの初学者向け書籍はどれも良い……この本はUnityとC#を関連づけて一緒に覚えられます。


自分の書くコード、本当にこれで良いのかな……と不安になり出したらこれ。


これでList<T>や配列などのコレクション、クラスの根本的な利用法を覚えた。Monobehaviorに頼らない素のC#が必要になる前に読んでおこう。




②もくもく会に出席

座学で勉強する傍ら、もくもく会LT(ライトニングトーク)会にも足を運びました。
地元でunityを触っている人は少なく、出会う機会すらありませんので基本的には孤独でした。インターネットのおかげで交流は出来ますが、直接unityの話をしたいという思いが募りました。


unityを学び始めた当初、学生の夏休みに合わせて『unityわくわくキャンプ』という勉強会がunity technologies Japanによって各地で行われていました。
地方を回ってunityの学習をサポートしようというこの勉強会に、わたしは東京、宇都宮、仙台と3箇所参加しました。まさかの勉強会追っかけ行為!!そんなことしてるのはわたしだけだったので最終的にはUTJの人に顔を覚えられる始末……
unityの基礎が学べるroll a bollをみんなが作っている中、わたしだけ作りかけの触手を売る店プロジェクトを持っていって、わからないことを質問したりしていました。
よくわかっていない記述をコピペで使い回していた時などは、質問しようにもじぶんが使っているコードについてよくわかってないのでしどろもどろになって、若干怒られたりしました😂
それでも、目の前で実際にコードを書いてもらったりしているうちに、なんとなくコード記述のツボなんかが分かってきてコードへの理解がかなり深まったのを覚えています。

例えば、scene上のUI画像を取得してspriteを貼りたいときは

Image image;
Sprite UIsprite;
image.sprite = UIsprite;

そっか、UI画像の中のspriteを指定してあげる感じなのね、image = UIspriteじゃダメなんだ……とか……最初はそんなことすら分かってないのですね。分かった時のアハ体験は今でも鮮明に思い出せます。
UTJの人たちには本当に良くしてもらって、Unityが持つ豊かなコミュニティに本当に救われました。


わくわくキャンプ以降も、東京で開催されるもくもく会やLT大会に積極的に参加しました。
知見や人脈を手に入れるというもの以上に、地元で日常を送っていると忘れそうになる「わたしはゲームを作っているんだ」ということを身に染みさせるために行っていた気がします。
そこでは、会場の人すべてが何かしら作り、学んでいる。
ハンドルネームで呼び合い互いのプロジェクトを見せ合う。
そのことこそが、大切なやりとりでした。


③イベントに出展

6月からUnityを触り始めておおよそ半年後の11月……
デジゲー博に出店しました。



まだゲームの中核部分が出来ただけで、UIも整ってないしそもそもビルドが出来ない(爆笑)のでUnityエディタそのままで展示してました。
そんな状態でも出展したのは、それでも多くの身入りがあると思ったからです。

長期にわたるゲーム開発は孤独で、自分がやっていることが正解なのかどうかわからなくなります。
特に地方で会社員をしているわたしには、作りかけのゲームを遊んでくれる知り合いは皆無。
地方の会社員にはゲーム制作を打ち明けられる知り合いなどいない。
せめて可愛らしいゲームでも作っていれば見せてみるのもいいけれど、作っているのは触手を育てて売るゲームだ。会社の人に見せられるわけもない。


そこでイベントです。
イベントに展示すればわたしのことを何も知らない人がフラッと来て、遊んでくれます。目の前のゲームに対して純粋な感想をくれるわけです。
当時のわたしはインディー・同人ゲーム制作者の知り合いなど皆無でしたが、なればこそイベント出展しかないと思っていきました。

結果、隣のブースの人と仲良くなってゲーム制作友達ができたし、ネットメディアに載ったし、通りすがりの方にも触ってもらえて、得難い経験をたくさんしました。イベント参加をきっかけに、インディーゲーム製作者になれた気がしました。

この2018年のデジゲー博で自分が作っているものは面白いんだという手ごたえを感じたからこそ、完成まで頑張れた気がします。
そこからは、なるべくたくさんのイベントに出ることにしました。出るたびに新たな出会いがあり、貴重な経験をしています。




