「この記事でこんなにスキもらえんの?!」から学ぶ人生訓。
みなさんは、noteで記事書いて投稿するとき、反応の予測をほんのり立てたりするだろうか。
「頑張って書いたけど、この内容に興味のある人は少ないかもな」
「この記事は、結構伸びるのでは・・・?」
私は、note界にどっぷり浸かるようになって2年ほど経つが、さほど反応を考えずに投稿することもあれば、ドキドキしながら「公開に進む」ボタンを押す日もある。
この記事はたくさん読まれたら嬉しいなぁと思った記事が100スキを超えて、あぁ嬉しい!ということもあるが、あれっ、これは思ったより読まれないか、ということはもっと多い。
(下図の「満足」と「的外れ」)
ところで、最近、
「え?!この記事がなんでこんなにスキもらえてんの?!」
という過去イチ衝撃だった記事がある。
上図の右下「嬉しい悲鳴」だ。
こちらの記事。
これは、つぶやきにしようと思ったくらいの話で、でも140文字では足りず、532文字で書いた記事だ。
軽い気持ちで書いた記事は他にもたくさんあるので一概には言えないが、あまり多くを考えずに自然体で書いたものは、受け取っていただきやすいのかなぁ、などと思ったりもした。
タイトルを「この仕事、なんか面白そうじゃないですか?」と気軽に話しかける感じにしたのもよかったか。
これを、「応募してみたい求人を見つけた話。」とかだったら、違ったかもしれない。アンタの応募したい求人なんて知らんがな、でスルーされる可能性が高いだろう。
「嬉しい悲鳴」に該当する記事には、もうひとつ嬉しいことがある。
記事公開後、スキ数急増と比例して、フォロワーさんも増える傾向がある、ということだ。
この記事を公開後、すぐに10名ほどの方がフォローしてくださった。
とはいえ、その方全員が、「この仕事、なんか面白そうじゃないですか?」を読んでくださったわけではないような気がしている。
スキ数が一時的にでも急増しているクリエイターを、noteの中で少しばかり優先的に露出させるアルゴリズムでもあるのではないか、という勝手な想像が止まらない。
そう思うのは、こちらの記事も「嬉しい悲鳴」に該当する数少ない記事で、公開後、他の記事のスキも増えつつ、フォロワーさんが短期間で数十人も増えて驚いたからである。
この記事は、うんうん悩みながら時間をかけて書いた記事だが、
「こんな、あまり共感してもらえなさそうなつまらない話を、noteのサーバーに負荷をかけてまで公開するの?」と思いながらも出さずにはおれず、厚かましくてすみませんが…エイヤ!と公開したものだった。
なのに、スキやコメントを想像以上にいただいて、実際に嬉しい悲鳴を上げる記事となった。
これらの「嬉しい悲鳴」記事から思うのは、
他人の反応の想像は、あくまでも自分の想像でしかないので、何事もあまり考えずにやっちゃおうよ、という教訓だ。
そのことに、なんだか今、無性に感激している。笑
なんでも出してみないとわからない、というのはよく言われることだけれども、自分の出したものを、他人がどう受け取るかなんて、広い宇宙でハンカチを落とすくらい、結果の想像できない話なのかもしれない。
ハンカチを落として宇宙にゴミが漂うことになっちゃった、と不安に思っていたら、それを拾った冥王星人が綿から生命体を生み出す研究に成功して食糧難の地球に送り返してくれるかもしれないし、あるいは太陽の燃料となり地球の寿命を延ばす救世主となるかもしれない。
どう受け取られるかなんて、まったく想像できないし、しなくてもいいのだろう。だってどうせ、想像を超えてくるんだから。自分の想像の範囲なんて、たかが知れているんだから。
そういうわけで、なりふり構わず思いの丈を綴るnoteをこれからも書くし、みなさんのそういう記事を私もたくさん読みたい。