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【子育て】産まれた時に誓った事


月9「海のはじまり」の感想(ネタバレあり)

暗くて、重たくて、ちょっとなーと思いつつ、最終回まで見た。共感できないことも多くて、スッキリ感も少なくて、びっくりするほど、それぞれの立場で好き勝手発言している。「私はこう思う」と。フォローも前置きもなく、率直に思ったことを言葉にする。主人公がハッキリしない性格設定なので、周りがハッキリ物を言う印象にしているのかな。

刺さったセリフ

小学生の女の子 海ちゃん
海ちゃんのママ役 古川琴音さんは、海ちゃんを残して病死するところから始まる
そのおばあちゃん役 大竹しのぶさんのセリフ
「子どもを産んだら、死んでもお母さんなの」

海ちゃんのパパ役 目黒蓮さんと海ちゃんの2人暮らしが始まるんだけど、パパは海ちゃんに「(無理して)ママの話をしなくていいんだよ」と言う
それを聞いた海ちゃんは傷つき、「ママは居たのに、ママの話がしたい」と悲しみ、ママと過ごした場所・ママを知っている人のところに行く

ママはパパには内緒で未婚で出産した
ママが亡くなってから、パパは子どもの存在を知ることになる

ドラマの半分は、現在を描き、子どもと出会ったパパがパパになろうとする時間
後の半分は、亡くなったママの知り合いを通じた生きていた頃のママの回想シーン
を行ったり来たりする流れ
最終回、ママの回想シーンで「海を産んで良かった」と、死期を知っているママのセリフ

おばあちゃんの「死んでもお母さんなの」とリンクする
だから、海ちゃんはママのことを話したいのだろう

子育ては死んでも続く

妊娠してから毎日が新しい体験の積み重ね。ママになることも、保育園に通わせることも、小学校・・、思春期の子の親も。ここ最近は、子どもとの時間ももう終わると子離れを意識している。子育てが終わるイメージを持っていた。

子育てを始めて常々、この先の子育、子どもとの関わりがどうなるか想像ができず。このドラマを見て、そうか「死んでもママ」ということは、この先、ずっと新しい体験の積み重ねが続くんだな〜ってことに気がついた。時々、亡くなった祖父母を思い出す。永遠に私の祖父母のままな。仏前で報告やお願いごとをしながら祖父母や祖先と話をしている。新しく得た考え方。子育てへの気負いが減った気がする。

産まれた時に誓った事

親子のはじまり

病院で出産してふ〜っと一息。疲れて疲れて、ぐったり。綺麗にしてもらった生まれたばかりの赤ちゃんを連れてきてくれた。顔を自分のゲンコツでクリクリさすっている。ふふふ。。
妊娠中、時々、赤ちゃんが伸びをするとグイーってお腹が引っ張られ、お腹越しに足らしきものが見えたり、イタタタと思ったり。ああー、起きている、静かだから寝てるかな、とか想像していた。
時々、お腹の下の方で、赤ちゃんが動くとくすぐったくて、でも、お腹の外から触れないところ。何してるんだろうって気になっていたんだけど、初対面の赤ちゃんがゲンコツで顔を擦っていたのを見て、「間違いなくお腹の中に居た子ね、ゲンコツで顔をクリクリしてたのね」と一致。

産みの苦しみ

まさに、、子どもが降りてくるのと、骨盤が開くのが合わなくて、赤ちゃんの頭でぐりぐりされた時間が長く、骨盤がずれてしまい、出産後、分娩室のベッドから立ち上がれなくなった。産後1時間安静にしているんだけど、30分くらいのところで、徒歩5歩くらいのトイレに行かせてもらった。トイレで座り込み、立ち上がれなくなって、ひとまずベッドに連れて行ってもらい。その後、車椅子に乗せられ分娩室を出る。
骨盤なので、寝てても座ってても起きてても痛くて痛くて。身動き取れなくて、なるべく骨盤が触れない大勢でベッドの枠に捕まって過ごす。食事も取れないし、トイレも最低限時間をかけて、看護師さんに付き添ってもらって。子どもの面倒すら見れなくて。人生動けなくなったことは始めてだったから驚きと、親として何もできないことへの焦りで毎晩泣いていた。
後日、同部屋の方から、心配していた〜と声をかけてもらったので、後半は多少良くなっていたのだろうな。いまだに骨盤の痛みには時々悩まされている。