東京ゲームショウ2019

インディーゲーム制作に転身するきっかけとなった東京ゲームショウに出れた日は、本当に嬉しかったなあ……


去年のUGDGアドカレはゲーム展示イベントのススメについて書きました。





④Unityゲーム開発者ギルド

unityを触り始めて半年後、そうあれは2018年の11月。
Unityゲーム開発者ギルドが発足しました。


主催者は太陽人間のプログラマーでありUnityRoomの管理人でもあるないちさん。Unityとインディーゲームに関わり深い人物です。
きっと個人ゲーム開発者がいっぱいあつまるのだろう……そんな期待を胸にわたしも早速参加してみることにしました。

期待はいい意味で裏切られました。
インディーゲームどころか、ゲーム会社に勤めるエンジニアたちがたくさん集っていたのです!!
そんな人たちが集まりますから、お話されるUnityについてのことも、触り始めて半年のわたしからすればとても高度なことでした。
IF文や配列を覚えてそれでゲームを作り切れる気になっていた自分を恥じました。プログラミングというものは、構文を覚えてそれで終わりではない。設計という考え方があり、後のアップデートやメンテナンスで詰まないようにするためのデザインパターンがあるのだ。


ダニング・クルーガー曲線


Unityギルドに参加して数ヶ月で、ダニング・クルーガーの全て理解した状態からなんも分からん状態へ前進・転落しました。
いやこれ、unity開発者ギルドのアドカレ記事なんですけどね、今だからこそ言いましょう、正直に言えば、精神的にキツい場面もありました。
己の無知を知り、実際にゲーム業界で働いている方々との差を圧倒的に知ってしまうのです。そして彼らですら実際のゲーム制作の場面では、頭を抱えることがある。
地方の会社員でいる自分が恥ずかしくなって仕方がない夜もありました。ただ恥ずかしさを埋めるためだけに、ゲーム業界に転職を考えた白昼もあります。

でも、本当に自分がやりたいことと向き合ったとき……
わたしは自分の手で自分が企画したゲームを作りたいのだ、と……
そのことを強く自覚したのでした。

襟を正してUnityギルドに向き合いました。覚悟が完了してしまえばメリットしかありません!
本来なら触手を売る店プロジェクトを壊してダメにして泣きながら覚えたであろうアンチパターンを事前に知ることが出来ました。
セーブ機構の実装でわからない時、addressableがわからない時、そっと知識を授けてくれました。
なんなら先日もGitHubの使い方を画面共有で教えてくれたりもしました。今はDIについて盛り上がっており、見ているだけで学びがあります。
ありがたすぎる~!!


コレが本当に良くて、わたしは特に『アドバイス罪』とか『マンスプレイニング』とか言われる類の、聞いてもないのに一方的に押し付けられるアドバイスがとにかく苦手というか憎悪までしているのですが、Unityギルドではそれが発生しづらいのですね。
教える側・教えられる側の信頼関係が成り立ってはじめて実のある教示が受けられると思うのですが、TwitterなどのSNSではそれが成立しないまま一方的に求めてもないアドバイスが始まりがちです。
まず前提を共有できてませんから、アドバイスする側が話したいことを話して終わってしまうことも多々。
その上、話されたことは知りたかったことと若干ズレてたり、なんならそもそもアドバイスなど求めてない呟きに自慢に近いマジレスがついてイラつくことだってry

対して、Unityギルドではすでに互いが何者か分かっていますし、相手が何に詳しいのか、こちらが何をして何に困っているかという細やかな文脈も共有出来ていますから、一方的なものになり辛いのですね。
その結果、不毛な気のもみ合いをすることなく軽やかに情報交換が進むわけです。

ギルドがなければ広告やセーブ機構の実装など、リリースのために必要な手間のかかる局面で詰んでいたことでしょう。
また、ギルドの運営方針と方法によって、ひとりごとを自由に書き込めるようになっている個人channelを各自持つため、Twitterのように使うこともできます。不特定多数に見せるには適さない話題や悩みをTwitterから切り離すことが出来て、安全にSNSの運用ができるようになりました。これはツイ廃には重要なことですよ!



Unityギルドとイベント出展という方法を手に入れたわたしは2019年、精力的に外に出る活動をしていきました。
出展できるあらゆるイベントに参加し……
ギルド参加者が居るもくもく会やLT会には積極的に参加して交流を深めました。
ともかく、敵は『作らなくてもいいや』と思ってしまうことでした。地元では会社員で、将来ゲーム業界に行きたいわけでもない。生きていくだけならやらなくていい。会社に行って家に帰るを繰り返していれば生活できる。
でも自分はゲーム開発者なんだ。自分自身に言い聞かせるためにそういった場所に出向いていたような気がします。




⑤そして訪れる苦難

そして……2019年が終わり……2020年に入り……



ゲームは…………完成しない………!!!

