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映画「愛に乱暴」鑑賞レポート。

おととい、地域活動を一つ終えた昼前。
今週、多方面で感情をゆさぶられることがなんとなく多く、急にぐったり疲れてしまった。
娘のこども園のお迎えまでに2時間ほどある。

ふとテレビをつけ、Amazonプライムビデオの画面に切り替えたところ、新着だったのか、一番先頭に出てきた「愛に乱暴」が面白そうだったので、観ることにした。昼から家で映画を観ることは普段ほぼないので、少々の背徳感とともに。

「悪人」「怒り」などで知られる作家・吉田修一の同名小説を江口のりこ主演で映画化し、愛のいびつな衝動と暴走を緊迫感あふれるタッチで描いたヒューマンサスペンス。

初瀬桃子は夫・真守とともに、真守の実家の敷地内に建つ離れで暮らしている。桃子は義母・照子から受ける微量のストレスや夫の無関心を振り払うかのように、石鹸教室の講師やセンスある装い、手の込んだ献立といった“丁寧な暮らし”に勤しんで日々を充実させていた。そんな中、近隣のゴミ捨て場で不審火が相次いだり、愛猫が行方不明になったり、匿名の人物による不気味な不倫アカウントが表示されるようになったりと、桃子の日常が少しずつ乱れはじめる。

上記「映画.com」サイトの解説より抜粋


一言感想

観終わった感想を一言で言うと、

なんかずっと気持ちがザワつく微妙な胸糞悪さと、
「誰からも愛されていない女」をあれだけリアルに演じられる江口のりこさんに病みつきになりそう。

ハッピーエンドでもなく、スカッともせず、えーと、これで終わり・・・?という感じがしなくもないんだけど、人間のあらゆる感情をあらゆる表現で体感させてもらえて、まずは感謝と拍手喝采を送りたくなる、そんな作品だった。

ここから先はネタバレを含みますので、今後観るかもしれない方は読まないくださいね!!

うすら寒い“ていねいな暮らし”の先に

何か今の生活に満ち足りていないものがあるのに、満足している「フリ」というか、そこから目を背けようとしているような白々しい雰囲気が江口さん演じる桃子から伝わってきて、冒頭からざらついた気持ちに。

旦那さんはカラ返事ばかりで全然桃子に興味なし。片想いの夫婦ってこうなるよな、というのがよく出ている。

敷地内同居のお姑さんとも必要最低限の付き合いで、桃子は気を遣いながらも心を寄せているように見えるが、お姑さんからは温かみを感じない。たぶん嫌われている。というかお互いか。

お姑さんが、のら猫にシッ!とする仕草、あれは桃子に向けてやってるようにも見えたけど、私の思い込みだろうか。

婦人科の医師から生理痛の痛みに寄り添ってもらえず、むしろちょっと傷口に塩を塗るようなことを言われるし、バスで席を譲ろうとした子連れのお母さんからも丁寧に断られる。同性の他人から親しみを持ってもらえない感じが、観ていてなんともしんどい。

平日の夕食にスペアリブを丁寧に焼くが、旦那さんの真守まもるはかぶりつきながらも美味しいとも言わず、桃子がすかさず用意したウェットティッシュも当たり前のように使う。
「真守ってお礼言わないよね」「え?」「ううん」という寒々しいやり取りを、聞き逃しそうなレベルで会話の中にしれっと盛り込む。

桃子さん、基本いい人そうだし、センスもあるんだろうし、いろいろやってくれてるのに、なぜか愛されない人だなぁ、なんでなんだ?!

どこか冷めた目をしながら、誰かに必要とされる欲を隠しきれない彼女に、ちぐはぐな印象も覚え始める。

途中、変わったペンネームのXのようなアカウントを、桃子がときどきチェックするシーンが出てくる。
「旦那さんの不倫相手を見つけて(執念で?)逐一チェックしてるのか?」と心の闇を覗き見してしまったようで、ますます目が離せなくなる。

しかしこのアカウントは、え?不倫相手のじゃないの?!という驚きの展開も終盤にあり。
(にしても香港旅行のくだりは、偶然の一致なの?と気になるのだが……)