母の誓い

どんな母になろうかと考えた。早ければ翌年の4月から保育園に通う予定。2ヶ月頃から通える保育園もある。子どもに食事をあげたり着替えのケア、生活サポート、保育士さんもできること。母親はそれだけではなく、何をするものなのだろう・・。と考えた。
私の母を思い出した。祖父母・叔母と同居生活だったのと、上に兄弟がいて、私たち双子が生まれたので、家族のサポートの中、育った。子どもの頃、母から「あなたは祖父母に育てられたようなもの」と言われていた。祖父母も大好きだけど、父も好きだけど、母はまた別格な存在だった。たとえば、冤罪で捕まった時、母だけは最後まで私の無罪を信じてくれるだろうという絶対的な安心感。
私もそんな母親になりたいと思った。子どもが振り返った時、いつも後ろから見守っている。何かあったらここに帰っておいでと言える。言わなくてもそう思ってもらえる。そんな場所でありたいと。

褒められた話

でも、何をしたら安心できる場所になれるかわからなかった。夜中に起こされて怒ったこともあるし、食が細くて母乳もミルクも飲まないことにイライラしていたし。腱鞘炎になって抱っこするのは避けてた。

4月から保育園に通い出した。1週間は慣らし保育で、徐々に時間を増やしていく。保育士さんたちは、ママと離れて泣いている子どもをおんぶに抱っこしてあやす。なので、窓越しに泣いている子どもが見える。
が、いない。うちの子いない。0歳児クラスは親も入れなくて、準備室にあるロッカーに荷物をセットして、入り口で先生に子どもを預ける。その時は、確かに泣いているのに。
先生にお伺いしたところ、お別れの時は泣くけど、ささっと保育室中を探索して遊び倒しているとのこと。寝る間も惜しんで、お昼寝をさせても「寝てる場合じゃない!」と目を覚まして遊び倒している。泣くのは、周りの子たちが泣いているのを見て、真似しているだけのよう。

先生から「おうちでよくお子さんの呼びかけに応えてました?」と聞かれた。ほっとけなかっただけなんだけど、食事してても家事してても、子どもに呼ばれればすぐ側に駆け寄っていた。先生曰く、「保育園にいればお母さんが来てくれることを知っている。なので安心して遊び回っている」。だいたいのお子さんは、1週間の慣らし保育でそれを学んでいくらしい。

産後、病院に入院している時、泣くと「引き泣き(?)」をするタイプで、息をたくさん吸って吸って、ようやくワーっと声を上げる。なので、顔も全身真っ黒になってしまって、医師に診てもらったことがあった。心配はない。泣かせないこと。と言われたことがキッカケだった気がする。

方法はわからなかったけど、安心できる場所を作れたんだなと嬉しかった。

再度の誓い

そして、再度誓った。この安心できる場所を絶対に裏切らない。
仕事でも友達関係でも、信頼構築には時間がかかるけど、崩れるのは一瞬。
母子は特別な見えない絆で繋がっていると言われることもあるけど、私は別人格で他人だと思う。絆とか家族にあぐらをかくことなく、日々の積み上げが「安心できる場所」になると思う。先生から褒められた時、この先もこれを壊さないようにと思った。

そして、これを書き出しつつ、再確認をした。

追記(死んでも関係は続く)

今朝の朝ドラ「虎に翼」を見て思い出した。生きてるのも、死んで先に亡くなった人と話をすることも楽しみ。というセリフ。
先日、夫が大谷翔平さんの活躍を見て、野球好きな亡くなった父親と話をするのが楽しみなんだって話してた。

死後の世界はわからないけど、子どもにそんな風に笑って思い出してもらえる関係でいよう。死んだ後も安心な場所でい続けられるよう、信頼を裏切らないように。


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