何故完成しないのか??
それは、そもそも、作り始めたゲームが、企画が、
めちゃくちゃ大規模だったから!!


練習と思って、一度作り切ったゲームをもう一度作ろうと思いました。
このフリーゲームはRPGツクールにより3か月で作ったもの。はじめて使うunityといえど、一年あれば完成するだろうと思っていました。

けれど、実際は違っていました。
わたしはわかっていなかった……コンストラクションツールであるRPGツクールでゲームを作るということと、ゲームエンジンであるunityでゲームを作るということの違いが……



RPGツクールは名前の通り、RPGを作ることに特化したコンストラクションツールでその為の機能が最初から一通りそろっていました。

ウインドウで文章を表示する機能や……



キャラクターやスキル、モンスターを登録するデータベースなど


この、最初から用意されていたものに、自分の作りたいゲームに必要なデータを入力して、必要なものをマップに配置して使うわけです。
でも、全てのゲームにこのような、データベースや文章の表示機能が必要でしょうか?そうではないですよね。横スクロールアクションなら文章は出ませんし、こんな多彩なデータベースも使い切らないわけです。

だから、unityにはこんな機能は存在しない!!
文章の表示とか、データベースを定義して作るところから始めるのだッ!!

そのため、RPGツクールでは小規模にあたるゲームでも……unityで作るのには充分大規模になる。そのことに気が付いたのはもうunityを触って一年が経過しようという時でした。

考える必要があります。
「なぜわたしは、unityでゲームを作るのか……」

これに答えが出せなければ、手が止まってしまうことでしょう。
現に、同じ時期に活動していたツクラー仲間が何人か、unityに移行しようとしてみたけれど、やっぱりツクールでは最初からあるものをイチから作らなくてはいけない、ということに壁を感じてほぼみんな挫折していました。

ゲームを完成させるのならば、RPGツクールの方がよっぽど便利で簡単だ。
ではなぜ、unityで作るのか……それは!!

アプリゲームを出したいから!!
スマートフォンでたくさんの人に遊んで欲しいから!!
ゆくゆくはsteamやswitchにだって出してみたい!


unityのマルチプラットフォーム対応や、パブリッシャーとの連携のしやすさにより、大きく展開されるゲームを自分の手で作ることが理屈上可能……

そして何より、ツクール独自の仕様や界隈から離れ、自分で描いたグラフィックをより自由に動かし……自分ならではの画面を構築することが出来る。
技術さえ身につけば、何処までも自由になれる。それをどこにでも公開できる。
それに魅力を感じていました。
わたしは自由になりたかったのです。


それはわかった。
じゃあこの初学者がやるには規模が大きすぎる企画をこのまま続行していくのか?

その答えもイエス、です。
何故ならこのゲームは好きなものをたくさん詰め込んだ、わたしの宝物なのだ。世に出さないなんて、あり得ない!

それを強く意識したからこそ、この壁を超えることが出来たのだと思っています。
けれど…………本来はもっと小さい企画でリリースまでやった方がいいと思う。最後は本当に根性だけでやりきった。好きなものばかりにしてよかった。
(好きじゃなかったら手が止まっていただろうから)




でも……ゲームは完成しない……!!!

それはなぜかと、一年間の作業を振り返れば……2019年の進捗は図鑑の実装や触手の増量などメインどころもあったものの、他はリファクタリングやエディタ拡張に終始し、完成へ向けて足踏みをしている状態でした。
日々、新しい知識がUnityギルドを通じて入ってきたけれど、それに終始していては永遠にリファクタリングを繰り返すばかりで完成しない、と感じました。そこで、思い切って学習は必要最低限にして進捗をガツガツ進めていくことに決めたのです。


有名なこのセリフを胸に前に進むことに決めた

自分は無知だ……interfaceも結局きちんと使えなかった。
でも、その愚かさを胸に前に進むことに決めました。終盤は「お願い!!持ってくれ触手を売る店プロジェクト……!!」って感じでしたがなんとか破綻せずに済みました。

たぶん、初学者が勉強しながらゲームを作るにあたっての一番の落とし穴ってここで、学習を続けなければゲームは作れない、しかし、学習をし続ければゲームは何度でも作り直しになって完成にならない、というある種の矛盾にどこかで決着をつける必要があるんですね。
いつだって、新しい知識があちこちにある。あれもこれも試してみたい。もっと良い技術に置き換えたい。
学習を独学で進められる者ほど、この永遠の作り直し地獄の誘惑は大変に強烈です。
技術を試すのって、楽しいんだものなぁ。
どこかで自分の頬を平手打ちして
「お前は何のために!!!技術を手に入れようとしている!!??ゲームを完成させるためだろがーーーー!!」
と、喝を入れる必要があるんだな。



しかし……ゲームは完成しない……!!!!!!!!


