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【つくるのはたのしい】ゲームを作り始めたバンギャルのはなし
ある日、わたしはヨドバシカメラのPCソフトコーナーで、値引きされている『RPGツクールVXAce』を手に取った。
2013年、わたしは一介のバンギャルだった。
ヴィジュアル系みたいなミュージック・ビデオが作りたいと思って、高校卒業後は映画学校に行ったほどだった。結局は撮影時のあまりにハードな肉体労働と体育系な社会に引いてしまって諦めた。撮影が無理だったわたしはシナリオで卒業制作を納めた。
そう、バンギャルでもあったが物を作ることも好きだった。幼い頃からずっと絵を描いていた。家には長らくパソコンが無かったが、やっとパソコンが来た日には絵を飾るための個人サイトをHTMLをぽちぽち打ってこしらえた。絵を描き始めたきっかけは、聖剣伝説3のキャラクターがあまりに魅力的だったから、だと思う。
そう、ゲームも大好きだった。小学生の時代などは男子に混ざってずっとゲームの話題で過ごしていた。ポケモンを150匹集め、ファイナルファンタジーでジョブチェンジ。ゲームは幼き思い出の輝きだった。
だから、個人でもゲームを作れると知ったときは大変に興奮した。個人制作のゲームをはじめて知ったのは「Ib」がきっかけだった。それはTwitterでは一次創作交流アカウントとバンギャル交流アカウントの2つを使い分ける、という過ごし方をしていたわたしの目にも触れるぐらいすごく流行っていたし、流行るのも納得なほど大変に素晴らしいゲームだった。
こんな面白く、美しく、心を打つ作品をたったひとりで作ったというのか……
しかも、作った方法はPRGツクールだというのだ。わたしはそれまで、ツクールでは王道PRGしか作れないと思っていたし、もっと凝ったものを作りたいならプログラミングの知識が必須だと思っていた。
けれど、ツクールは思っていたよりもっと自由なものだったらしい。調べるとRPGには拘らない、個性豊かな作品がたくさんあった。
だから、ヨドバシカメラのPCソフトコーナーで見つけた日、わたしは思わず衝動買いしてしまったのだ。まだゲームの構想もなかったのに。
そこから一年ぐらい、わたしはツクールを詰むことになった。
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誰もロック文化史のエモさに気が付かないのなら、わたしがそれを知らせよう。
ツクールを詰んだ数か月後から一年、わたしのモヤモヤは肥大化していた。なぜみんな気が付かないのだろう、と思っていた。
きちんと理解ればよりアニメ漫画ゲーム映画小説、それらがより一層輝いて面白くなる。わたしはこの事をなるべく多くの人に知ってほしいと思った。
ユースカルチャー、カウンターカルチャー、すなわちロック文化について、多くの人に知ってほしいと思うようになっていた。
もとより、人よりズレたところが気になる性質だった。幼い頃は「変わってるね」と言われ続け周囲から浮き続けていた。双子の姉が友達を作り楽しくやっている中、わたしはひとりで遊んでいるような、そんな不気味な子供だった。中学生となり思春期を迎えればそれは肥大化して、わたしの奇妙な視線や考えを理解するものは誰もいないのだと、孤独に震えていた。
そんな学生時代、ヴィジュアル系との親和は抜群だったわけだった。
バンギャルを中心に生活が回っていたときも、多くの人がメンバーのしぐさが、服装が、科白が、カッコいい、そんな話をしている中、わたしは歌詞やMVの元ネタを探すのに躍起になっていた。
バンドメンバーよりむしろ、バンギャルの生態というべきか、謎の文化というべきか、そういうことが昔からずっと気になって、気に入っていた。謎の手扇子、掛け声、服装のルール、ライブハウスで快適に『戦う』ためのイロハ。そのすべてが、別段決められたわけでもないのにいつの間にか決まっている。そのことを興味深く思った。
また、中学生から愛してやまないヴィジュアル系の、あちこちに潜む『何か』が気になっていた。それは、ベルトがいっぱいついたズボンだったり、謎に具合が悪く見える化粧だったり、革のジャケットだったり、ミュージックビデオだったりした。どのバンドにも、何か、共通の美意識のようなものがあった。言葉にならないそれらを、解き明かしたいのだと気が付いたのは、2013年のある日だった。バンギャルのTwitterアカウントでうだうだ言っていたら、美容師のバンギャルからとある本を教えてもらった。
『ザ・ストリートスタイル』
服飾史を戦前から戦後まで網羅したその本には、わたしがずっと知りたくて仕方がなかったことがすべて描いてあった。
その名は『ユースカルチャー』、もしくは『カウンターカルチャー』というもので、ヴィジュアル系もまたその系譜上にある。例えば、ヴィジュアル系にありがちな謎にベルトがいっぱいついたズボンは、パンク・ファッションのボンテージパンツが過激になっていったものだ。具合の悪い化粧はゴスというもので……
では、どうしてゴスとパンクは日本において混ざったのかしら?
