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本を読んでも、目が滑る。スピード感はカタツムリ。
数年前に抑うつ状態となってから、文章がまるっきり読めなくなってしまった。
本は好きだ。電子書籍より、本の形をした本が好きだ。普段あまり買い物を好まず、空っぽの冷蔵庫を満たすためにスーパーに行くことさえも億劫なわたしでさえ、本屋さんに行く足取りは軽く、店に入れば財布のひもが緩む。知的好奇心を刺激されるような表紙背表紙裏表紙を見るだけで、すごく頭が良くなったような気がする。「アッ、これは」と、思えるタイトルを見つけると、胸のあたりがギュンギュンする。本って意外と高い。買うか買うまいか、長いこと悩みレジと本棚の間を往復する。大体のところ、結局買う。家にはわたしの本棚が置いてあって、そこにはわたしがギュンギュンくるような本ばかりが並んでいる。にっこり。思わず、口角が上がる。
ただ、どうしようもなく困った問題がある。ここんとこ、本がじょうずに読めないのだ。
喜んで買って、喜んで帰って、喜んでコーヒーを淹れて、お気に入りのソファに体を沈める。意気揚々とページを開くと、滑る。ページの上を目が滑る。まるで頭に入ってこない。だから何度も目を滑らす。頭に入るまで何度も。
ステップ。ジャンプ。イナバウアーからのスピン。フィニッシュ。そしてやっとページをめくる。ページの上において、わたしの目はフィギュアスケート選手のごとく滑りまくるのである。
ただ、こんな疾走感は全くない。華麗でもない。ただただ、読むのが遅い。とにかく遅い。そのスピード感はカタツムリのごとく。読むのがあんまり遅いから、直近で書いてあったことを忘れる。だから戻る。
目は滑る。スピード感はカタツムリ。忘れる。戻る。滑る。カタツムリ。めくる。もどる。滑る。カタツムリ。びっくりするくらい進まない。なんならどんどん後退しているまである。
本が大好きだったわたしは、抑うつ状態を経て、滑るカタツムリになってしまったのである。
それでもわたしは本を買う。華麗に滑る日を夢見て。
家にはわたしの本棚が置いてあって、そこにがわたしの胸がギュンギュンくるようなタイトルの本ばかり並んでいる。だいたいどれも、滑ったカタツムリでからっきしなものか、出番を待っているものばかりである。
本が読めない。これに気づいたときの絶望ったらない。少しだけ元気になって、やあこれなら本が読めるぞさて本でも読もうか、と気を起こし、本を手に取りページをめくり、文字を追い始めた時の絶望。せっかく少しだけ高まった気持ちが、またもドシンと落ちる感覚。絶望。がっかり。あーあ。もう駄目だ。もう好きだったことも楽しめない。なんの楽しみもない。あーあ。シケ。はいシケ。かいさーん。そんな、投げやりになってしまうような気持ち。無理もない。これはあまりにも、無理もない。
だけどわたしは本を買う。懲りずに買う。
本屋さんに行けば、厳選した一冊を。古本屋さんに行けば、気になるタイトルを根こそぎ十冊。わたしの本棚は豊かになる。ギュンギュンくる。にっこりする。あいも変わらず、上手に読めない。
抑うつ状態のとき。まったくギュンギュンこなかった。カタツムリですらなかった。できないことに涙を流し、好きだったこともすっかり忘れ、本棚には埃がかぶっていた。だからわたしは、かつてのように上手に読めなくなっているけれど、ギュンギュンする気持ちに希望を見出している。
だって、わたしの目はページの上を滑っているから。スピード感はカタツムリであれど。今はこれでいい。わたしは本を手に取りページをめくっている。それだけで、じゅうにぶんに、良い。わたしは元気になっている。そのことに気づいている。まったくもって、絶望することなんてないのだ。
だからわたしは、胸をギュンギュン高鳴らせる。本を手に取る。華麗にトリプルアクセルを決められる日がくることを夢見ながら、今日も目を滑らす。カタツムリみたいなスピードで。
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