自分を見つめ直した。進捗を出すことを一番に決めた。
それなのにどうして……
それは……



単純に物量が多い!!!!

描いても描いても描いても描いても終わらないグラフィック地獄。
unityで、自分の描いたグラフィックを自由に生き生きと動かしたい。
ユーザーに楽しんでゲームを遊んで欲しい。
そんな思いが、シナリオを厚くし、グラフィックの量を跳ね上げていました。何枚描いただろうか……3ケタは優に超えている……それらを描き続けることで、一年がほぼ終わってしまいました。

絵が描けるということは、ゲーム制作においてジョーカーみたいに強い能力なのですが、かわりに、こだわってしまい先に進まない要素にもなり得ます。
絵を描くという行為は祝福でもあり、呪いでもあるのだ。
わたしもあれも入れたいこれも入れたいとやった結果、制作期間の半分は絵を描き続ける羽目になりました……
でもこればかりはユーザーが直接目にするものですし、手を抜くわけにはいかないですからね。
やり切るしかない!!


そして、やり切ったわけですが……描き終わったら次は実装です。

それも時間がかかって……そしてやっと……ゲームが出来た、でも……




まだゲームはリリース出来ない……!!

ゲームが完成しても、すぐに出せるわけではないんです。
完成からリリースまで、いくつか通るべき関門があります。

  1. 通しプレイ・デバッグ

  2. 広告やレビュー機能などアプリゲーム独自の実装

  3. アプリストアの開設

  4. アプリの審査

  5. プレスリリース

  6. 本リリース

パソコンで遊んでもらうフリーゲームなら、専用サイトに登録して終わりでしたが、広告収益を得るアプリゲームとなると、ゲーム開発部分以外にやることがたくさんあります。
ひとつひとつが大切で、おろそかに出来ないものです。

有志の方にお願いしてともにデバッグに明け暮れ……
泣きながら広告SDKと格闘し……
怯えながらApple developer accountとGoogle consoleに登録し……
祈りながら審査に出し……
配信日とか配信国とかの設定に四苦八苦し……


ゲームキャストさんのプレスリリースの書き方を参考になんとか仕上げてゲーム系メディアに送信し

そしてやっとリリースを迎えたのでした。

プレスリリースを各社に送った結果、電ファミニコゲーマーさんに取り上げられて、ちょいバズする結果に。
プレスリリース、大切ですね!




⑥アラサー会社員がゲームをリリースするには

週5フルタイムで働きながら3年かけてプログラミングとUnityの勉強をしつつゲーム開発を続けリリースまで漕ぎ着けたわけですが、何をやったかまとめますと

  • まずは技術書で座学をして専門用語を覚えた

  • 勉強会に参加して技能向上&モチベ維持

  • ゲーム展示イベントに参加し交流、ゲームの見直し、モチベ維持

  • Webのコミュニティに所属して技能向上、交流、モチベ維持

  • じぶんのゲーム企画と目的を見つめ直して覚悟を決める

  • じぶんの好きなものを詰め込んだゲーム企画にする

  • どこかで学習の区切りをつけゲームの完成を目的に据える

  • 大きな物量は小さな単位でスケジュールを切って倒す

  • ゲーム制作以外の細々としたことも視野に入れる

  • プレスリリースはちゃんと打つ

これらを土日祝の余暇を使ってやり切ったのですね。


で、これを誰しもができるかというと絶対にそうではないわけで……
最期は根性だったし……

何故やり切ることが出来たのかといえば、数点、じぶんならではの理由や環境があったな、と思いました。




①地方であるがゆえの生活のしやすさ
東京都心と比べると家賃や物価が安く通勤も車で10分ほど。地方とはいえ県庁所在地ですから車さえあれば生活するのになにも苦労はありません。
クリエイティブなことは生活する上では無縁ですが、気さえ強く保っていればとても生きやすい環境です。残業もないし。
家庭環境は老年の父親と双子の姉との3人家族で、親は後期高齢者、その半生は貯金や年金など無縁の無頼漢。何も頼りにならず子が親を養っている状態ですが、それでも特に苦も無く生活出来ます。




