定義する、しないの間で揺れる。
先週末行われた、次男ジロウ(仮名)の卒園式のあと、園庭で、いつも以上にはしゃいで遊ぶ卒園児と、その親が数組残っていた。
我が家もその中の1組。
ジロウは、彼曰く「笑顔がかわいくて大好き」で仲良しのクラスメイトのレン君(仮名)と走り回っていた。
その様子を眺めながら、私はレン君のママと立ち話をしていた。
同じ地域に住んでおり、4月から通う小学校も同じだ。
「あれ、ジロウちゃんは、学童行かないんだっけ!?」
「せやねん、行きたくないっていうから、もう行かせないつもり」
「そっか~家で仕事するなら、それができるか」
そんな会話をしながら、小学校の話になり、
レン君のママが、おもむろに
「新1年生は9人、支援級に行くんよね」と言った。
「あ、そうみたいよね、説明会の時、先生が言ってたよね」
一学年に50人ほどの小学校で、一学年に9人、2割弱の子どもが支援級に行くのは少し多いかな、という印象を持っていた。
他の学年は多くても5人くらいだった気が。
「レンも支援級行くねん」
「えっ?レン君が支援級?えっと・・・なんでだっけ・・・・・」
私はレン君が支援級に行く理由がわからなくて、混乱しながら尋ねたが、訊き方がおかしかったんじゃないか、となんとなくそわそわした。
そこで、レン君のママが冒頭のように説明してくれた。
え、ちょっと待って、ジロウも一緒のような感じがするんだが…ヤバイ、私はなにかやるべきことをやっていないのか…?
と一瞬で猛烈な焦りに襲われた。
「か、過剰適応ってなに?!」と訊くと、
「先生の前とかでは、言うこと聞かなきゃと思いすぎていい子でいようと頑張るんだけど、本人はすごく無理してるっていう感じかな。だから家ではもう癇癪とかぐずりが凄くて・・・」
と教えてくれた。
・・・どうしよう。
ジロウも支援級を検討すべきだったのでは?
レン君の程度も不明だけれども…
私はレン君のママの話を聞きながら、
ヤバイぞ私…と脳内で独り言をつぶやいていた。
レン君には小学2年生のお兄ちゃんがいて、1年生から支援級に行っているのは以前から聞いていたのだが、
「もともと通常級でもいいんじゃないと学校からは言われてたけど、ちょっとコミュニケーションが心配だったから。でも、学習面でも、コミュニケーション面でもほぼ問題なくなってきたかな、って感じだから、3年生から通常級に戻すんだ」という。
「お兄ちゃんはアスペっぽくて、レンは、ADHDって感じ」とも教えてくれた。
レン君のママ…めちゃくちゃいろんなことを調べまくって勉強しまくっているんだろうなと、自分の不勉強さも相まって、なんだか眩しく見えた。
レン君も、低学年のうちは支援級で手厚いサポートを受け、自信をつけて通常級に戻るプランが、なんとなく見えているんだろう。
一方で、「支援級」の立ち位置がよくわからなくなっていた。
なんというか、先生からは特別勧められなくても、親が子に行かせたいと思ったら行かせても良いし、行かせなくても良い、というような選択肢が親にあるのか…というイメージを抱き、なんだか心もとない気分になった。
また、昨日投稿した記事
映画「夢みる小学校」鑑賞レポート。 の中で触れた
「発達障害は画一的な教育が作りだしたのかもしれない」
という考え方に「その可能性もあるのかも」と思い、
教育や社会が変われば、発達障害という概念もなくなったりして、という仮説もこっそり持ち始めた。
ジロウについては…
入学後、様子を見て、考えていけばよいか。
前もって、しっかり準備して万全を期すタイプのレン君のママに対し、
私は、何か起きてから対応する場当たり的なタイプなんだろう。
対策が分かっているカテゴリーに定義して、子どもが生きやすいようにサポートするか、
カテゴリーに定義してみないで、曖昧なまま、しばらく様子を見るか。
正解はないだろうし、あっても流動的なものかもしれない。
いずれにしても、
子どもが人生を楽しめるようサポートしたい、
その気持ちさえあれば、なんでも正解だろうな、と思いたい。
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