宍戸錠『ろくでなし稼業』(1961)|「入社7年、出演77本目にして初主演」記述の謎
この記事では、宍戸錠の初主演作『ろくでなし稼業』は”入社7年出演77本目”(三つのラッキーナンバーの縁起を担いだ)なのか?について語ります。
※一映画ファンの調査です。これを読んでご自身で調べられるのは自由ですが、当記事を根拠とした不確かな情報拡散はご遠慮ください。
事の発端は、今年(2020年)1月に宍戸錠さんが亡くなられた際の新聞記事に始まる。様々なメディアの報道で追悼の意を表していたが、追悼記事のひとつにこんな一節を見つけた。
これは、少し前に自分がツイートした内容と似たような記述だった。
まさか新聞社が一ファンのツイートを記事に取り入れる訳がないので、他に何かしら情報の裏取りがあるのだろう。しかしながら、(一部のファンくらいにしか興味のないであろう)この真偽を確かめたいと思い、自分でも少し調べてみた。
◇『藝能画報 1961年4月号』
件の過去ツイートの出処は、自分が所有している一冊の古本『藝能画報 1961年4月号』からだった。
以前に読んだとき、この記事の小見出し「むくわれた七年目」と“七十七(本目)”というラッキー・ナムバーというワードが妙に印象に残っていたのをツイートしたのだと思う。
◇日活公式サイト
しかし、確認すると『ろくでなし稼業』は錠さんの出演77本目ではなかった。日活公式サイトにや出演作をまとめている雑誌を調べて数えても、どれも77本目ではなかったのだ。ちなみにクレジット表記が確認されている作品を数えると73作目の出演にあたる。惜しい。
宍戸錠・著『シシド 小説・日活撮影所』では、三國連太郎主演作『泥だらけの青春』、北原三枝主演作『女人の館』など仕出し時代(デビュー前)に出演したエピソードが載っているが、それらを考慮したとしても77以上の数になってしまう。
◇『日活映画 1961年4月号』
さらに調べてみると、また新たに情報が見つかった。日活株式会社事業部の発行していた機関紙『日活映画 1961年4月号』。ここには、錠さん自身がデビューから『ろくでなし稼業』までを振り返った小さなエッセイのような記事を寄せている。
うーん、錠さん本人がそう語ったのであれば文句なしか?
かと思えば、こんなことも…
追記
2022年、CSで『第8監房』が放映されました。当初、衛星劇場のHPには出演者に宍戸錠が掲載されていましたが、実際の作品を観てみるとオープニングクレジットには名前がありませんでした。その後、HPでも訂正されたようです。
◇まとめ
いくつか情報の出処があることはわかったが、実際のところ(繰り返しになるが)『ろくでなし稼業』は錠さんの出演77本目ではない。
前述の通りクレジット表記がある作品では73作目の出演にあたるが、3,4本くらいの誤差など気にしない昔ながらのおおらかさだったのか?あるいは、同じく宍戸錠主演『早射ち野郎』でいうところの「抜き射ち世界第三位 0.65秒」のような公開当時の宣伝文句として使われただけかも?
もし気になって自分も調べたいという方がいれば、『ろくでなし稼業』が公開された1961年3~4月あたりに発行された雑誌・書籍から探すと手がかりが見つかりそうじゃないかと思います。新たに情報が見つかり次第、この記事に追記していきます。