革のジャケットを見ると、どうしてわたしたちはロックだ!って思うのだろう?
疑問は次々に湧いて出た。ザ・ストリートスタイルに載っていた映画を見たり、新しい資料を買い足して読んだりするうちに、ユースカルチャーというものは、ロック音楽の一部であるヴィジュアル系だけではない、一見関係なさそうな、漫画・アニメ・ゲームの中にもたくさん流用されていることに気が付いた。
ロックと言う言葉には音楽ジャンルとしての意味だけではない、もっと大きな、ファッション、映画、その時代時代の若者の生き方を反映した、大きな意味が内包されているのだと知った。それは時代時代に若者たちが愛した様々なものに影響され、また、影響を及ぼしていたのだ。
ああ!なんてことを知ってしまったのだろう。なんて面白いのだろう!
みんなに知ってもらいたいと思った。
ロッカーズという存在を知ってほしいと思った。彼らこそ矢沢永吉のようなロックンローラー・ステレオタイプのすなわち元ネタ。
モッズという存在を知ってほしいと思った。彼らの文化こそ我々がいま当たり前に来ているファッションの礎を作った。
ヒッピーという存在を知ってほしいと思った。ただの麻薬中毒者ではない。ファッションや映画のそこここに、彼らの痕跡を見ることが出来る。
そしてパンクという存在を知ってほしいと思った。ただの不良ではない。彼らの行為こそロックが今の姿になったきっかけ。
最初、わたしはその面白さをTwitterの一次創作交流アカウントで語ってみたりもしたが、バンギャルアカウントと違ってロック音楽に大して興味もないフォロワーは、わたしなんぞの語り口では興味を持ってくれることはなかった。
それどころか、「何言ってんの?」「最近どうしたの?^^;」「ロック(笑)」という反応も多く、わたしはただTwitterの短文で語ってなんかしようとすることを辞めた。
体験してもらわなければいけない。ロックというものを、漫画・アニメ・ゲームの中で体験してもらい、その経験を持って他の漫画・アニメ・ゲームを見ればきっと、中に潜むロック文化の記号や礎に気が付いてもらえる……
その為にはどうしたらいいのだろう。
わたしは思い出した、RPGツクールVXAceの存在を。
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そう思ってからおおよそ二年後の2016年。わたしは一作目を完成させた。
1950年代末期から1970年代末期までの20年間、イギリス・ロンドンのユースカルチャーを追体験するADVでプレイ時間は普通に遊ぶと10時間。
処女作としては異常なボリュームをもった作品を完成させた。
二年も作り続けていれば、いろんなことが変化した。当時の一次創作交流用Twitterのフォロワーたちは、ロック文化にもゲーム制作にも興味がなく、囃し立ててくる者もいたのでスパッとTwitterアカウントを消して人間関係を清算してしまった。今まで築き上げた創作の仲間を失ったわたしは、途中から『このゲームを作るor創作の筆を折る』というチキンレースになっていた。
それまでのすべてをかなぐり捨ててゲームを完成させる頃には、すっかりゲーム制作が好きになっていた。二年かけて一作目を完成させてもなお、次回作の構想があれやこれやと浮かんできていた。
栄光と挫折の末、東京ゲームショウで魂を知る。
一作目を発表してから半年後、2016年末にはすでに二作目の『Steel howling』を完成させていた。
これは気が付いたら殺人鬼の家に閉じ込められていた3人の若者が脱出を目指すサイコホラーで、「Ib」の衝撃から長く流行が続いていたホラーゲームADVの皮を被ったヘヴィメタルの歴史を語るADVだった。
一作目と大きく違うのは、コンストラクションツールをRPGツクールXVAceから、当時最新だったRPGツクールMVにしたことで、それによりグラフィックとプラグインの質が大幅に向上したことだった。
MVでは解像度が増したことで手描きマップがサポートされており、「Ib」の美麗なグラフィックに惹かれていたわたしは自分でもオリジナルのマップを描くことにした。幸いにも、お絵かきは小さいころからやっていた。
プラグインは使用言語がJavascriptになったことで有志の素晴らしいプラグインがそろい、当時のわたしのようなプログラミング? おいしいの? みたいな人種でも高度な実装をすることが出来た(ありがとう、プラグイン作者さんたち)
この作品はニコニコ動画の自作ゲームコンテストで受賞し、わたしは本格的にゲーム制作を志すことになった。
ニコニコ動画ではRPGアツマールというRPGツクールMV製のゲームを投稿できるサイトが出来たばかりで、わたしが受賞した賞は言わばアツマールの記念賞みたいなものだった。そのような賞をいただいたからには、アツマールでめいっぱい活動し、ゆくゆくはコミックス化などのメディアミックスを志そうと思った。
この時+はツクールによる自作しかわからず、その為個人制作のゲームというものはメディアミックス展開による商業化ぐらいしか知らず、わたしもまた同じような道を目指すものだと思っていた。