桃子がずっとほしくてやっと手に入れたペアのカップとソーサー。この映画の中で「“ていねいな暮らし”を意識している桃子」をもっとも表現している小道具だろう。
ペアで買ったのに、真守と使うシーンは一度も出てこない。

それをうっかり1つ欠けさせてしまうシーン。ショックがありありと伝わってくる。そして、なんとわかりやすい不吉な演出、、、と一瞬白けそうになったが、いや、こういう嘘のような暗示的な出来事が現実で起きることってあるよね、と思い直す。

自分ではもうコントロールできない次元に突入したような、破滅への序章。

真守には不倫相手がいて、なんとその人に子どもができたため、桃子とは別れようとする。不倫相手との面会シーンは体がこわばった。江口のりこさんの、あの逃げ出したくなるような威圧感と、かける言葉も見つからない悲壮感がすごい。あれを同時に醸せる俳優さん、他にはパッと思いつかない。

チェーンソーを買い、床に穴を開け、床下を這い、ついには家の柱に刃を向ける桃子。真守が狂った人間のように扱うと、
「ううんちがうよ、狂ったふりでもしないと本当に狂っちゃいそうだから」というようなことを桃子は言い放つ。

狂った人間に擬態する

変な話だけど、おかしくなったふりをして、自分の心と状況を守りたい心理が、わからなくもなかった。

自分の話になってしまうが、実家の家族間の関係が最悪だったとき、母が普段はつけていないのに、三角巾のような白い布を頭に巻き、必死の形相で家事をしていたことがあった。雑巾がけまで始めて、なんだか異様だった。

お母さん、どうしたのそれ?と聞くと、
「お母さんはこの家の家政婦だから」と憤怒の表情を浮かべながら、私を見ることもなくそう答えたことがあった。あのときの気まずさというか、逃げ出したくなるような記憶がよみがえった。

母は、形だけでも家政婦に擬態することで、報われない日常から、一瞬でも逃れようとしたのだろう。

その場から離れてしまえばいいのに。
私たち子どもがいたから無理だったんだろうけど。

蓄積された悲しみが次第に怒りに。
それを隠しながらも生きていかなくてはならない人生の苦しみ。
それをまざまざと疑似体験し、こんな記事まで書かずにはおれなくなった。

元気のないときは、暗い映画を観たい私。
フィクションの負の感情に触れて、再起できることがある。
それも一種の、現実逃避であるだろうと思う。
(リフレッシュと呼びたいが)

タイトルの意味を考察

ところで、「愛に乱暴」ってどういう意味なんだろう。全然わからないが、自分なりの超勝手な解釈を語ってみたい。

解説に、“丁寧な暮らし”に勤しんでいる、という表現があるが、

“暮らしに丁寧”と
“愛に乱暴”

とそろえて並べてみる。

暮らしを丁寧にしているつもりだけど、
愛を乱暴に扱っている。

まず、桃子の桃子への愛が乱暴なんだろう。
服や食器や仕事で自分を満たそうとしているけれど、桃子は自分自身のことを愛せていない。おかしいよな、好きなものに囲まれて、自分がやりたいことをやっているはずなのに。なぜ自分を大事にしているように見えないのか。

何をしていても、全く楽しそうじゃないからだろうか。
ドロドロの感情をキレイなお面で覆い隠してすましているような。
「みんな私に憧れて、スゴイって言って」という声が漏れ聞こえてくるような。そのギャップが彼女の魅力を失わせているとすら思える。

真守からは、「桃子といてもつまらないんだよ」とまで言われてしまう。その真守のことだって、桃子は愛していないのかもしれない。
全部、見せかけの、他者基準の、はりぼての幸せだったのでは。

桃子さん、無人島で一人きりになったら何がしたいだろう?なにをしたら自然と笑みがこぼれるだろうか。

「愛に乱暴」、自分はどうだ?

私は、桃子よりは自分本位の楽しさを優先しているような気がするが、「暮らしに乱暴」かもしれない。笑
コンロが油まみれだとか、冷蔵庫にしなびた大根が残ってるとか、散らかった部屋を放置したままとか。
これも、自分を大切にしていないことの1つでもあるな。美しくない空間に自分を置いているのだから。

見せかけではない、ていねいな暮らしにシフトしていけたら、これまたとてつもない快適なしあわせが待っている気がした。



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長橋 知子
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