②理解のある家族の存在
親のことは置いといて、双子の姉もまたクリエイターを目指しており、よく2人で活動について報告しあったりしました。時には他人には聞かせられない悩みや愚痴も、生まれた時から一緒にいる家族ですから屈託なく打ち明けられます。
やはり、何か作り続けるにあたって一番大変なのはメンタルだと思うんですよね。独りで誰にも打ち明けられない気持ちを抱えて、闇堕ちしていく……
わたしは少なくとも独りではなかった。これに本当に救われました。





③性格
みもふたもない話ですが、性格もすごく重要で……
わたしは生来、ずっと独りで家にこもって作業や勉強に没頭していてもなんの苦痛もないタイプ。
そもそもが人付き合いを苦手としており、地元に友人はおらず創作活動こそがコミュニケーションの一環でした。ゲームを作ろうと作らなかろうと、他者と地元で遊ぶとかマジでしないんですね。なので土日は時間が余っている。創作活動してない人って何で休日過ごしているんだ?



そう、ずっとマイナスだと思ってた地方在中会社員内向的な性質友達恋人なし、がプラスになったんですね。

また、アラサーになるまでゲームを作ってみようなんて全く思わなかったわけですが、生活していく上で触れたものや全く違う趣味嗜好がゲーム制作に生きることもありました。



①映画学校の経験
通ったものの業界入りを挫折した映画ですが、シナリオ理論やカメラ、カット割り、映画史など学んだことはどれもこれも、ゲーム制作に役立ちました。
ゲームも映画と同じ総合芸術
ですから、通じる部分が多いのかもしれません。
学校に行く前と行った後では映画を見た時のインプットの質が違う気がします。「おもしろい/つまらない」で終わっていたものが、より様々なものを受け取れるようになった感じがします。




②バンギャル青春
何を隠そう青春はバンギャルとして過ごしていたわけですが、その過程で各種チケ発交通手段、ホテルの確保等は問題なくできるようになっております。
これって意外と必須スキルで、ゲーム出展イベントに出ようって際はイベントの申し込みから宿の予約まで全部自分でやらなければいけませんが、それが全く苦ではないわけです。
なんなら、Apple developerに登録するときも似たようなスキルは必須といえるでしょう。多分steamもそうなんだと思う。
また、浴びるように音楽を聴き続けたおかげか楽器は1ミリも弾けないのにgarage bandで作曲が出来たり……
バンギャルが追っかける各種ヴィジュアル系バンドの世界観は自分の根底に根差し、結果として他にない世界観と言われるようなものを構築するのに役立ちました。
バンギャルからのインディーゲーム制作者という異色の経歴が、わたしが作る世界観を支えているわけですね。
青春時代は卑屈になって勉強もせずにバンギャルしていたわけですけれども、それが今役に立っていると思うと感涙……!


③接客業の経験
若いときは接客業をしていたわけですが、これも馬鹿に出来なくて、インディーゲームは自分で作って自分で矢面立つわけですね。恐ろしいかな対人スキルも多少はないと、チャンスを逃してしまうこともあるわけです。
外交を誰かに頼めればいいかもしれませんが、真に信じられてそういう役回りを演じられる人に出会える可能性など1%ですからね。自分でやるしかない。
いわんや卑屈なコミュ障であったけれど、何を間違ったか接客業に着いてからは落ち着きを得て人と話せるようになった気がします。
接客業をして居ればあらゆる人に出会い様々な善意と悪意に晒されるわけですけども、それでかなり肝も太くなった気がしますし、シナリオの人物構築のネタにもなります。
また、レジを触ったり閉め作業をしたりディスプレイをしたりするわけですけども、それらもイベントや会計に役に立ってくるのでした。




④事務員の経験
その後は現在まで続く事務員をしていくわけですけども、ビジネスメールのお作法はもちろんのこと、多少は会社というものの成り立ちや経理会計、確定申告、そういうものを身近に感じるわけです。
インディーゲーム制作は収益を出していくなら超小規模な会社とも言えるでしょう。個人事業主として申請を出し、確定申告をする。そのような事務仕事に拒否反応はほぼありません。事務員でやってることだものなぁ。



そんなわけで、お気づきですか?
どんな経験も職業もインディーゲームの役に立つということを!

あなたが今どんな職に就いてどんな生活をしていようが関係なく、今まで経験したあらゆることが支えになる。どんな人生も無駄じゃないッ!!


「ゲーム作るの憧れるなぁ……」それなら今すぐお持ちのパソコンに!!unity入れてレッツチャレンジ!!

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