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『人間の建設』No.33 人間の生きかた №1〈本居宣長〉
小林 私はいま「本居宣長」を書いていますが、貴方のおっしゃる情緒という言葉から、宣長の「もののあわれ」の説を連想するのですが。これはやはり情緒が基だという説なんです。あの人には、ほんとうは説としてまとまったものではなくて、雑文みたいなものの集まりがあるだけなのです……。
岡 理論とか体系とかは、欧米から学んだもので、以前にはなかったのです。
小林 ……あれはあの人の人生観で哲学なんですよ。あわれを知る心とは、文学に限って言ったわけではなく、自分の全体の生き方なんです。
以前、わたしがNHKのテレビ番組を観たことです。
本居宣長には友人の妹で初恋の女性がいたのが、見初めたと思う間もなく他家へ嫁いでしまいます。
しかし、のちに夫と死別した女性が実家へ戻りましたので、宣長は最初の妻を離縁して、時間は少しかかりましたが意中の人を妻に迎えました。
賀茂真淵に師事して『古事記』の研究に生涯をかけ、江戸時代すでに読みのわからなくなっていた記述を読めるように、また注釈を著します。
日本書紀をパクった駄本というそれまでの定説を覆して、古事記の価値を発掘し後世にバトンしたことはすごいと思います。
一見関係のない、結婚と古事記研究のエピソードですが、岡さんや小林さんの言う「直観と情熱」に通じるものがあると思います。
小林さんが冒頭の会話を継いで、「もののあわれ」については、坪内逍遥が取り上げたような単なる美学ではない、と述べた上でさらに続けます。
小林 ……ですから日本主義というようなレッテルからあの人を理解することは出来ないのですね。そのあと平田篤胤という人が日本主義と呼んでいいような思想を組みあげるのですね。……これが日本主義のイデオロギーとしてのちに影響するが、本居宣長はそういう人ではない。詩人ではないが、たいへん詩人的なところがありまして、どんどん一人で歩いて行って、もう先はないというところまできて、ぽっくり死んだのです。
このあと、小林さんは「そういう意味で宣長さんの考えた情緒というものは、道徳や宗教やいろいろなことを包含した概念なんです。単に美学的な概念ではないのです」と畳み重ねていいます。
情緒、詩、詩人などこれまでお二人の対談ででてきた言葉・概念が「もののあわれ」という説に通じることがわかります。
上のいきさつもあって本居宣長に興味を持ったのですが、かと言って、直接その著作にあたることは私には閾値が高過ぎます。
小林さんの著作『本居宣長』や『ゴッホの手紙』は未読なので、それを足がかりに、われらの先人の仕事や生涯を辿っていこうと思いました。その道も、安んじてたやすく歩けるものでないことは十分予想するのですが……。
――つづく――
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※mitsuki sora さんの画像をお借りしました。
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