〈日記〉 笑顔で軽く断りたい
3連休は外出したり人が来たりで
普段のんびりしている私にとっては、かなり忙しく過ごしました。
何かを考えて書く頭が残っていないので
日記を書こうと思います。
3連休はなかなかハードだった。
暑かったし。
それでも体調も崩さず乗り切ってくれた私の体ありがとう。
夫も仕事がかなり忙しいのに、色々協力してくれていてありがたい。
お疲れの夫が元気になるように
今日はハンバーグ
ハンバーグで喜んでくれるなんて子供だなぁ
そんなに喜んでくれると、ご飯をちゃんと作ってあげたくなる。
だけど
私は無理をしないを覚えたのだ。
自分が無理をしてまで作らない
できる時でも、やりたくない時は作らない
やっとそれを当たり前にできるようになった。
自分さえ我慢すれば丸くおさまるのなら
そう思っていた。
だけど少しずつ歪みが出てくる。
私がこんなに頑張ってるのに
私がこんなに我慢しているのに
なんで私ばっかりこんな思いをするの
ずるい
相手のことを思う優しさから我慢したかもしれないのに
どんどん、優しくない自分になってしまう。
歪みは歪みを呼んで、どんどんおかしくなってくる。
結局
シンプルに、自分の気持ちに正直になることが
一番いいのかもしれない。
NO
できません
いやです
いりません
色々な理由からなんだろうけど
それを言うことがとても苦手
苦手だから
それを伝えようとすると
とても怖い自分になってしまう。
ものすごく覚悟して
ものすごく力を入れないと言えないから。
怖くなる自分も気持ちよくない
もっとさらっと、NOが言えないかな
もっと軽く、NOと言ってもいいんじゃないか
断ってはいけないと思っているから
そう思えば思うほど、力が入る。
断っていいんだよ
ちっとも悪くないんだよ
理由がなくたっていいんだよ
やりたくないでいいんだよ
全然悪くなんかないから
さらっと断っていいんだよ
そう思ったら、少しは違うかな
どう捉えたらいいだろう
何か簡単に断れていることってないかな
路上のチラシ配り それでさえ
ギュッと力を入れて、プイッとそっけない態度を作って断っているかも。
緩んで、リラックスしたまま断れるだろうか
緩んでいたら、
「お仕事大変ですね」って思ってもらっちゃうかも
断ったら、可哀想かなって思ってしまう。
私は、知らない人のチラシ配りにさえ
そんな風に思ってしまうんだ。
自分で言うのもなんだけど
本当は私は、ものすごく優しく愛情深いのかもしれない。
その人はそれがお仕事で、時間でお給料がもらえるかもしれないし
それをやる力もあるかもしれない。
勝手に可哀想に感じるのも失礼。
その人の力を信じたら、変に同情する必要もない。
その人は自分で切り抜ける力を持っている。
ジェットコースターに乗る様に
そういうアトラクションを楽しんでいる最中かもしれない
だから、むやみに心配も同情もしなくていい。
私はシンプルに、それをいるのかいらないのか
自分の気持ちだけを考える。
そしていらない時は
『頑張ってるんだね、チャレンジしてるんだね、経験を楽しんでいるんだね』
そう心で思いながら、笑顔で
「いりません」
そう言えば、いいのかもしれない。
そうだ、コーヒーやお水のおかわり
これは簡単に断れている。
笑顔で「いりません」と断れている。
多分、不要なものをもらうのは悪いと思っているから、罪悪感がない。
つまり
良いと思っていることは簡単にできて
悪いと思っていることは簡単にできない。
だけど、それを良い悪いとしているのも私の勝手な考えに過ぎない。
コーヒーが煮詰まっちゃうから、もらって欲しいと思っていたら、もらう方が良いことになる。
とっさに、これが良いことこれが悪いことと思って判断しているけど
実際どうかなんてわからない。
誰かから見れば良いことで、他の誰かから見れば悪いことってことだってある。
その時は悪い事に見えて、後から見たら良い事だったって事だってある。
結局、わかんない。
わかんないんだから、勝手に自分で判断して、自分を縛り付けるのも無意味ってことかもしれない。
だからやっぱり、シンプルに自分がどうしたいかで良いのかもな。
何もかけないなぁ日記でも少し書いて終わらせよう、
そう思いましたが
書き出したら、思いのほか長くなってしまいました。
そして気づいたのは
自分で勝手に良い悪いを判断して、断りにくくしていたってこと。
自分が良い事と思ったら簡単に断れて
悪い事と思ったら、断りにくくなっている。
だけど良い悪いがどっちかなんてわからない。
チラシ配りは、貰わないで欲しいと思っているかもしれないし
コーヒーのおかわりは、残しても良いから入れさせて欲しいと思ってるかもしれない。
わからないから、自分がどうしたいかで決めればいい。
思いつくまま書くのも、
頭の中を覗くのにはいいですね。