が……そんな決意はあっという間に挫折することになった。詳しくは割愛するが、すでに2017年の秋にはこのまま活動し続けても何もならない、でも、だからといってどうしたらいいのか……そんな虚無な思いが常に胸にあった。
この時期は本当につらくて、わたしの前に社会性の魔物みたいなものが出でて「斜にかまえてロックとか言っている君には結局、大衆の気持ちを掴むような人気作は作れはしないのだよ。妙なプライドは捨て、考え方をイチから変えたまえ」と言われている気分だった。
それは、思春期の時に味わった孤独と同じだった。すでにいい年齢になっていたが、それでもティーンの時と同じような目に逢うとは、つまるところわたしはずっと子供のままで、未熟で、割り切れない、ちっぽけな存在なのかと苦悩した。
ゲームを作り、たくさんの人に「私はロックに詳しくはないんですけど、あなたのゲームを遊ぶうちにロックがすっかり好きになりました!」と言ってもらえた。すでに、最初の志は満たした。でも、何かが足りなくて仕方がなかった……。
そんな想いを抱えながら、アツマールからチケットを頂いたので東京ゲームショウ2017を訪れた。
※写真は2019年のものです。
そこには、自由があった。
自由だった。みょうちきりんなゲームが、個人のこだわりを貫き通したインディーゲームが、たくさん、たくさん、洪水のように展示されていた。
日本人が作ったゲームがあった。外国の人が作ったゲームがあった。どれもこれも、大衆性などからはかけ離れていたが、なお魅力的で輝いて見えた。
それは広大な世界だった。わたしの悩みなんて吹き飛ぶぐらいのパワーがそこにはあった。
思い悩んでいるのなら、自分で世界に売ればいいじゃない。ゲームを作ってるんだから、ゲームを売ればいいじゃない。
そのままでいいんだよ。
会場中からそのように、話しかけられているような気がした。
わたしは呼吸が出来なくなるぐらい嬉しくって、もうすぐに「わたしはいつかここに出展する!!」と息巻いた。
そう、わたしの願いはいつの間にか大きくなっていた。
ただロック文化を知ってほしい、というものから、もっと、自分自身のゲームを遊んで欲しい、ゲームを作って生きていきたい、そのようになっていた。
最初は手段でしかなかったはずのゲーム制作が、とても重要なものになっていた。
わたしはフリーゲームを作っていた。だから、ゲームを作って生きていきたい、みたいなことを言うものなら、何を馬鹿なことを、夢物語を、無謀だ、そんなことを言われもした。
それでもわたしは、そんなことが出来るようになるための努力は惜しまなかった。
コンストラクションツールであるRPGシリーズでは柔軟性に難がある為、ゲームエンジンのunityに変えた。その為には、未知の要素であるプログラミングをイチから覚える必要があったけれどまったく苦ではなかった。むしろ、新しいことを覚えて、新しく出来ることが増えることはとても楽しかった。
グラフィックに関しては自分で描いて用意することが出来るので問題なかった。BGMも、長年バンギャルをやっていたせいかGarageBandのAppleLoopsでなんとか作曲することが出来た。
演出やシナリオも、映画学校に行き、映画や演劇についてアレコレ考え続けてきたおかげで何となくできた。
いままで自分の人生でやったあらゆることが、ゲーム制作に還元されている気がした。無駄なことなどなにもなかった。
それから2年後の2019年。
わたしは東京ゲームショウに出展した。
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それで、今は香港ゴシックな世界で触手を売るゲームを作っています。
ゲームを作って生きていく第一歩、iOS/Androidで遊べるスマホゲームです。
記したようにパンクな気持ちで作っているんだけれど、様々なゲームイベントに展示し、実際にユーザーの皆さんに遊んでもらう中で、本当に、誰が遊んでも面白い、そんなゲームにしたいという思いが強くなりました。
イベントに出すたびにブラッシュアップを重ねて、今制作は大詰めです。来年の初頭あたりに出せるように頑張ってます!
また、ゲームを制作する最初の志だった「漫画・アニメ・ゲームの中にあるユースカルチャーをみんなに知ってほしい!」という気持ちは、なんとポケモンの最新作が叶えてくれました。
ポケモン最新作、ポケットモンスター剣・盾はイギリスモチーフである為、パンク・ロックもたくさん使われています。
というか、最近の任天堂は息を吸うようにパンク・ロックモチーフを入れてきますね。ありがとう、任天堂。
幼い頃から人よりズレたものが気になって、話してみても、理解されることは多くはなかったと感じていました。
けれど、こうして何かを作る……ゲームを作ることや、noteで考察を綴ることではじめて、わたしが見えている世界や視線を他者と共有することができる。その瞬間、やっと誰かとお話できたような、満ち足りた気持ちになるのです。
以下、パンクに対するクソデカ感情部分なのですがパーソナルが過ぎたので抜き出して有料にしています。
どうやらわたしはパンクだったらしい、とゲームを作る中で気が付いた。
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