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自分軸思考の練習始めてみました。
早いもので、今年もあと2週間ほど。
年々早く感じるので、あっという間に人生終わりそうで焦る。笑
そろそろ、おせちの食材などを買い揃えていく時期。今年から私は可能な範囲でおせち作りに挑戦してみようかと思っている。
そんなふうに今は張り切っている私だが、数年前から、年末年始はとても気の重いイベントになってしまっていた。
厳密に言えば、4年前、姑が亡くなったその年から。
10年前に結婚してから毎年、年末年始は夫の実家に泊まりで滞在するのが恒例となっている。5年前に夫がUターン転職し、今は実家から30分くらいの距離に住んでいる。
姑は、料理が得意で、息子家族の帰省をいつも歓迎し、毎回ご馳走を振る舞ってくれた。孫の相手もお手のもの。
しかし、長男が3歳、次男が生後5ヶ月のときに、姑はガンで余命3ヶ月の宣告を受け、それからたった1ヶ月で逝ってしまった。
残されたのは、温厚だが、厳格で、口数の少ない舅。一通りの家事はできるが、料理だけはしない。孫たちを大切には思っているが、相手をするのはあまり得意ではない。
また、夫は長男で、弟が1人いる。
弟家族は関東で暮らしており、私たちより結婚が早かったので、我が家よりも年上の子どもが2人いる。
ただ、なんとも悩ましいのが、夫兄弟の仲が微妙なこと。
競争心とコンプレックスと無関心をミックスさせたような関係。会話もあまりなく、とても仲良しとは言えない。そこに、遠慮と苦手とを混ぜ合わせた舅との関係が加わるとこれまた微妙。
この男家族3人のコミュニケーションは、きっと、もともと姑中心に回っていたのだと思う。今も、2人の嫁のサポートなしには少し厳しいものがある。男たちだけだと、どうしても言葉が足らなくて、会話も盛り上がらない。
姑が亡くなった年の年末年始は、喪失感にめげないよう必死だった。せめて料理だけはと、喪中だとおせち料理は食べないので、デリバリーでお寿司など用意し、その他大皿料理を何品か作った。0歳の次男をおんぶして、リビングから引き戸で隔てられた寒い台所で天ぷらを揚げた。
夫は、たまたま生前お雑煮の作り方を教わっていたので、母の味を思い出しながら、お雑煮を頑張って作った。
どうしても同じ県内に住む私たちの方が材料を調達しやすいのでやることが多くなるのは仕方ない。それでも最初の年は、弟夫婦も加勢して、子守も交代しながら、舅以外は忙しなく全員で動いた。
姑が元気だった頃は、嫁2人が盛り付けや皿洗いを少し手伝うくらいで、姑を中心に和気あいあいとおしゃべりしながら楽しくやっていた。
しかし、もうこれからは、用意から片付けまで、自分たちで率先してやっていかなくてはいけないのか……ズドーンと重苦しい気持ちになった。しかし、夫は最愛の母親を亡くしてもっと辛いはずで、弱音は吐けなかった。
お開きになる頃にはグッタリ疲れてしまい、元旦の夜、自宅へ帰る車中で、姑を失ったことの痛みを改めて感じ入った。
お料理だけじゃない。孫たちの相手や、賑やかな場を演出するホスト役。それは姑にしかできない所業だった。
翌年以降も、おせちを買ったり、それ以外は作ったりなど、工夫しながらなんとか過ごしてきた。足りなさそうでヒヤヒヤしたり、多すぎて余ったり。9人分の料理の量の感覚、好き嫌いは、年に1回では掴めない。
また、完全にケータリングなどに頼れない理由として、我が家の次男の食物アレルギーがあった。そのため、さらに頭を悩ませた。
次男にだけ別のお弁当を用意したりもしたが、癇癪持ちの彼は、みんなと同じものが食べたいと泣き喚く時期もあった。
年に一度とは言え、手作りのアレルギー対応食とケータリングの手配など、大人数の料理について考えることが年々ストレスになっていった。
日程が近づき義妹に相談するも、遠方のため、スミマセンがお義姉さんに任せます、というスタンス。仕方ないとも思う。だけど、なぜ私だけが、という思いも拭えなかった。結局は舅や夫が何を求めているかを察し、やるべき仕事を自分に課すしかなかった。
2年目から、すでに義務感しかなく、夫家族への不満が溜まっていった。一昨年は第三子出産間際で張り止めを飲みながら無理をした。私たち夫婦だけが早起きで、弟夫婦はその2時間後に起きてきた。義妹は生理痛とのことだったが、雰囲気が凍りついたのは、寒い台所のせいだけではなかったと思う。
その1週間後、私は切迫早産と診断され、絶対安静となってしまった。
恨めしい気持ちでいっぱいになり、もう終わりにしませんか?と言いたかった。何もしないくせに自宅に集まることを強要する舅にも、自分の実家なのに人任せな義弟にも、腹が立っていた。そしてその状況をわかっていながら解決策を見つけられない優柔不断な夫にも。
ただ、終わりにできない唯一の理由は、子どもたちがいとこに会えるのを楽しみにしていること。
終わりにすると子どもたちの楽しみを奪う罪悪感に苛まれる。
そもそも他人軸思考で、『良かれと思って』『期待に応えて』『心情を察して』がしみチョコのように染み込んでいる私には、やめることなど到底できないのだが。
もうストレスに感じてしまうことから逃れるためには、私の意識を変えるしかなかった。
舅や夫のためではなく、おせち料理の伝統を子に伝えることに重きを置いて新年迎えてみようか。着物なんか着てみちゃったりして。したいようにしてみようか。そう思うと少し前向きになれそうだ。
決めたぞ。
自分がやりたいようにやろう。今回の年末年始は、我が子のために、自分がやりたいことをやること。やりたくないことは、やらない。無理なら無理と言う。
他人の顔色を伺ったり、他人軸で生きることから、もうそろそろ脱却したい。空気を読むのが習慣になっている私にとって、とても難しいことだけど…。
ところで、昨日と今日、たまたま2日続けて急な来客があった。
いずれも玄関先で話すだけのつもりで、私から何度も、じゃあ…と促すもなかなか相手は帰らず、それぞれ別の人なのだが、2人とも1時間半ほど滞在した。帰宅した後、どっと疲れてしまった。
なんだろう、無駄なサービス精神で、ウェルカムな雰囲気を出しちゃうのかな。あー重症だ。笑
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